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岡山地方裁判所 昭和51年(わ)833号 判決

目次

被告人の表示〈省略〉

前文〈省略〉

主文

理由

第一検察官の主張

一公訴事実

二検察官の釈明

第二弁護人の主張

一千代田関係弁護人の主張

二石川島関係弁護人の主張

三被告人Fの弁護人の主張

第三当裁判所の認定した事実

一被告人らの経歴及び業務内容など

1 千代田関係被告人

2 石川島関係被告人

3 被告人F

二階段基礎工事及びその背景事実

1 三石水島製油所

2 本件タンク建設に至る経緯

3 タンク基礎工事の概要

4 タンク本体建設工の概要

5 階段基礎の設計

6 階段基礎の施工

三本件事故の発生及びその前後の状況

1 T―二七〇の使用経過

2 三石水島製油所におけるタンクの管理体制

3 事故発生前後の状況

4 重油の流出状況

5 水産動植物の被害状況

第四被告人Fの監督責任について

一問題の所在

二東洋工務店関係者の供述の概要

1 検面供述の概要

2 公判供述の概要

三東洋工務店の営業内容等について

1 前提となる事実

2 東洋工務店の施工能力について

四客観的証拠の検討

1 昇降梯子用基礎施工図について

2 作業日報について

3 請求書、注文書及び振込送金について

4 見積書について

5 小括

五東洋工務店関係者の検面供述の検討

1 石川島との交渉について

2 細戸からFに対する紹介について

3 横路が現場監督であったかどうかについて

4 熊谷組の係員の関与について

5 石川島の係員の関与について

6 Fの関与の程度について

7 階段基礎工事の発注者について

8 小括

六熊谷組関係者の証言の検討

1 熊谷組関係者の証言の概要

2 階段基礎工事の見積り額について

3 Eとの金額の折衝について

4 東洋工務店を石川島に紹介したことについて

5 東洋工務店が施工していたことの認識について

6 新井の階段基礎工事への関与について

7 東洋工務店の施工能力について

8 小括

七東洋工務店関係の公判供述について

1 東洋工務店関係者の公判供述の信用性

2 東洋工務店関係者の公判供述に関する検察官の主張について

八総括

第五破断原因について

一序論

二客観的事実の検討

1 破壊の態様及び破面の形状

2 破断部の溶接の形状

3 基礎地盤の状況について

三検察官の主張の検討

1 底板下の基礎地盤の支持反力低下の有無について

2 側方流動について

(一) 奥村委員の見解について

(二) 検察官の主張について

(三) 奥村委員の鞍型変形論について

3 地盤の滑りについて

(一) 山本委員の見解について

(二) 小倉委員の見解について

(三) 福岡委員の見解について

(四) 福岡委員の見解に対する検察官の反論について

4 側板とアニュラプレートとの角度の変化について

(一) 序論

(二) 小倉委員の見解について

(三) 山本委員の見解について

(四) 福岡委員の見解について

(五) 福岡委員の見解に対する検察官の反論について

5 論告における検察官の主張について

6 総括

四その他の要因について

1 六パス溶接及び盛上り角について

2 溶接欠陥について

3 青熱脆性又は高温下における低歪速度効果について

4 基礎地盤の洗掘について

5 雨水又は地下水の影響について

6 総括

五破断原因の総合判定

1 序論

2 最終報告書の記載について

3 国調委員の証言について

4 総括

第六結語

略語表

別紙図面

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

(以下の判示に当たっては、特に断らない限り、本判決の末尾に添付した略語表に従って記載することとする。)

第一検察官の主張

一公訴事実

被告人千代田は、横浜市鶴見区鶴見中央二丁目一二番一号に本店を有し、石油等の産業用設備に関する土木、建設工事等の設計、施工及び監理等に関する業務を営み、三石からの注文により、岡山県倉敷市水島海岸通り四丁目二番地所在の同社水島製油所構内に建設する脱硫C重油貯蔵用の溶接鋼製円筒貯槽(T―二七〇号、公称容量五万キロリットル)の基礎工事を請け負うとともに、石川島の施工する右貯槽の本体据付工事につき、いわゆるプライム・コントラクターとして工程管理、設計図面等の検討及び承認並びに共通検査基準の制定等の義務を負っていたもの、被告人Aは、被告人千代田の国内事業本部プロジェクト石油一チームのスタッフとして、同社の施工する右貯槽基礎工事並びにプライム・コントラクターである同社の前記業務に関するプロジェクト業務を担当し、右基礎工事については、設計どおりに完全な貯槽基礎を建設するため現地工事担当に適切な指示をするとともに、同社がプライム・コントラクターとして行う業務については、石川島から設計図書等を提出させて千代田の貯槽担当者をして検討させ、又は自らこれを検討したうえ承認を与え、あるいは修正又は再提出を指示するなどの業務に従事するもの、被告人Bは、被告人千代田の水島事業所土木工事担当者として、右貯槽の基礎工事の施工に関し、下請負人の現地工事担当者を指揮監督するとともに、完成した右貯槽基礎を保守管理すべき業務に従事するもの、被告人石川島は、東京都千代田区大手町二丁目二番一号に本店を有し、貯蔵設備等の設計及び据付等に関する事業を営み、三石からの注文により前記貯槽本体の建設工事を請け負ったもの、被告人Cは、被告人石川島の化工機事業部タンク設計部タンク設計三課の設計担当者として、右貯槽本体及び付属品に関し設計の業務に従事するもの、被告人Dは、同社の土建部プロジェクト室の設計担当者として、右貯槽の付属品である直立階段の基礎に関し設計の業務に従事するもの、被告人Eは、同社の右貯槽据付工事事務所所長として、同社が施工する右貯蔵本体の据付工事及びこれに付帯する工事を統轄し、下請負人の現地工事担当者を監督するとともに右貯槽の本体を保守管理すべき業務に従事するもの、被告人Fは、土木工事を事業目的とする東洋工務店の代表取締役であり、同社が石川島から請け負い施工する前記直立階段の基礎工事に関し、自社の工事従業者を指揮監督する業務に従事するものであるが、前記貯槽が海岸埋立地の軟弱地盤上に建設されるため、予め基礎地盤を締め固め、更に、貯槽据付後も右貯槽内に水を張りその荷重によって基礎地盤を圧密して安定させるものであるから、右基礎地盤を締め固め水張りによる圧密促進工事の途中において不用意に右貯槽底部下の基礎地盤を掘削し、その後の埋戻しが十分行われないときは、該掘削埋戻し箇所の地盤の支持力を失わしめる結果となり、これがため右地盤支持力のない箇所における貯槽の側板と底板との内側隅肉溶接継手部に亀裂を生じ爾後の重油の出入れによる繰返し荷重によって右亀裂を拡大せしめ、遂には該箇所を破断して大量の重油を貯槽外に流出させることとなり、ひとたび大量の重油が流出したときには、これが右製油所内に拡散するばかりでなく、更に、海上へ流出して海上を航行する船舶の往来の危険を生ぜしめるとともに水産動植物に有害な物を漏せつするおそれがあるところ

1  被告人Aは、被告人千代田の前記業務に関し、さきに石川島から提出を受けてこれに承認を与えた昇降梯子用基礎図では、前記直立階段の基礎が右貯槽の側板から僅か44.5センチメートルの間隔しかおかずに設置されることになっているのを了知していたうえ、昭和四八年四月初旬ころには、右階段基礎工事が貯槽の水張り期間中に行われることも了知していたのであるから、貯槽据付後の水張り中に階段基礎工事のため貯槽側板から44.5センチメートルの間隔をおいて右貯槽の基礎地盤を掘削するときは、右貯槽底部下の基礎地盤までも掘削し、その後の埋戻しの際の転圧も十分に行えないために右掘削埋戻し部の地盤支持力を失わしめることとなるので、千代田の現地工事担当者に対し、右貯槽基礎の保守管理上支障をきたすおそれのある右階段基礎工事について、絶えず右工事の状況を監視し、貯槽底部下の基礎地盤を掘削することのないよう適切な方法を講ずべきことを指示する一方、前記昇降梯子用基礎図を作成した石川島の設計担当者に対しては、貯槽底部下の基礎地盤を掘削することなく階段基礎を設置できるように、さきの設計内容を変更するか、あるいは、適切な施工方法を検討してその旨を工事担当者に的確に示達するために階段基礎の設計図面等にその施工要領を明記するなどの特段の措置を講ずべきことを指示すべき注意義務があるのに、これを怠り、千代田の現地工事担当者及び石川島の設計担当者に対して、それぞれ前記のような指示をしなかったばかりか、同年八月上旬ころ、同社から提出のあった昇降梯子用基礎施工図なる階段基礎の設計図には貯槽底部下の基礎地盤を掘削せずに階段基礎を設置するための施工方法に関する記載がないのに右図面を承認し、同社の現地工事担当者において、同施工図等に基づき、階段基礎設置のため、右貯槽底部下の基礎地盤を奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートルの範囲にわたって掘削し、その後の埋戻しも不十分な工事をするのを放任した

2  被告人Cは、被告人石川島の前記業務に関し、階段基礎工事が前記貯槽の据付後引き続き行われる水張り中に実施されることを了知していたうえ、さきに千代田に作成提出して同社の承認を受けた昇降梯子用基礎図の示すところでは、貯槽の側板と階段基礎との間隔が僅か44.5センチメートルしかないのであるから、このような貯槽の近傍に階段基礎を設置しようとするときは、右貯槽の底部下の基礎地盤をも掘削し、その後の埋戻し転圧も十分行えないために右掘削埋戻し部の地盤支持力を失わしめることとなるので、階段基礎の設計担当者との間で、貯槽底部下の基礎地盤を掘削することなく、階段基礎を設置できるに必要な貯槽側板と階段基礎との間隔について検討し、さきの昇降梯子用基礎図で貯槽側板と階段基礎との間隔を44.5センチメートルと定めている右設計を変更するか、あるいは、右階段基礎の設計担当者に対し、貯槽底部下の基礎地盤を掘削することなく階段基礎を設置できる適切な施工方法の検討を求め、右施工方法を工事関係者に確実に示達するため、階段基礎の設計図面等にその施工要領を明記するなどの特段の措置を講ずるよう要求すべき注意義務があるのに、これを怠り、いずれの措置をもとることなく、同年三月中旬ころ、前記昇降梯子用基礎図を設計資料として石川島の土建部プロジェクト室の右階段基礎設計担当者に送付し、同人をして、貯槽側板と階段基礎との間隔を44.5センチメートルとする設計条件のもとに、貯槽底部下の基礎地盤を掘削せずに階段基礎を設置するための施工方法に関する記載を欠いたままの昇降梯子用基礎施工図なる設計図を作成させたうえ、右図面等より、同社の現地工事担当者をして、同年九月一日から同月一〇日ころまでの間にわたり、階段基礎設置のため右貯槽底部下の基礎地盤を奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートルの範囲にわたって掘削し、その後の埋戻しも不十分な工事を行わせた

3  被告人Dは、被告人石川島の前記業務に関し、階段基礎工事が前記貯槽の水張り中に実施されることを了知しており、同社の化工機事業部タンク設計部タンク設計三課において作成した昇降梯子用基礎図の示すところでは、右貯槽の側板と階段基礎の間隔が僅か44.5センチメートルしかとられてないことを了知していたのであるから、階段基礎の設計をするに当たっては、このような貯槽の近傍に階段基礎を設置しようとするときには、右貯槽の底部下の基礎地盤をも掘削するおそれがあり、これが掘削をした場合には、その埋戻し転圧も十分行えないために右掘削埋戻し部の地盤支持力を失わしめることとなるので、右昇降梯子用基礎図を作成した設計担当者との間で、貯槽側板と階段基礎との間隔について検討を行い、右間隔を44.5センチメートルと定めている右設計を変更するか、あるいは、自己の設計する階段基礎の設計図面等に貯槽底部下の基礎地盤を掘削することなく階段基礎工事を施工するに適する土留工法を示すべき注意義務があるのに、これを怠り、いずれの措置をもとることなく、同年七月三一日ころ昇降梯子用基礎工図なる設計図を作成したうえ、右図面等に基づき同社の現地工事担当者をして、同年九月一日ころから同月一〇日ころまでの間にわたり、階段基礎設置のため、右貯槽底部下の基礎地盤を奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートルの範囲にわたって掘削し、その後の埋戻しも不十分な工事を行わせた

4  被告人Eは、被告人石川島の前記業務に関し、東洋工務店が、同年九月一日ころから同月一〇日ころまでの間にわたり行った前記階段基礎工事に際しては、同社を指揮監督する立場から常に右工事の状況を把握し、階段基礎設置のために右貯槽底部下の基礎地盤を掘削しその後の埋戻し転圧を十分行えないような工事を遂行するときには右掘削埋戻し部の地盤支持力を失わしめることとなるので、同社のFら工事従事者に対して、貯槽底部下の基礎地盤を掘削することのないよう適切な指揮監督を行うべき注意義務があるのに、これを怠り、右Fらにおいて、右階段基礎設置のため、右貯槽底部下の基礎地盤を奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートルの範囲にわたって掘削し十分な埋戻し転圧をしないのを放任した

5  被告人Bは、被告人千代田の前記業務に関し、同年九月一日ころから同月一〇日ころまでの間にわたり、石川島が東洋工務店を下請として使い施工した右階段基礎工事では、貯槽側板近傍の基礎地盤を掘削することを認識しており、したがって、千代田が既に一部施工した右貯槽基礎地盤を保守管理すべき責任を負う同被告人としては、当然右階段基礎工事では貯槽底部下の基礎地盤までも掘削する場合のあることを予想し、貯槽底部下の基礎地盤を掘削した場合には、その後の埋戻し転圧も十分行うことができず、右掘削埋戻し部の地盤支持力を失わしめることとなる危険があったから、直ちに、石川島の工事現場責任者に対し、右工事の中止を申し入れたうえ、埋戻し後の転圧も十分に行えないような貯槽底部下の基礎地盤の掘削はこれを回避し、貯槽の安全性及び基礎地盤の支持力に影響を及ばさないような適切な方法をもって工事を行うよう要求すべき注意義務があるのに、これを怠り、同社の工事現場責任者に対し、何らの措置をもとることなく、その指揮監督のもとに東洋工務店の工事従事者らにおいて、右階段基礎設置のため、右貯槽底部下の基礎地盤を奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートルの範囲にわたって掘削し十分な埋戻し転圧をしないのを放任した

6  被告人Fは、同年九月一日ころから同月一〇日ころまでの間にわたり、東洋工務店の従業員横路丈平らを指揮監督して、同人らに前記階段基礎工事を行わせた際、階段基礎と貯槽側板との間隔が僅か44.5センチメートルしかないため、右工事において階段基礎の設置場所及びその周辺の基礎地盤を掘削するときには、貯槽底部下の基礎地盤までも掘削することとなるのを避けることができず、掘削後の埋戻しも十分な転圧が技術的に極めて困難であることを予め了知していたので、このような工事を遂行する場合には、右掘削箇所の貯槽底部が無支持状態のまま放置され、工事終了後も不十分な埋戻しのため該箇所の基礎地盤の支持力が失われた状態が続き貯槽の安全性に重大な影響を与える危険があったから、直ちに右工事を中止したうえ、石川島の工事現場責任者に対し、その旨連絡して同人から適切な工事方法についての指示を受ける注意義務があるのに、これを怠り、貯槽底部下の基礎地盤を掘削しても貯槽の安全上何らの問題はないものと軽信して、右の措置をとることなく、漫然横路らをして、貯槽底部下の基礎地盤を奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートルの範囲にわたって掘削せしめ、掘削後の埋戻しに当たっても、埋土を丸太で突き固める程度の不十分な転圧方法を講じただけの階段基礎工事を行わせた

各過失の競合により、三石において昭和四九年三月八日ころから右貯槽に脱硫C重油を貯蔵して使用を開始した結果、右直立階段近傍の貯槽基礎の掘削及びその後の埋戻し不十分なため、該箇所の沈下を促して貯槽底部との間に生じた間隙を拡大させ、右貯槽の直立階段に対面する側板とアニュラプレートとの内側隅肉溶接継手部に約六メートルの長さにわたり溶接金属の形状が凸型(アニュラプレート側趾端部の盛上り角約七〇度)の溶接がなされていたことなどと相まって、該箇所のアニュラプレート側趾端部に発生している亀裂を拡大せしめ、同年一二月一八日午後八時三五分ころ、右趾端部に沿って約一三メートル及び貯槽の中心に向かって約三メートルの長さにわたって破断するに至らしめ、貯槽外に流出した脱硫C重油により、基礎地盤を洗掘して右貯槽に取り付けられていた前記鉄製直立階段コンクリート基礎部もろとも押し出して倒壊し、更に、これが激突した東側防油堤をも破壊して右防油堤及びその破壊部から約四万二、八八八キロリットルの重油を製油所構内に流出せしめ、その一部約七、五〇〇キロリットルないし九、〇〇〇キロリットルを前記貯槽東側の道路を経て製油所南側の第九桟橋から直接海上へ、あるいは、地下の雨水排水溝もしくは石油精製活動に伴う冷却排水及び含油排水を集水する第二ガードベースンを経て排水口から海上へ流出拡散せしめ、同市水島地先の海上を航行する多数の小型船舶に対し、その機関冷却用海水の取入口から右重油を吸入させ、右機関の冷却機能を低下せしめて機関の焼付けによる航行不能の状態に至らしめ、その結果、他の船舶との衝突、あるいは座礁等による船体の破壊などの危険を生じさせ、もって、船舶の往来に危険を生ぜしめるとともに、右重油を岡山県地先等の海面において生育するワカメ、ノリ等の海藻類及びハマチ、カキ等の魚介類に付着させてこれらを死滅させるなど水産動植物に有害な物を同県地先の海面に漏せつしたものである。

二検察官の釈明

1  公訴事実のうち冒頭記載の「基礎工事」とは、土質調査及び水張りによる圧密促進工事を含む趣旨である。

2  同じく「石川島の施工する」とは、石川島が三石との直接請負契約により施工するという趣旨である。

3  同じく「プライム・コントラクター」とは、本件貯槽据付工事について、一応、形式は注文者―元請負人―下請負人の形をとっているが、実質は石川島及びトーヨーカネツが直接三石から請け負った工事につき、千代田が総合工程管理及び官庁申請手続等の一本化のほか、設計、加工、現場施工及び検査等について共通の基準及び規格に従って業務を行うよう各施工業者を指導し、実際の業務がそれらに則って行われるよう統制管理する限度で、三石に対して責任を負い、また、各施工業者も右統制管理に服するという特殊な契約形態であり通常の元請負人の関係とは趣を異にする。

4  同じく「設計図面等」とは、貯槽本体据付工事及びこれ付帯する工事に心要な基礎設計図及び実施設計図のほか、仕様書、構造計算書、施工要領書及び検査要領書等の関係書類をいう。

5  同じく「共通検査基準の制定等」とは、総合工程管理、総合安全管理、総合仮設の管理、共通諸基準及び規格の適用並びに官庁申請書類の作成提出等プライム・コントラクターとして行うべき業務を包括する意味である。

6  同じく「プロジェクト業務」の具体的内容は、本件貯槽建設工事に際し、貯槽基礎工事については、設計どおりに完全な貯槽基礎を建設するため現地工事担当者に適切な指示をするとともに、自社がプライム・コントラクターとして行う業務については、石川島から設計図書等を提出させて自社の貯槽担当者をして検討させ、又は自らこれを検討したうえ承認を与え、あるいは修正又は再提出を指示するなどの業務である。

7  同じく「完した」とは、貯槽基礎工事が、一応貯槽本体据付工事に着手できる程度まで進捗した状態であるが、なお水張り圧密工事及び仕上げ工事を残している状態をいい、その意味での完成時期は、昭和四八年四月一三日ころである。

8  同じく「保守管理すべき義務」とは、本体貯槽基礎を水張り圧密工事及び仕上げ工事まで終えて完成させ、注文者に引き渡すまで安全に保持し、いやしくもその完成及び安全性に障害を来すような事情が生じないよう管理する義務をいう。

9  同じく被告人Fにおいて「指揮監督する」とは、会社代表者として、一般的かつ抽象的意味から自社の工事従業者を指揮監督すべき立場にあったにとどまらず、自社の工事従業者に対し直接かつ具体的に指揮監督する業務に従事していたという趣旨である。

10  同じく「貯槽据付後も」とは、貯槽本体据付工事の主要な部分、すなわち、底板工事、屋根骨屋根板工事及び側板工事を一応完了し、水張り試験に着手できるようになった後もという意味である。

11  同じく「水張りによる圧密促進工事の途中において不用意に右貯槽底部下の基礎地盤を掘削し、その後の埋戻しが十分行われないときには、該掘削埋戻し箇所の地盤支持力を失わしめる結果となり」に関して、「掘削」と、「埋戻し転圧」は個々別々にとらえるべきではなく、両々相まって地盤支持力を喪失させたものとして、一体的にとらえるべきであって、貯槽底部下を掘削した後、掘削前に有した地盤支持力を回復させるに足りる程度に十分な埋戻し転圧が行われるならば、地盤支持力の喪失は生じないと一応いい得るが、現実に、本件の如き掘削が行われた状況の下では、十分な埋戻し転圧を行うことは、技術的に困難であるから、埋戻しを十分行えば、貯槽底部下を掘削してもよいことにはならない。また、「地盤の支持力を失わしめ」又は「地盤支持力のない」とは、地盤が底板を支持し得なくなる程度に陥没あるいは軟弱化することをいい、支持力がゼロの場合を含む。

12  同じく「海上を航行する船舶の往来に危険を生ぜしめるおそれがある」とは、一般に、漁船、作業船、高速艇及び水中翼船等のように、吃水の浅い小型船舶の場合には、重油が海面に浮遊している水域の中で機関を運転すると、水面下約二〇ないし三〇センチメートルの所に取り付けられている海水取入口が浮遊油を吸入し易く、たとえ海水取入口が浮遊油よりかなり深い位置にあったとしても、波浪や船体の動揺又は推進による船底下へのもぐり込み等により浮遊油を吸入する可能性もあり、その結果、機関の冷却能力低下、スケール付着、ライナー摩耗又は運転不調をもたらし、焼付及び亀裂発生等の故障を招き、遂には航行不能に陥らしめる危険が大きく、ひとたび航行不能となるときは、接近する他の船舶との衝突を回避することができず、また、相手方の船舶が大型船舶であれば、たとえ衝突しなくても、横波を受けて覆没する危険をも生ぜしめるおそれがあることをいう。

13  公訴事実1記載の「44.5センチメートルの間隔をおいて右貯槽の基礎地盤を掘削するときは、右貯槽底部下の基礎地盤までも掘削し」とは、適切な土留工法を用いない限り、貯槽底部下の基礎地盤までも掘削することになるという意味である。

14  公訴事実2記載の「貯槽の側板と階段基礎との間隔が僅か44.5センチメートルしかない」とは、土木工法上狭いという意味であるが、適切な土木工法を講ずる余地が全くないという趣旨ではない。

15  同じく「このような貯槽近傍に階段基礎を設置しようとするときは、右貯槽底部下の基礎地盤をも掘削し」とは、適切な土留工法を用いない限り、貯槽底部下の基礎地盤を深さ約1.7メートル、奥行約五〇ないし六〇センチメートル、幅約六ないし七メートル程度掘削することになるという趣旨である。

16  同じく「昇降梯子用基礎施工図」は、実施設計図に属する。

17  同じく「その後の埋戻しも不十分な工事を行わせた」とは、掘削埋戻しをする以上、掘削前に有した地盤支持力を回復させるに足りる程度の埋戻し転圧をすべきところ、右地盤支持力を回復させるに足りる埋戻しをしなかった点で、不十分な工事を行わせたことになり、もしそのような埋戻し方法が講じ得ないのであれば、貯槽底部下の掘削をしてはならないという趣旨である。

18  公訴事実3記載の「階段基礎工事を施工するに適する土留工法」とは、例えば、鋼矢板工法、木製矢板の横使い工法、縦打込式木製矢板工法等である。

19  公訴事実4記載の「貯槽近傍の基礎地盤を掘削することを認識しており」とは、T―二七〇の側板下付近まで掘削することになるのを認識していたという趣旨である。

20  同じく「一部施工した」とは、前記5の「完成した」と同じ趣旨である。

21  公訴事実末尾部分記載の「該箇所の沈下を促して貯槽底部との間に生じた間隙を拡大させ」たとは、階段基礎工事のための貯槽底部下の基礎地盤掘削と不十分な埋戻しにより「間隙」が形成され、その後の水張り水位の上昇と、更に貯槽使用中の油の出入れに伴う繰返し荷重によって、その間隙が拡大したという趣旨である。貯槽側板とアニュラプレートとの内側隅肉溶接趾端部における初期亀裂が発生した時点では、右溶接趾端部から約五ミリメートル離れた点(アニュラプレート上)において約五パーセント以上の歪を生ずる程度の間隙が形成されていた。その間隙は、側板から奥行約1.5メートル以上、円周方向に幅約三メートル以上程度となっていた。右初期亀裂が発生するに足りる程度の間隙は、階段基礎工事のための基礎地盤掘削時以降の段階で形成されたことは明らかであるが、貯槽破断時までのどの時点において形成されたかは心ずしも明らかでない。

22  同じく「凸型の溶接がなされていたことなどと相まって」にいう「など」とは、例えば、油の出入れに伴う繰返し荷重、温度変化その他亀裂拡大に何らかの影響を与えた複数の諸因子を包括する意味であって、必ずしも過失に基づくものに限らない。また、「相まって」とは、右凸型溶接がなければ貯槽の破断が発生しなかったという趣旨ではない。

23  同じく「アニュラプレート側趾端部に発生している亀裂を拡大させ」にいう亀裂とは、貯槽側板とアニュラプレートとの内側隅肉溶接趾端部の階段基礎台座の中心線に対応する部位(いわゆる青黒色破面の中心部)に発生し、これが拡大して、貯槽破断時には、円周方向に沿って長さ約一三メートル、この円周方向の破断部の中央付辺から貯槽の中心に向かって約三メートルにわたるT字型亀裂破断を生ぜしめたのである。右初期亀裂の発生時期については、水張り時(階段基礎工事のための基礎地盤掘削時)以降の段階であることは認められるが、貯槽破断時までのどの時点において発生したかは必ずしも明らかでない。初期亀裂の発生は、貯槽底部下における基礎地盤の支持力喪失によるものであり、右地盤支持力の喪失は、階段基礎工事のための貯槽底部下の基礎地盤掘削と不十分な埋戻しによりもたらされたものである。

24  同じく「東側防油堤をも破壊して右防油堤及びその破壊部等から約四万二、八八八キロリットルの重油を製油所構内に流出せしめ」にいう「破壊部等」とは、破壊された防油堤及びその付辺の破壊されていない防油堤を包括する意味であり、右約四万二、八八八キロリットルの重油のうち、T―二七〇号貯槽に貯蔵されていたのは、約三万六、六七七キロリットルで、残りの約六、二一一キロリットルは、隣接するT―二七一から逆流したものである。

第二弁護人の主張

一千代田関係弁護人の主張

被告人千代田、同A及び同Bの弁護人らは、概ね以下のとおり主張する。

1  本件タンクの破断原因は、タンク底部下の掘削及び埋戻し不良にあったのではなく、T―二七〇の破断部に相当する箇所に存した凸型の六パス溶接やアンダーカット、オーバーラップ等の溶接欠陥及び高温下の低歪速度効果によって、隅肉溶接継手趾端部の鋼材の曲げ変形能が低下したことにあるというべきである。

2  検察官の主張するプライム・コントラクターなる概念は、その内容自体明確でなく、まして、工事関係者の間で共通の理解があったものではないが、千代田は、T―二七〇の本体建設工事について、三石と石川島との間にあって、単に注文書を経由しただけの立場に過ぎず、石川島の請け負ったタンクに関する書類の窓口となり、各種の連絡をし、労働安全事務を担当するなどの事務的調整行為(窓口業務)を無償で好意的サービスとして行ったに止まり、検察官の主張するようなプライム・コントラクターとなる契約により、石川島の業務を指導し、統制管理する権限を持ち、注文者たる三石に対して義務を負ったことはない。確かに、Aは、石川島の提出したタンクの設計図面に承認印及びコメントを付して三石に送付しているが、これは、Aが三石建設部の井奥から個人的に頼まれて、注意を喚起する意味で行ったものであって、本来窓口業務とは無関係であり、承認等の権限に基づくものではない。実際に、Aの付したコメントを石川島が無視した例は多く、タンク建設工事に関してトラブルが発生した場合に、石川島は、千代田に諮ることなく、直接三石との間でこれを処理していた。何よりも、階段基礎工事の施工は、千代田の承認印の押されていない図面によって行われたのであって、このことは、石川島が自らの責任において千代田のコメントの採否を決定しており、千代田の「承認」にいかに重きを置いていなかったかを物語っている。したがって、Aの行った「承認」行為をもって同人の注意義務発生の根拠とすることはできない。

3  検察官の主張するプライム・コントラクターがいかなる意味に解釈されようとも、また、石川島の主張するように、千代田が石川島に対して元請人の地位にあったとしても、請負契約においては、雇用契約における使用者と労務者との関係とは異なり、請負人独立の原則により、注文者が請負人に対して指図する権限はあるが、命令する権限はなく、他方、請負人は注文者に服従する義務がないから、本件においても、タンク建設工事の請負契約上の当事者間において、互いに指揮監督上の権利義務を負担する関係はなかった。加えて、無償契約において無償性が債務者に対して責任軽減事由となることは、一般にわが民法の解釈上承認されており、また、本件の石川島のような責任設計施工をした下請人がある場合は、元請人において何らかの関与があったとしても民事上責任を負わないことは、東京高判昭和四七年五月二九日判例時報六六八号四九頁からも明らかであるところ、三石から無償で請け負ったとされる千代田は、民事上の責任すら負わないのであるから、まして、刑事上の責任を関係者が問われるいわれはない。更に、本件において三石と千代田、千代田と石川島との間に順次請負契約が成立したとしても、注文者の三石が元請人の千代田に対して下請人として石川島を起用することを指名したことは、民法六三六条の指図に該当するから、指名下請人の施工した工事につき元請人である千代田は、瑕疵担保責任を負担することはなく、この点からしても、千代田の担当者は、刑事上の責任を問われないというべきである。

4  直立階段は、タンク本体に必要不可欠な付属品であるから、石川島が三石から直接請け負ったタンク本体の建設工事の範囲に含まれることが明らかであり、階段基礎は、この直立階段の設置のために必要な工事であるから、同様に石川島の工事範囲であることは明らかである。しかも、直立階段は、同社の特許工法であるTAL工法に適するものとして考案されたものであって、同社は、タンク建設に関して競業関係にある千代田に右工法に関する情報を流そうとせず、Aらには右工事の当否を判断する前提となる資料が与えられていなかった。したがって、Aが石川島のタンクについて施工上の指示をすることは、到底不可能であった。

5  本件のようにタンク基礎業者とタンク本体業者が異なるときは、本体建設工事の開始前に発注者が基礎業者から盛砂部分の引渡し(直接占有)を受け、改めて本体業者に右部分を引き渡すのである。したがって、本件階段基礎工事が行われた時期は、千代田がタンク基礎を完成させて三石に引き渡し、更に、三石が石川島に引き渡した後であるから、その保守管理の責任は、直接占有者である石川島が負うべきであり、千代田のBがそれを問われる立場にはない。なお、タンクの水張りは、本来タンク本体の検査であるが、この荷重によって基礎地盤の深部の圧密が進むので、右圧密効果を利用したに過ぎない。千代田が水張り期間中に基礎業者として不等沈下を防ぐために残存沈下量を測定したことはあるが、このために盛砂部分を直接にも間接にも占有したことはない。

6  AやBの行為と結果発生との間には、前記の溶接欠陥のほかにも、余りにも多くの偶然の事情や三石の重大な過失行為が介在しており、因果関係や予見可能性は存しない。すなわち、事故発生時の三石係員のバルブ操作の誤りにより、T―二七一の重油約六、五〇〇キロリットルがT―二七〇の破断部から流出しているうえ、重油流出によって四〇トンもある直立階段が約二〇メートルも押し飛ばされ、防油堤と激突してこれを破壊し、この破壊口から重油が構内に流出するという希有の事情が存し、三石は、重油が流出し始めていることを知りながら排水放流口を閉塞せず、冷却水の放流を継続するという致命的不手際を演じているのであって、これらの事情を無視して、タンクの破断が直ちに重油の海上流出を招いたとすることは不当である。

7  本件において、航行する船舶の往来に対する具体的危険は、何ら発生していないから、過失往来危険罪は成立し得ない。

8  そもそも過失犯を処罰するためには特別の規定を必要とすることは、刑法三八条一項但書によっても明らかなところ、岡山県海面漁業調整規則三四条一項にいう「漏せつ」には過失による行為は含まれず、同規則には過失犯処罰の明文の規定がないので、本件行為は、同規則違反としては不可罰である。

二石川島関係弁護人の主張

被告人石川島、同C、同D及び同Eの弁護人らは、概ね以下のとおり主張する。

1  検察官の主張する程度の基礎地盤の掘削及び埋戻し不良によって本件タンクが破断することがあり得ないことは、技術的にも明らかである。本件タンクの破断原因は、タンク本体基礎に本質的欠陥があったためであると考えられる。すなわち、本件タンク基礎においては、栗石の上に砂が敷かれる構造となっていたため、砂が栗石の間に落ち込み、これが基礎地盤の局部沈下を引き起こして、油漏れによる初期洗掘の原因となった可能性がある。

2  石川島は、T―二七〇の本体建設工事について、プライム・コントラクターすなわち元請人である千代田からこれを請け負ったに過ぎず、三石との間で直接の契約関係は存しなかった。千代田が元請人として石川島を指導監督していたことは、Aが石川島の提出した設計図面にコメントを付して承認する作業を行い、また、千代田の係員が石川島のタンクの検査に従事していたことからも明らかである。

3  石川島の請負工事範囲は、タンク本体及び付属品本体等のいわゆる上物に限られ、基礎工事に属する直立階段基礎工事は、その範囲外である。このことは、石川島が三石との引合説明会において説明して三石の了解を得ていたことであり、千代田がプライム・コントラクターとなったことにより、同社にも引き継がれたものである。確かに、石川島は、東洋工務店に階段基礎の工事代金を支払っているが、これは、本来千代田の工事範囲に属する階段基礎工事を千代田が石川島に押し付けてきたため、石川島の営業担当者が、本体建設工事の遅延を防ぐため、やむなく、千代田が施工するが石川島が費用を負担するという形で妥協したものである。したがって、階段基礎工事は、他の基礎工事と同様に、三石から千代田が請け負い、熊谷組が下請をして、更に東洋工務店が孫請をしたものであり、石川島と東洋工務店との間に階段基礎建設の請負契約は存しなかった。

しかるに、捜査階段において、熊谷組や千代田等の各社の間で「熊谷組隠し」ともいうべき証拠隠滅工作が行われたため、石川島が三石からこれを請け負って東洋工務店に下請に出したかのような供述がなされたのである。

4  石川島のタンク本体建設工事の現場事務所長であったEの職務は、タンク本体の組立てと付属品(直立階段本体を含む。)の取付工事及びこれに必要な仮設工事の現場における管理に限られ、階段基礎工事の施工については、工事の統括あるいは現地工事担当者の指揮監督をすべき権限も責任もなかった。Cは、上物の設計担当者として本件タンク本体及び直立階段本体の設計を行い、階段基礎の設計を行うのに必要な情報を伝達するためのローディング・データとして昇降梯子用基礎図を作成し、これにタンクの側板と直立階段の中心線との距離等を記入して千代田に提出したところ、同社においてタンク本体基礎と階段基礎との関係及び距離等を十分検討のうえ、その内容を承認したものである。Dは、本来階段基礎の設計業務に何らの職責もなかったが、千代田からの依頼により、昇降梯子用基礎図なる設計図を作成したものであり、これについては、同社から、階段基礎の施工は同社が行うこと、タンク本体と階段との最短距離を44.5センチメートルとすること、タンク本体基礎と階段基礎との相互関係は考えなくてもよいこと(単体としての設計)が、条件として与えられていた。また、施工や施工管理に責任を有する者は、現場の具体的状況に応じ、土留め工法その他適切な施工方法を自己の責任において決定し得るものであり、特段の事情のない限り、設計者がその設計する設計図面等に施工要領を記載するなどの義務はなく、業界においてもそのような慣行はなかった。CやDは、専門の施工業者である千代田が基礎地盤の状況等を把握したうえ、適切な施工方法を決定して工事を遂行するものと信頼していたから、信頼の原則により、不適切な工事を防止するための措置をとるべき注意義務はなかった。

5  本件タンクの完成引渡し後の保守管理の責任は、ひとえにその所有者、事業主であって、消防法令上の危険物の保管責任者である三石にあるが、同社は、日常のタンクの点検管理を怠り、破断の前兆というべきタンクや基礎地盤の異状を発見し得なかったのであるから、その保守管理上の責任は重大である。タンクの破断後重油が流出し始めてからでも、三石が適切な措置を講じておれば、海上への流出は阻止し得たのに、三石操油課員がT―二七〇からT―二七一へのレベリングを行ったため、T―二七〇の内部が過度の負担となって大破断が生じ、直立階段を階段基礎もろとも押し飛ばして防油堤を破壊するに至り、また、T―二七一のバルブを開いたまま避難した結果、その中の重油約六、五〇〇キロリットルがT―二七〇を通じて流出し、更に、冷却水の第二ガードベースンへの重油の流入を防ぐことが可能であったのに、これをせずに放置し、G号道路上の放水を継続するなど、重油の海上流出を助長することすら行っており、これに加えて、消防本部等への事故の報告が遅れ、その報告内容も、流出量を過少に申告するなど不正確なものであって、これら事故発生後における応急措置の不手際が、被害の拡大の重大な原因となっている。したがって、被告人らの行為が本件事故を惹起するに至ることは、経験則上何人も予測し得ないばかりでなく、その間には三石の重大な過失行為が介在するから、被告人らの行為と本件事故との間には相当因果関係が存せず、予見可能性も存しないというべきである。

6  本件において、航行する船舶の往来に対する具体的危険は、何ら発生していないから、過失往来危険罪は成立し得ない。

7  そもそも過失犯を処罰するためには特別の規定を必要とすることは、刑法三八条一項但書によっても明らかなところ、岡山県海面漁業調整規則三四条一項にいう「漏せつ」には過失による行為を含まないと解するのが相当であり、同規則には過失犯処罰の明文の規定がないから、本件行為は、同規則違反としては不可罰である。

三被告人Fの弁護人の主張

東洋工務店は、熊谷組の専属下請業者として、全ての土木工事を熊谷組の傘下で行ってきたものであり、本件階段基礎工事も、熊谷組から請け負ったのであって、石川島から直接これを請け負ったことはない。本件階段基礎工事は、三石水島製油所構内における他の土木工事と同様、横路丈平ら東洋工務店の従業員数名が終始熊谷組の現場監督である別所稔と新井功の指揮及び監督の下で、同人らの指示に従って行ったものであり、被告人Fが指揮監督をしたことはない。東洋工務店は、右工事について熊谷組にいわゆる労務提供下請をしたに過ぎず、工事の施工主体ではなかった。したがって、Fは、階段基礎の施工に関して監督責任を問われる立場にない。

第三当裁判所の認定した事実

以下の事実は、概ね各当事者間に争いがなく、かつ、関係各証拠により認められるところである。

一被告人らの業務内容及び経歴など

1  千代田関係被告人

被告人千代田は、三石建設部から昭和二三年一月独立して設立された株式会社であり、肩書住所地に本店を有し、石油、石油化学等の産業用設備に関する土木、建設、電気、計装及び配管等工事の設計、施工及び監督管理等に関する事業を営み、昭和四八年一〇月当時の資本金は三五億二、〇〇〇万円であった。同社は、三石との密接な関係から、三石水島製油所において、MP―I以来建設工事に関与し、後記MP―Vにおいては、建設されるタンク一一基(T―二五二、二五三、二六〇ないし二六二、二七〇ないし二七五)全部のタンク基礎工事及びタンク三基(T―二五二、二五三、二六〇)の本体建設工事を請け負うとともに、少くとも形式上は、石川島の施工したタンク四基(T―二七〇ないし二七三)及びトーヨーカネツの施工したタンク四基(T―二六一、二六二、二七四、二七五)の各本体建設工事についても、三石から請け負って石川島及びトーヨーカネツにそれぞれ下請をさせた。千代田では、三石水島製油所内に専ら同製油所に関する建設工事及びメンテナンス等を担当する水島事業所を設け、本社の石油一チームの指揮監督下に置いていた。

被告人Aは、昭和三五年三月大阪市立大学工学部土木科を卒業した後、同年四月千代田に入社し、土建部土木課、水島事業所、国際事業本部MOC班等を経て、昭和四七年四月から事業本部第一事業部プロジェクトディヴィジョン・ナンバーワングループ第一石油プロジェクト石油一チームに所属し、MP―V当時は、右チームのスタッフ(幹部社員)として、同チームマネージャーの石塚和年の下で、同社が請け負い施工する前記タンク基礎工事等のプロジェクト業務(客先に対する技術的窓口となり、社内的には営業担当者と協力し、タンク及び土木等の各専門チームとの連絡及び調整を行う業務)を担当するとともに、水島事業所を指揮監督する業務に従事していた。

被告人Bは、昭和三八年三月東北大学工学部土木工学科を卒業した後、同年四月千代田に入社し、技術総合研究所研究第四部、水島事業所に所属し、MP―V当時は、水島事業所の土水工事担当者として、所長代理の安念誓治の下で、右タンク基礎工事の施工に関し、本社石油一チームの指示を受けて下請の現地工事担当者を指揮監督するなどの業務に従事していた。

2  石川島関係被告人

被告人石川島は、嘉永六年(一八五三年)官営の石川島造船所として発足し、明治二二年有限責任石川島造船所を経て、明治二六年株式会社東京石川島造船所となり、昭和二〇年石川島重工業株式会社に社名を変更し、昭和三五年一二月株式会社播磨造船所との合併により現在の社名となった。肩書住所地に本店を有し、船舶、艦艇、原子力機器及び産業用機械器具装置等の設計、施工及び監督管理等に関する事業を営み、昭和五〇年一月当時の資本金は、六二五億九、二九四万六、五五〇円であった。MP―Vにおいて、石川島は、T―二七〇ないし二七三のタンク四基の本体建設工事について、少なくとも形式上は千代田から下請をする形で、設計、施工及び監督管理を行った。

被告人Cは、昭和三五年三月相生産業高等学校を卒業した後、同年四月株式会社播磨造船所に入社し、同年一二月同会社が石川島重工業株式会社と合併した後はタンク等の設計に従事し、昭和四七年一〇月から化工機事業部タンク設計部タンク設計三課に所属していたものであるが、MP―Vにおいては、課長の宮本武夫らの下で、前記四基のタンクの設計担当者として、タンク本体及び付属品の設計業務に従事した。

被告人Dは、昭和四三年三月千葉大学工学部建築学科を卒業した後、同年四月石川島に入社し、昭和四七年一〇月から土建部プロジェクト室に所属して、化学プラント関係の土木建設工事に関する設計等に従事していたものであるが、MP―Vにおいては、右プロジェクト室課長の西浦英行、グループリーダーの大須賀哲夫の下で、右プロジェクト室の設計担当者として、前記タンクの階段基礎の設計の業務に従事した。

被告人Eは、昭和二五年四月石川島重工業株式会社に入社し、養成工として勤務する傍ら、石川島工業高等学校に学び、昭和二八年三月同校を卒業すると同時に同社の溶接工となり、昭和三七年四月化工機工事部に、昭和四二年四月からは工事本部第三工事部監督室に所属し、右第三工事部次長の佐々木和義の下で、各地の工事現場においてタンク建設工事等の現場監督の業務に従事していたものであるが、MP―Vにおいては、昭和四八年一月前記タンク四基の本件建設工事の現場事務所長に任命され、同年九月に帰任するまでの間、右工事を統括し、下請業者の現地工事担当者を指揮監督するなどの業務に従事した。

3  被告人F

被告人Fは、昭和三〇年ころから農業の傍ら人夫土工として稼働し、昭和三五年ころから熊谷組の下請会社で稼働していたが、昭和四二年六月独立して個人営業のF組を発足させ、翌四三年七月土木工事を事業目的とする有限会社東洋工務店(本店所在地岡山県倉敷市連島町亀島新田三五番地の一、昭和四九年一〇月当時の資本金四五〇万円)を設立して、その代表取締役となったものである。同社は、MP―Vにおいて、熊谷組からの下請でタンク基礎工事や様々な雑工事(詳細については、後記第四の三1(三)参照)を担当したほか、前記四基のタンクの階段基礎工事の実際の施工に当たった。

二階段基礎工事及びその背景事実

1  三石水島製油所

三石水島製油所は、岡山県倉敷市南端にある水島臨海工業地帯のほぼ中心部の同市水島海岸通り四丁目二番地に位置する石油精製施設であり、同工業地帯は、瀬戸内海沿岸に位置し、岡山県が昭和二八年ころから旧高梁川河口の三角洲と沿岸一帯の遠浅の海面を埋め立てて造成したものである。三石は、昭和三三年二月ころ右地区への立地を決定し、昭和三六年操業を開始したが、この間、第一期工事(MP―I)に着手して以来、数次にわたるプラント建設計画を実施して、設備を拡充してきた。同製油所は、原油から重油及び軽油等の燃料油、潤滑油並びにナフサ等の石油化学製品を多角的に生産し、製品を各地に出荷するほか、水島地区のコンビナート各工場にパイプラインで供給している。なお、同製油所内のタンク等設備の配置は、別紙図1のとおりである。

2  本件タンク建設に至る経緯

三石は、重油低硫化の社会的要請に応え、かつ、水島製油所の原油処理能力を日産約二二万バーレル(約三万五、〇〇〇キロリットル)から日産約二七万バーレル(約四万三、〇〇〇キロリットル)に増大させるため、昭和四六年重油直接脱硫装置及びこれに付帯するタンク等各種設備の建設を内容とする第五期建設計画(MP―V)を策定して、翌四七年建設工事に着手し、昭和四九年これを完成させた。

T―二七〇は、MP―Vのステップ1として右製油所内に建設された合計一一基のタンクのうちの一基で、形状は縦置円筒(ドームルーフ)型、高さ23.670メートル、直径(内径)52.302メートル、公称容量五万キロリットル(許可容量四万八、〇〇〇キロリットル)で、直接脱硫装置で脱硫された脱硫C重油の貯蔵用タンクであった。なお、T―二七一ないし二七三の三基も、形状は同一であったがT―二七一がT―二七〇と同一の用途であったのに対し、T―二七二及び二七三は、いずれも灯油貯蔵用のタンクであった。

三石は、右一一基のタンクを建設するに当たり、全てのタンク基礎工事及び配管等の付帯工事を一括して千代田に発注したが、タンク本体建設工事については、当初T―二七〇ないし二七三の四基を石川島に、T―二六一、二六二、二七四及び二七五の四基をトーヨーカネツに、T―二五二、二五三及び二六〇の三基を千代田に、それぞれ分割して発注することを内定した。三石は、昭和四七年八月から右三社と個別に引合説明会を開催し、見積りやそれに続く金額の折衝を行った結果、同年一〇月までに各社との間で、仕様、金額及び納期等の契約条件について合意を見るに至った。

千代田は、従前の三石水島製油所における建設実績を維持するため、石川島及びトーヨーカネツの施工する各四基のタンクの本体建設工事についても、少なくとも形式上は自社が三石から請け負った形とするよう三石に働きかけ、その結果、同年一〇月までに、同社も、既に石川島及びトーヨーカネツとの間で合意に達した工事金額及び仕様等を変更しないとの条件で、右千代田の要望を受け容れることとし、その旨石川島及びトーヨーカネツの各社に通知し、千代田はこれら各社との間でも契約書類を取り交わした(この契約関係の詳細については、当事者間に争いがある。)。

3  タンク基礎工事の概要

千代田は、T―二七〇を含むタンク一一基のタンク基礎工事を熊谷組に下請に出し、熊谷組は、更に右工事を東洋工務店等の各社に分割して発注した。

三石水島製油所の地盤は、もともと海岸の埋立地であったため、タンク基礎の建設に当たっては、地盤改良が不可欠であり、T―二七〇ないし二七二の三基のタンク基礎については、パックドレーン工法(網に詰めた砂の柱を地中に埋めて深部の粘土層等の中の水を抜く工法)及びプレロード工法(地盤の上に盛った砂の荷重により深部の粘土層やシルト細砂層の中の水を押し出す工法)等とともに、タンクの水張りにより基礎地盤の圧密(土層上にある期間荷重を加えることによって、間隙から水を追い出し、土粒子相互をより密に詰め、体積の減少を起こさせる過程をいう。)を促進する工法が用いられた。右圧密工法は、タンクの水張り試験の際に、予め基礎地盤の沈下状況を計算したうえ、約九五日間かけて最高二四メートルまで徐々に水位を上げるというのである。T―二七〇のタンク基礎の形状は、別紙図2のとおりである。なお、盛砂基礎は、中心部が周辺部よりも沈下が進むことを考慮して、予め約三〇〇ミリメートル高く整形され、0.66度の傾斜が設けられている。

右工事は、地質調査(ボーリング)の後、①沈下板設置及びパックドレーン用砂敷き、②パックドレーン打設、③ウェルポイント及びバキューム・ディープウェル(いずれも水をくみ上げる装置)の設置並びに揚水、④プレロード用盛土(約4.5メートル)、⑤盛土撤去(盛土を約1.5メートル残して、盛砂基礎とする。)、⑥盛砂基礎転圧、⑦砕石リング敷き、⑧表面砂敷き、⑨コンクリートブロック敷き、⑩重油散布、⑪タンク水張り、⑫仕上げ工事(アスファルトモルタルの塗布)という順序で行われ、T―二七〇では、昭和四七年一〇月三〇日に始まり、昭和四八年一一月一九日に終了した。

ちなみに、T―二七三のタンク基礎については、バイブロコンポーザー工法(基礎中に打ち込んだ砂の柱によって荷重を受ける工法)が用いられた。

4  タンク本体建設工事の概要

石川島は、T―二七〇ないし二七三の四基の本体建設工事を、新たに自社で開発したTAL法によって行った。これは、タンク建設工事の際の高所作業をできるだけ減らし、作業の安全確保を図るために考案されたもので、在来の工法ではタンクを下から上へと組み立てるのに対し、タンクを上から下へと組み立てる点に特徴を有する。すなわち、TAL工法においては、①タンクの底板を溶接して完成させ、②地上において側板の上部三段及び屋根を組み立て、③これを空気圧を使ってバランスをとりながら浮上させ、④四段目、五段目と順次側板を組み立てては浮上させ、⑤全段の浮上が終了した後に最下段の側板と外周部のアニュラプレート(底板のうち側板の載るタンク底周辺部の板)とを溶接して、タンクを完成させるものであり、在来の工法とは異なり、空気を吹き込む装置(ブロアー等)、空気を逃さないためのシール装置及び浮上中の平衡を保つためのイコライザーが必要となる。更に、本件では、タンクが盛砂基礎上に建設されたため、空気の送風と作業員の出入りのためにTAL箱といわれる鉄製の箱が設置された。本件以前にTAL工法が採用された例は、株式会社化成水島の七、〇〇〇トンブタジェンタンクで一件あるものの、同タンクは、コンクリートスラブ上に建設されたもので、盛砂基礎上に建設されたのは、本件が初めてである。タンク本体の形状の概要は、別紙図3のとおりである。

右タンクには、側板の最上段に厚さ八ミリメートルの一般構造用圧延鋼材SS四一、それ以下の側板に厚さ八ないし二七ミリメートル(下に行くほど厚くなる。)の高張力鋼HW五〇、アニュラプレートに厚さ一二ミリメートルの右高張力鋼、底板に厚さ九ミリメートルの右圧延鋼材がそれぞれ用いられた。

右工事は、昭和四八年四月一六日に始まり、同年一二月一日に終了した。

5  階段基礎の設計

石川島は、右四基のタンクに取り付ける階段について、従前広く行われていた回り階段(タンクの側板に直接板を溶接してらせん状の階段とするもの)に代えて、鉄製の直立階段の採用を三石に推奨し、三石部内で検討した結果、ジグザグ型の直立階段を取り付けることが決まった。

石川島で右タンク四基の設計に当たった被告人Cは、その付属品である直立階段も設計し、同年一二月一二日付けで階段基礎の地上部分の形状等の記載はあるが鉄筋や地中部分の記載のない昇降梯子用基礎図を作図した。右基礎図は、これに基づいて直ちに施工を行うことのできないものであり、当初、石川島では実際の施工ができるように設計図を作成する予定はなかったが、設計図の作成及び階段基礎の施工を石川島と千代田のどちらで行うかについて、その後、右両社の間で、互いに相手方に押しつけ合う事態が生じたため、交渉の結果、少なくとも設計図は石川島において作成することになり、土建部プロジェクト室の被告人Dが責任者となって、構造計算をもとに鉄筋等の記載のある昇降梯子用基礎施工図と称する設計図を完成させた。右図面は、別紙図4のとおりである。右直立階段の大きさは、縦1.8メートル、横3.3メートル、高さ24.2メートルで、その階段基礎の大きさは、縦2.3メートル、横5.37メートル、厚さ1.3メートルで、階段基礎を含めた直立階段の総重量は、約四〇トンであった。

なお、TAL箱の設置についても、階段基礎の設計及び施工と同じく、石川島と千代田のいずれが行うかをめぐってやりとりがあったが、結局、千代田が行うこととなり、熊谷組が千代田からこれを請け負い、東洋工務店を使って右工事を行ったが、熊谷組から千代田、千代田から石川島への請負代金の請求は、いずれもなされなかった。

6  階段基礎の施工

右タンク四基の階段基礎工事は、東洋工務店が請け負って施工した(その元請人が誰であったかは、後に検討する。)。右工事は、まず、T―二七二及び二七三について、昭和四八年八月三日ころ始まり、中断をはさんで同月二六日ころ終了し、T―二七〇及び二七一については、いずれも同月三一日ころ始まり、同年九月一〇日ごろ終了した。階段基礎工事の行われた時期は、丁度タンクの水張りの行われていた時期に当たり、各タンクには水位約一二メートルの水が張られていた。

右工事は、①掘削の位置決め及びレベル決定、②荒掘り及び余掘り③栗石敷き、④捨てコンクリート打設、②墨打ち、⑥鉄筋組み、⑦ベースコンクリートの型枠組み、⑧その打設、⑨立上りコンクリートの型枠組み、⑩その打設、⑪型枠外し、⑫埋戻しという順序で行われた。掘削は、階段基礎の縦横の寸法にそれぞれ約五〇センチメートルの余掘りをした範囲で行われ(底板下の奥行については、後に認定する。)、深さは約1.7メートルであった。また、掘削の際には、タンクの底板下の二段のコンクリートブロックが外され、その下方に設けられた砕石リングの一部が削り取られた。埋戻しは、砕石、砂及び山土を混合した埋め土を少しずつ入れては丸太や角材で突き固めるという方法で行われた。

なお、階段基礎の施工は、実際には昇降梯子用基礎施工図のとおりでなく、例えば、四基とも箱抜き穴が八個から四個に変更され、T―二七二及び二七三においては立上りコンクリートの厚さが設計の約半分に減らされたうえ、周りに設計図にない円弧状のコンクリートが付けられ、T―二七二においては捨てコンクリートが二重に敷かれるなどした。

三本件事故の発生及びその前後の状況

1  T―二七〇の使用経過

T―二七〇は、昭和四九年三月八日に油入れを開始し、同年五月一四日から本格的に使用された。その後、油面は、22.357メートルを最高とし、約四メートルを最低として、一八回の上下を繰り返し、同年一二月一八日に一九回目の上昇中に、本件事故が発生した。この間のタンクの内の油温(タンク底部から一メートルの高さの点における測定値)は、摂氏一〇八度に達したことが一回あるものの、概ね六五ないし九五度の範囲内で推移した。

2  三石水島製油所におけるタンクの管理体制

三石水島製油所においては、昭和四九年当時、製油部操油課油槽係がタンク内の油の在庫管理、温度管理、バルブの開閉及び稼働中の装置の保守点検等の業務に当たり、T―二七〇は、軽油及び重油等のタンク約七〇基を管理する第二ヤードの担当であった。第二ヤードは、四つの直が一日二交代で業務に従事し、各直には直長以下七名の直員が所属していた。

第二ヤードの直員によるパトロールは、自動車で担当範囲を巡回して、主にタンクのポンプやミキサー等の機器の異常の有無を点検するというものであったが、油漏れの有無については、見える範囲で視認し、窓を開け放った自動車から油臭を覚知するなど、五感の作用によって認識するに止まり、特別の点検は行われなかった。夜間の直においては、午後八時から翌日午前八時三〇分までの勤務時間中、三時間ごとにパトロールを行っていた。

3  事故発生前後の状況

昭和四九年一二月一八日の夜間は、青木直長以下七名の直員が勤務に就き、同日午後八時一五分ころから午後八時四〇分ころにかけて行われた定時パトロールにおいては、T―二七〇の周辺での油漏れ等の異状は発見されなかった。当時T―二七〇は、直接脱硫装置から脱硫重油を毎時287.8キロリットルの割合で受入れ中であり、T―二七一は、T―三九及び九五から受け入れて混合した油をT―二二〇へ払出し中であった。

同日午後八時四〇分ころ水島製油所構内を巡視中の保安員がT―二七〇の直立階段付辺から重油が鉛直方向に噴出しているのを発見し、ヤードコントロール室には、午後八時四五分ころ同タンクがオーバーフローしているとの情報がもたらされた。青木直長は、同タンクの液面が低下していたことから、同タンクから油が漏れていると判断し、数名の直員とともに、午後八時五〇分ころ現場に駆け付けた。

青木直長は、現場において、まず、脱硫重油の受入れタンクをT―二七〇から隣接のT―二七一へ切り換えるよう直員に指示してバルブ操作を行い、次いで、T―二七〇と二七一との液面の高低差を利用して前者に残留した油の量を減らそうと考え、直員に前者から後者へのレベル移動のためのバルブ操作を指示し、この結果、午後八時五五分ころ一二インチ・ランダウンライン(直接脱硫装置からタンクに重油を受け入れるパイプライン)を通じて右両タンクがつながった。更に、同直長は、T―二七〇に残留した油をT―九九へ移送しようと考え、そのための準備を直員に指示した。これに基づいて直員がT―二七〇のサクションライン(他のタンクへ重油を払い出すパイプライン)の元バルブを開き、この結果、二四インチ・サクションラインを通じて右タンクとT―二七一がつながった。午後九時五分過ぎにT―二七〇内が過度の負圧状態となったため、同タンクの天井が陥没し、同タンクが大音響とともに破壊するとともに、大量の油が水平方向に噴出し、直立階段が足下をすくわれた格好で、振り子のように回転しながら、階段基礎もろとも南東方向に約19.1メートル押し飛ばされ、防油堤(鉄筋コンクリート造、高さ1.5メートル)に激突してその一部を幅7.3メートル、高さ最大約1.0メートルにわたって破壊し、この破壊部から油が防油堤外の製油所構内へ流出した。なお、直立階段及び防油堤の倒壊状況等は、別紙図5のとおりである。

4  重油の流出状況

T―二七〇の破壊の直後、青木直長は、直員らに避難を命じたため、同タンクのランダウンラインのヘッダーバルブが閉じられたほかは、バルブが開放されたまま放置され、同タンクT―二七一とを結ぶサクションラインを通じて、T―二七一に残存した重油が、同日午後一一時一五分ころ右ラインのバルブが閉じられるまで、T―二七〇に逆流し同タンクを通じて流出した。この結果、同タンクから約四万二、八八八キロリットルの重油が流出したが、うち約六、二一一キロリットルがT―二七一から逆流した重油と推定される。

防油堤外に流出した重油は、製油所構内の約一四万八、三〇〇平方メートルの範囲に拡散したが、その一部は、同日午後九時三〇分ころから海上へ流出した。その経路は、T―二七〇の東側を南北に走るG号道路の地下雨水排水管に流れ込んで、同製油所南西端の第二排水系の含油排水及び冷却排水等を集水する第二ガードベースン(排水に有害物質が含まれていないかを監視するために、排水を一時ためにおく貯水池)あるいはその近くの排水ピットに流入し、排水樋門を経由して、排水管から流出するか、あるいは、G号道路を南に流れて、第九桟橋のコンクリートの継ぎ目や排水用の穴等から流出したものである(別紙図1参照。なお、水島製油所では、第二排水系とは別に第一排水系があり、第二ガードベースンには第二排水系の排水が流れ込んでいるが、両排水系は、分水嶺のような箇所でつながっている。)。海上への推定流出油量は、七、五〇〇ないし九、五〇〇キロリットルである。

水島海上保安部や水島港湾災害対策協議会は、川崎製鉄切込湾港の入口部分や水島港入口周辺数箇所にオイルフェンスを展張し、重油の拡散防止に努めたが、海上に流出した重油の量に比してオイルフェンスの量が不足したことに加え、切込湾港内に錨泊中の船舶が避難命令によって湾外に脱出する際に、既に展張されていたオイルフェンスの一部を切断したことなどから、重油の流出を食い止めることができなかった。なお、オイルフェンス展張の状況は、別紙図6のとおりである。

流れ出た重油は、水島港口から瀬戸内海へと拡散し、日時の経過とともに、岡山県沿岸をはじめ、小豆島沖、鳴門海峡を経て、香川県、徳島県及び兵庫県等瀬戸内海東部一帯の海峡に拡散した。重油の拡散状況は、別紙図7のとおりである。

5  水産動植物の被害状況

本件流出油の影響により、前記の各海域で養殖中のワカメ、ノリ等の海藻類及びハマチ、カキ等の魚介類が大量に死滅し、或いは油臭が付着するなどして商品価値を失い、この結果、岡山、香川、徳島及び兵庫の四県における魚業被害の総額は、約一〇九億二、七二六万円余にのぼった。

第四被告Fの監督責任について

一問題の所在

本件階段基礎工事の施工主体が誰であったかについて、各被告人間、特に千代田と石川島との間に鋭い見解の対立があることは、既に見たとおりである。右の点をめぐる両社の対立はさておき、右工事で直接施工に携わった東洋工務店が施工主体であったかどうか、ひいては被告人Fが階段基礎工事の施工に関して監督責任を問われる立場にあったかどうかを、以下、被告人Fの関係で検討する。

二東洋工務店関係者の供述の概要

1  検面供述の概要

F並びに横路丈平、植田知行、浦田武男及び小倉杢治ら東洋工務店関係者は各検面において、概ね一致して検察官の主張に沿った供述をしている。すなわち、「昭和四八年七月中旬ころ熊谷組の三石作業所長の細戸昭男がFに架電してきた。その内容は、熊谷組が石川島から階段基礎工事を請け負う話を持ちかけられ、予算が折り合わなかったので断ったが、東洋工務店の方で引き受ける意思があれば石川島と折衝してはどうかというものであった。Fは、従業員の植田に見積もらせたところ、石川島の希望する九〇万円で出来るとのことであったので、東洋工務店で請け負うこととし、その旨植田が石川島の現場事務所長のEに伝えた。横路は、Fの指示により階段基礎工事の現場監督となり、植田から図面を受領した。掘削の方法や程度は、横路が現場で指示したが、Fも一日一回は現場を訪れ、掘削の際のブロックの取外しや天端の高さの決め方、埋戻しの方法等について横路らに指示した。横路は、熊谷組係員の新井功を介して、石川島の工事担当者に階段基礎の位置を決めてもらい、天端の高さを教えてもらうなどした。工事が終わった後、植田が請求書を石川島の現場事務所に持参し、Eに手渡した。」という内容である。

2  公判供述の概要

これに対し、Fをはじめ横路ら東洋工務店関係者は、公判廷においては、いずれも右検面供述を翻し、概ね一致して次のとおり供述もしくは証言する。すなわち、「東洋工務店は、熊谷組の専属下請として三石水島製油所等の現場での土木工事の労力提供をしていたが、階段基礎工事も、他の工事と同様に、熊谷組から資材を提供されて請け負った作業の一つである。細戸からFに対して、電話で階段基礎工事をするようにとの要請があったが、これは、作業員確保に関する事務連絡のついでに出た話であり、石川島から東洋工務店が直接請け負ってはどうかという話ではなかった。昭和四八年七月二二日か二三日ころのいわゆる三時会の席上、熊谷組の現場監督である別所稔から横路に対し、八月初めから階段基礎工事に取りかかるようにとの指示があり、階段基礎の図面も、その場で別所から渡された。階段基礎工事の現場監督は、別所及び新井で、右両名が掘削等の作業やその中断を指示し、自ら測量や検査を行ったのであり、横路は、東洋工務店の世話役として作業員を割り振る仕事をしていたに過ぎない。階段基礎工事の施工中、Fは、現場での掘削作業を二、三回見たことがある程度で、毎日現場を訪れたことはなく、作業員に具体的指示を与えたこともない。同年九月一〇日前後に東洋工務店経理係の谷野正子が植田とともに熊谷組に前月の出来高精算のための交渉に行った際、細戸の査定額では東洋工務店に一〇〇万円前後の赤字が出ることとなったので、谷野が赤字の補填を要請したところ、細戸が石川島から入金予定の階段基礎工事の代金九〇万円を同社に直接請求すればよいと指示したので、植田が細戸から渡された見積書の数字を手直しし、これに基づいて谷野が石川島宛ての請求書を作成し、これを植田が石川島のEの許に持参した。捜査段階では東洋工務店が石川島から直接請け負ったなどと虚偽の供述をしたのは、Fが事故後間もない時期から熊谷組の細戸らから注文書等を盾にとって東洋工務店で責任を被るよう圧力を受けたため、当時東洋工務店が仕事を熊谷組に全面的に依存していた関係上、仕事を失って会社が倒産することを恐れたFが、熊谷組を庇うため直接施工に携わった東洋工務店が身代わりとなって責任を被ることを決意し、Fの指示に基づいて横路ら従業員が取調べの前に口裏を合わせて、偽りの供述を行ったからである。公判で捜査段階の供述を翻したのは、Fが従業員を集めて、法廷では真実を述べるよう諭したからである。」という内容である。

三東洋工務店の営業内容等の検討

1  前提となる事実

東洋工務店の沿革やMP―Vにおける担当業務等については、既に認定したところであるが、関係証拠によれば、東洋工務店の本件当時の営業の実態について、更に、以下の事実を認めることができる。

(一) 東洋工務店には横路、植田ら幹部社員が約一〇名、常雇いの人夫が約三〇名、臨時雇いの人夫が約一五名おり、幹部社員は、それぞれ後記の各工事現場の工長(世話役)となって、人夫の割振りや熊谷組の係員との連絡に当たっていた。同社の保有機材としては、ユンボやブルドーザー等の重機はあったものの、レベルやトランシット等の測量用器材はなかった。

(二) 東洋工務店は、熊谷組の協力業社で構成する「熊栄会」の会員であり、熊谷組から鉄筋や生コンクリート等の資材の供給を受けて、専ら同社に労務を提供する形で仕事をしており、同社から指示された仕事について、事実上諾否の自由はない状態であった。

東洋工務店の従業員の多くは、常雇い、臨時雇いを問わず、岡山県中部に在住する兼業農家又はその出身者であり、重機を操作できる者はいたが、安全管理上の資格を持った者はおらず、工業高校卒業の門木正志や元熊谷組従業員の植田を除いては、工事の施工に伴う設計をしたり、工事の仕様を決定したり、レベルやトランシット等を操作して測量を行う能力のある者もいなかった。このため、タンク基礎工事においては、熊谷組工事係の別所や新井が現場監督として作業の指示、施工要領の決定及び測量等を行い、東洋工務店の従業員がその指示に基づいて作業をしたり、測量の補助等を行った。

(三) 東洋工務店が熊谷組から三石水島製油所内で請け負う土木工事には、本工事と雑工事と呼ばれるものがあった。本工事は、防油堤建設工事等の付帯工事を含むタンク基礎工事であり、他方、雑工事は、三石水島製油所の現地で発生するポンプ基礎工事やパイプサポート工事等の種々雑多な土木工事で、出向社員の植田が窓口となって熊谷組が千代田から請け負い、熊谷組から東洋工務店がほぼ一手に下請をしていた。雑工事では、少数の例外を除けば、事前に契約書を取り交わしたり見積書を提出することはなく、熊谷組三石作業所で毎日翌日の作業等を打ち合わせる通称「三時会」の席上、熊谷組の細戸や別所らから工長が指示されて初めて仕事の内容が明らかになり、東洋工務店の作業員がこれに従って仕事を行うのが通常であり、その件数は、大小合わせて一か月に約三〇件、金額にして約四〇〇万円に上り、事後的に出来高精算の段階で形式を整えるため注文書が交付されていた。

東洋工務店では、毎月末に締め切った一か月分の労務賃や資材等の商店支払いの経費の原価計算をもとに本工事分と雑工事分に分けて出来高として請負代金を算出したうえ、翌月一〇日過ぎに経理係の谷野が熊谷組三石作業所長の細戸に請求し、他方、熊谷組では、本工事については工事の進捗状況に応じて実行予算の範囲内で毎月の代金を査定し、雑工事については一か月間に終了した工事の分を一括して査定したうえで精算する方式をとっていたが、細戸が谷野との交渉により東洋工務店の実情に応じて金額を上積みすることもあった。

(四) 東洋工務店は、三石水島製油所内での本工事及び雑工事のほかにも、山陽新幹線の笠岡トンネルの掘削工事及び水島地区の下水道工事を熊谷組から、三石水島製油所内の焼却炉工事を株式会社大本組からそれぞれ請け負い、並行して行っていた。このうち、焼却炉工事は、三石構内において熊谷組以外の業者から受注した殆ど唯一の仕事であり、Fが特に細戸の了解を得て受注したものである。

東洋工務店では、畠山義雄が本工事の工長、横路が雑工事の工長であったが、昭和四八年八月に畠山が他の現場に移ってからは、横路が本工事の工長を兼任した。一方、熊谷組では、本工事については別所が責任者、新井がその補助者であり、雑工事については所長の細戸が責任者を兼ね、出向社員の植田が補助者であった。

(五) 東洋工務店では、熊谷組からの要求により植田、沖章史及び沖元輝夫らを水島製油所構内にある熊谷組三石作業所に常駐させており、これらの者は、熊谷組から作業服やヘルメット等を支給され、熊谷組の現場監督の補助等の仕事に従事していた。

以上の事実によれば、東洋工務店と熊谷組との関係は、相当に密接なものであり、前者はいわば後者の丸抱えの専属的下請業者であったと見るのが相当である。

2  東洋工務店の施工能力について

既に認定したとおり、東洋工務店は、Fが個人営業で熊谷組に人夫供給をしていた沖組が独立して一年後の昭和四三年七月に法人成りしたものであるが、前記認定の東洋工務店の人的及び物的水準からして、土木工事を事業目的とするといっても、ごく単純な作業は別として、単独で工事を仕上げるだけの能力があったとは認め難く、沖組当時の人夫供給業と質的に大差のないいわゆる労務提供型下請業者であったと見るのが相当である。

階段基礎工事は、確かに土木工事としては比較的単純な部類に属するが、それでも、横路証人の証言(一九回一六丁裏―一七丁表)によれば、右工事においては、設計図に基づく掘削や捨てコンクリート打ち等の作業の際には測量が不可欠であると認められるから、単独で測量を行う能力を有しない東洋工務店が、このような技術を要する階段基礎工事を請け負うことに無理があることは明らかである。この点に関し、横路は、51.6.15検面(一三丁裏)で、栗石や捨てコンクリートの厚さを穴の中に棒を立てて印をつけて指示した旨供述するが、こうした方法では到底設計図に基づく正確な施工は困難である。

なお、被告人Bは、公判廷において、東洋工務店から千代田に対し直接土木工事を請け負いたい旨の申入れを受けたことがあるが、千代田では補償等の問題があるので、熊谷組等の大手企業のみを下請業者として使うことにしており、東洋工務店からの申入れは断った旨供述する(八〇回七二丁裏―七三丁裏)。このことは、千代田と同じく一流の技術力をもった大企業である石川島についても妥当するというべきである。したがって、東洋工務店の技術水準を知っていたとは認められない石川島が、階段基礎工事を東洋工務店に下請に出すとすれば、予めその技術力を調査したうえ、自ら工事の仕様等を決定し測量等を行い得る技術力をもった業者を間に入れるのが通常であると思われるのであり、そうした調査も行わず、そのような業者を中間にも入れずに、直接東洋工務店のような零細な業者に工事を発注することは、建設業界の常識からして考え難いことといわねばならない。

四客観的証拠の検討

1  昇降梯子用基礎施工図について

階段基礎工事の施工に使われた昇降梯子用基礎施工図(検六二一)には、余白に数字の計算のメモ書きや方位を表す円やコンクリートの七日強度の書込み等が認められる。西浦英行証人(四一回六二丁表―六三丁表)及び植田証人(一七回二三丁表)の各証言によれば、これらの書込みは、現場監督等ある程度の技術を持った者でなければ書くことのできない性質のものであり、東洋工務店の一般の土工がこれらを理解することは、困難であると認められる。前記のとおり、東洋工務店関係者の検面では横路が現場監督とされているから、同人が立場上この書込みをして作業員に指示を与えたこととなるが、同人の検面には、自分が書込みをした旨の供述はおろか、これに関する供述が全く欠如している。そもそも、Fは、51.10.28検面(八丁裏―九丁表)において、横路が東洋工務店で働くようになってから三年位しか経っておらず、元は農業をしていた者で、土木工事の施工技術上の問題については皆目判らないという状態であった旨供述するほどであるから、同人にはこの書込みをする能力はなかったものと認められる。したがって、同人が階段基礎工事の現場監督であったと見ることには、無理があるといわざるを得ない。

なお、右図面には「NOTES」として、「3施工場所についてはIHI現場係員の指示による」、「4アンカーボルト箱抜き充填グラウトはIHI現場係員の指示による」との記載があり、これらは、石川島の係員が施工に関して下請業者に直接指示した証拠であると見れなくもない。しかし、中沢定彦証人の証言(二五回三九丁裏―四二丁裏)及び被告人Eの公判供述(五四回九九丁表―一〇二丁表)によれば、新井が石川島の現場詰所にT―二七二及び二七三の階段基礎の中心を聞きに来たので、Eが付属品配置図を渡したところ、新井がそれでも判らないと言って再度聞きに来たので、Eの指示により石川島係員の中沢と下請会社の古川由夫が現場に赴き、タンクの側板に階段基礎の中心線の罫書き(芯出し)をしたこと、T―二七〇及び二七一については、右両名が予めタンクの側板に階段基礎の中心線を罫書きしておいたことは認められるものの、それ以外に石川島の係員が右の記載に基づいて施工上の指示をした事実は認められない。

結局、右図面の書込みは、横路証人(一九回五八丁裏―五九丁表)や植田証人(一七回二三丁裏)が証言するように、熊谷組工事係の別所及び新井が階段基礎の施工に関して、東洋工務店の作業員に指示するにあたり、技術的検討を加えるためあるいは施工要領を説明するために行ったと見るのが、既に認定した東洋工務店と熊谷組との関係に照らしても自然であり、これを否定する別所及び新井の各証言は、後に見るとおり、信用することができない。

2  作業日報について

本件当日、東洋工務店が作成していた作業日報は二冊あり(検六一九及び六二〇)、これらには、当時の東洋工務店の臨時雇いを含む各作業員の毎日の主な作業内容、勤務時間、日当等が記載されている。そして、被告人Fの公判供述(五二回一六丁裏―二〇丁裏)及び細戸証人の証言(一三回一八四丁表―一八六丁裏)によれば、これらの日報は、単なる賃金計算のための東洋工務店の内部資料に止まるものではなく、熊谷組の三石作業所内での作業員の労務賃を算出して熊谷組との間で毎月の出来高を精算するための資料でもあり、この写しが熊谷組にも提出され、これによって熊谷組が東洋工務店の作業員の勤務状況を把握していたことが認められる。

ここで注目されるのは、前者の日報に作業内容として階段基礎工事が他の工事と何ら区別されずに記載されていることであり、これは、階段基礎工事が、他の工事と同様に、東洋工務店が熊谷組から指示されて行った作業の一つであることを窺わせる事実というべきである。確かに、右日報には、例えば、九月六日欄に「焼却場(大本)」、九月一三日欄に「ポンプ車(大本)」という記載があり、熊谷組以外の業者から請け負った工事も記載されているが、逆に、階段基礎工事については石川島の工事であることが表示されていないのであって、このことは、当時右日報を記載していた横路が階段基礎工事を石川島から請け負った工事と認識していなかったことを推認させるものである。

3  請求書、注文書及び振込送金について

(一) 階段基礎工事については、東洋工務店から石川島宛ての請求書(検六三五)及び石川島から東洋工務店宛ての注文書(検六三七)が存在し、これに基づいて石川島から東洋工務店宛てに振込送金が行われていることが認められる。このような請求と送金の事実があれば、通常は両当事者間に直接に契約が成立したことが推認されるものであり、東洋工務店が石川島から直接請け負ったとする検察官の主張の最大のより所となるものといってよい。

しかし、右請求書は昭和四八年九月一四日付けで、右注文書は同月二七日付けでそれぞれ作成され、互いに相手方に送付されているのであって、本来工事着工前に作成されるべき注文書が、工事終了後、請求書の提出後になって作られているのは、何らかの特別の事情の存在を窺わせるものである。こうしたことは、東洋工務店と熊谷組のように、従前からの継続的契約関係のある業者間では決して珍しいこととはいえないが、石川島と東洋工務店との間には、証拠上、継続的契約関係はもとより、従前からの取引関係も認められない(TAL箱埋殺し等については、後に検討する。)から、この間の事情が説明されない限り、到底両者間の契約の成立を認めることはできない。しかるに、後に見るように、東洋工務店関係者の検面には、この点に関し何らの説明もないばかりか、階段基礎工事の下請契約に関して石川島との間で事前の交渉を行ったことすら現れていないのである。

この点について、被告人Eの公判供述(五六回一三六丁裏―一三七丁表)及び前記注文書の記載等によれば、東洋工務店から石川島宛に直接請求書が提出されたものの、同社の内部手続上、それだけでは代金を支払うことができず、工事注文書や工事請書等を揃える必要があることが判明したため、石川島の用紙を用いて東洋工務店がこれらの書類を事後的に作成したものと推認することができる。また、被告人Fは、公判廷において、熊谷組に言われて知らない業者に金銭を支払ったことがある旨供述するが(五一回三七丁表)、このように建設業界の実際の取引においては、業者間の都合により、当事者以外の業者からの弁済によって決済することも、決して珍しくないと認められるのであって、代金決裁に関する一連の事実は、むしろ東洋工務店関係者の公判供述によりよく沿うものというべきである。

(二) 東洋工務店から石川島宛てに請求書が出され、石川島から東洋工務店に振込送金がなされたのは、階段基礎工事の件が初めてではない。すなわち、請求書三通(検五一二ないし五一四)及び総合振込通知書二通(検五二四、五二五)によれば、昭和四八年六月一五日付け、七月一五日付け及び八月一五日付けで、東洋工務店から石川島宛に三通の請求書が提出され、これらに基づいて、同年九月及び同年一〇月の二回に分けて、東洋工務店の銀行口座にこれらに対応する金額が階段基礎工事の代金九〇万円と合わせて振り込まれていることが認められる。右三通の請求書による請求の対象となった工事は、前記日報(検六二〇)、Fの51.10.15検面及び被告人Eの公判供述(五七回六一丁表―七九丁裏)等によれば、六月一五日付け請求書(検五一二)がT―二七〇のTAL工法用の送風管及び分岐管の埋設工事に、七月一五日付け請求書(検五一三)がT―二七三のTAL箱埋殺しのための砂充填に、八月一五日付け請求書(検五一四)が送風管及び分岐管の撤去埋戻し並びにT―二七〇のTAL箱埋殺しのための砂充填にそれぞれ対応するものと推認される。しかし、これらの工事についても、証拠上、東洋工務店と石川島との間で交渉が行われた事実は認められず、わずかにFが51.10.15検面(一一丁表―一二丁裏)において、沖元から聞いた話として、同人の許に熊谷組の新井と石川島の者が来て、新井から石川島の送風管埋設工事を頼まれ、代金は石川島に直接請求するよう言われたので、沖元もこれを了承したこと、また、畠山から聞いた話として、同人の許に新井と石川島の者が来て、新井からTAL箱埋殺し工事を頼まれ、代金は石川島に直接請求するよう言われたので、畠山もこれを了承したことを供述する程度である(なお、この供述において、Fが沖元や畠山から事実関係を聴取していながら、いずれも「石川島の者」が誰かを特定していないのは不自然であり、殊更石川島の名を出したのではないかという疑いがある。)。

この点について、被告人Eは、公判廷において、同年三月一一日に現場でTAL箱設置の段取りをしている時に熊谷組の別所が挨拶に来たので、TAL箱設置のついでに送風管及び分岐管の埋込み工事も同人に依頼したこと、送風管及び分岐管の撤去後の土ならしも熊谷組の新井に依頼したこと、TAL箱の埋殺しも現場で別所か新井に依頼したことを供述する(五五回一二九丁表―一三〇丁表、一四四丁裏―一四五丁裏)ところ、右供述内容には格別不自然なところはなく、Fの右検面供述とも、送風管及び分岐管のの埋込み、TAL箱の埋殺しの各工事にいずれも熊谷組が関与している点では符合している。そして、前記の熊谷組と東洋工務店との関係に照らすと、これらの工事は、石川島が出合いの業者として熊谷組に発注し、同社が東洋工務店に下請をさせ、代金については石川島に直接請求するよう指示したものと認めるのが相当である。

この点について、細戸ら熊谷組関係者は、いずれもTAL箱設置を石川島から請け負ったことは認めるものの、送風管及び分岐管の埋込み並びにTAL箱の埋殺しの各工事への関与を否定した証言をするが、後に見るとおり、これらの者の証言は総じて信用し難いうえ、前記の専属的下請関係からして、東洋工務店が熊谷組の了解なしに他の業者から直接工事を請け負うとは考え難いから、これらの証言は、いずれも信用することができない。

(三) 以上の事実、特に階段基礎工事の代金が送風管の撤去埋戻し等の費用と一括して振り込まれていることに鑑みると、階段基礎工事の代金も、東洋工務店が石川島から直接請け負った工事の代金を請求したものと見るよりも、前記の諸々の工事代金と同様、もともと熊谷組が請け負い東洋工務店に下請に出した工事として、同社が熊谷組に代金を請求すべきところ、同社の指示により、直接石川島に対して請求したものと見る方が、無理がないというべきである。

4  見積書について

階段基礎工事の代金を東洋工務店が石川島に請求するもととなった見積書(検六二二)は、細戸証人(一二回一一丁裏―一二丁表、一三回一一五丁裏―一一八丁裏)及び植田証人(一六回一四丁表―一六丁表、四四丁裏―四五丁裏)の各証言等によれば、細戸が熊谷組の用紙に数字を書き込んで作成した原本をコピーした後、標題の合計金額欄を一〇五万円から九〇万円に赤鉛筆で訂正したうえ、矢印を引っ張って「石川島」と四角で囲った記載をし、植田がピンク色のサインペンによって内訳の数字を書き換え、更に、東洋工務店経理係の谷野が「石川島播磨重工」、「9/14請求済」と黒色ボールペンで記載したものであり、二枚目の中央下の欄外には「熊谷組」の文字が黒色マジックインキで消された跡があることが認められる。

右見積書の記載について、植田は、51.6.9検面(八丁表、裏)では、昭和四八年七月にFから階段基礎の見積りを指示された後、細戸から見積りの参考資料としてもらった際に、既に赤鉛筆の記載がされており、植田がピンク色のサインペンで九〇万円になるように訂正して見積りをした旨供述するのに対し、公判廷では、同年九月一〇日前後に谷野と共に出来高精算に行った際、細戸から階段基礎工事費用九〇万円を石川島に請求したらよいと言われて見積書を示され、その場で細戸が赤鉛筆の記載をし、その後植田がピンク色のサインペンで訂正をした旨証言する(一六回一四丁表―一六丁裏、四二丁表―四五丁裏)。右見積書の記載は、植田の検面供述及び証言のいずれとも形式上矛盾するものではない。しかし、矢印を引っ張って「石川島」と記載しているのは、石川島宛てに請求するよう指示したものと見るのが自然であり、もともと東洋工務店が石川島から請け負ったとすれば、この書面でこうした記載をする必要性は乏しいうえ、「9/14請求済」という記載は、同月一四日に石川島宛に代金を請求したことを記載したものと認められる。また、二枚目の欄外の「熊谷組」の文字を消したのが何者であるのかは明らかでないが、熊谷組が階段基礎工事に関与したことを隠ぺいしようとの意図に出たものと推認することができる。

結局、右書面は、植田の証言によりよく符合するというべきである。

5  小括

以上の客観的証拠は、東洋工務店関係者の公判供述と非常によく合致するのに対し、これらの者の検面供述及び熊谷組関係者の証言とは合致しないばかりか、矛盾、抵触し、説明困難なものすらあるといった状態である。したがって、以上の検討によっても、東洋工務店が階段基礎工事を石川島から直接請け負ったとする検察官の主張は、客観的証拠によって裏付けられておらず、成り立ち難いものというべきである。

五東洋工務店関係者の検面供述の検討

F、横路及び植田ら東洋工務店関係者の検面供述の信用性について、以下、その内容に沿って項目ごとに検討する。

1  石川島との交渉について

前記のとおり、東洋工務店は、熊谷組から日常的に三石水島製油所構内で土木工事を請け負っていたが、石川島との間にはそのような関係がなかったから、同社から直接階段基礎工事を請け負ったとすれば、代金、工期及び施工内容等の契約条件について、同社との間で事前に何らかの交渉が行われるはずである。確かに、Fは、植田に対し石川島との間で階段基礎工事の請負に関する交渉を行うよう指示した旨供述する(51.6.8検面八丁表、裏、51.10.28検面五丁裏)が、植田から交渉結果の報告を受けていないと供述する(51.6.8検面九丁裏)のみならず、自ら石川島の担当者と全く話し合ったことがない旨供述する(51.10.28検面六丁表)。一方、植田は、Fから階段基礎工事を東洋工務店で請け負うことにする旨石川島に伝えておくよう指示されたかどうかはっきり覚えていないが、そういう趣旨のことを言われたような気もすると曖昧な供述をし(51.6.9検面九丁裏)、階段基礎工事に着手する日に石川島の現場詰所を訪れて、Eに挨拶した際、同人と九〇万円の見積り金額について若干の会話をしたものの、それが妥当がどうかについて交渉したことはない旨供述する(前記検面一〇丁裏―一一丁表、一六丁裏送―一七丁表)。

そうすると、東洋工務店は、注文者の石川島と工事金額について若干のやりとりをした程度で、工事の仕様や工期、支払条件等について全く交渉をしないまま工事を請け負ったことになるが、このような事態が不自然であることは、いうまでもない。しかも、石川島は我が国を代表する大企業であるのに対し、東洋工務店は岡山県内の零細な土木業者に過ぎないから、東洋工務店とすれば、石川島から直接仕事を受注したとなると、今後も同社からの仕事の受注が期待できるのであって、同社に対して受注の挨拶や謝礼に行くのが当然であると思われるのに、Fの検面には何らそのような供述が現れておらず、この点においても、検面供述は、不自然さを免れない。

更に、植田は、前記検面(一五丁表―一六丁裏)において、石川島の現場詰所でEと面会して階段基礎工事に着手すると告げた際、自分は熊谷組の作業服を着ており、Eに東洋工務店の者であると名乗っていないから、同人は自分のことを熊谷組の者と思ったかも知れない旨供述する。右検面には、植田がEを石川島の現場事務所長であることを知っていた旨の供述はあるものの、この時点でEが植田を東洋工務店の従業員であると知っていたことを窺わせる供述はなく、かつ、Eの検面にもその旨の供述はない。しかも、前記のとおり、石川島と東洋工務店はこれより前に階段基礎工事をめぐる交渉を一切していないのであるから、当時Eが植田と会ったとすれば、同人のことを熊谷組の従業員と認識していた可能性が高いと考えざるを得ない。

また、東洋工務店が階段基礎工事を石川島から請け負ったのであれば、作業の手順等についても打合せをするのが通常であると思われるが、Fはもとより、現場監督とされる横路も、検面において、石川島の担当者と打合せをしたとは供述しておらず、わずかに、植田が工事着工の数日前に石川島の現場詰所を訪れ、Eに「階段の基礎にこれからかかりますから」と伝えたと供述する(51.6.9検面一〇丁裏)ものの、何ら具体的内容に関する打合せは行ったとは供述していないのであって、この点もやはり不自然である。

2  細戸からFに対する紹介について

Fは、51.6.8検面(六丁裏―八丁裏)において、前記のとおり、細戸から階段基礎工事を熊谷組では行えないが、東洋工務店で受注してはどうかという電話絡連があったので、自社で受注できるかどうか検討するため、植田に架電し、工事の見積りをするよう指示した旨供述し、植田も、51.6.9検面(五丁裏)において、これに符合した供述をする。しかし、既に認定したとおり、植田は、当時熊谷組の三石作業所に常駐して、千代田から熊谷組が請け負っていた雑工事の受注業務に従事しており、その中には金額が数百万円に達するものもあったのであるから、細戸が東洋工務店に金額一〇〇万円前後の仕事を紹介するとすれば、自己のすぐそばにいる植田に図面等を交付したうえ工事の概要を説明し同人がFの決裁を仰ぐというのが、流れとして自然であって、細戸がFに連絡しFが植田に連絡するというのは、いかにも迂遠であり、当時の東洋工務店の営業実態に照らして不自然というべきである。

3  横路が現場監督であったかどうかについて

横路の検面には施工用図面(昇降梯子用基礎施工図)の書込みについての供述がなく、その他同人の経歴や知識等からして同人が階段基礎工事の現場監督であったと考え難いことは、既に見たとおりである。

更に、横路の検面供述によれば、同人は階段基礎工事の開始時期(51.6.14検面八丁表―九丁表)や階段基礎の位置(51.6.15検面一丁裏―二丁表)、天端(上面)の高さ(前記検面六丁裏―七丁表)を決めるのにいずれも熊谷組の新井に石川島の現場詰所に聞きに行ってもらい、盆休みの後に階段基礎工事を再開するよう新井から促されている(前記検面七丁裏)のである。要するに、横路は、工事の重要な節目節目において自主的に決定することができず、新井あるいは同人を介して石川島の係員に援助を仰いでいるのであって、現場監督としてその権限と責任において現場の施工を指揮監督していたというには程遠いものがある。

また、浦田は、検面(七丁表、裏)において、階段基礎の位置を決めるための墨打ちについて、「その墨打ちを誰がやったか覚えていません。普通は大工である私がやる事が多いのですが、その時は既に墨打ちをしてあった様な気もします。いずれにしても監督の横路さんか、私が墨打ちをした筈ですから、もしかすると二人で一緒にやったかも知れません。」と極めて曖昧な供述をする。この供述が信用し難いことは明らかであるが、これは、殊更に横路の名前を出すことにより、同人が現場監督であることを印象づけようとしたものと考えられる。

この点については、横路証人(一八回五〇丁裏、一九回三七丁表―四一丁裏)や小倉杢治証人(二一回三一丁裏―三三丁表)が証言するように、実際は熊谷組の別所や新井が現場監督ないしその補助者として東洋工務店の者に指示し、また図面にも書込みをしたが、検察官の取調べにおいては、熊谷組を庇うために殊更これらの者の名前を秘し、実際には東洋工務店の工長ないし世話役として人夫の割振りなどをしたに過ぎない横路を現場監督に仕立て上げたものと見ることができる。他方、同じ東洋工務店の作業員であっても、小林磯吉や河原強といった土工は、検面において、横路のことを人夫頭(小林検面三丁裏)あるいは世話役(河原検面三丁表)と呼んでいるが、これが、これらの者に右工作が及んでいなかったことによるのか、これらの者と横路らを取り調べた検察官の違いによるのかは定かではない。なお、人夫頭又は世話役が施工上の管理責任を伴う現場監督と同視し得ないことは、既に判示したところから明らかであるが、熊谷組の別所証人(一五回一丁表―二丁表)や新井証人(一六回七一丁表)ですら、横路が現場監督ではなく世話役と呼ばれていた旨証言するのである。

4  熊谷組の係員の関与について

横路は、階段基礎の位置出しの際の状況について、51.6.15検面(一丁裏―二丁裏)において、「私が現場に行ったところ熊谷組の新井さんが居ましたので、私は新井さんに『階段基礎の位置出しの為に石川島の監督を呼んで来てくれないか』と頼みました。」と具体的な供述をしていながら、その直後に「この点について新井さんは記憶がないと言っているそうですが、私としては新井さんに頼んだような気がします。しかし、もしかすると東洋工務店の作業員を行かせたかも知れません。」と曖昧な供述をしている。これを見ると、検察官に新井の供述内容を告げられて、横路が新井の名前を出してよいかどうか迷う様子を窺うことができる(その他、横路が検面で新井の名前を出していることについては、後記七2(三)参照)。

5  石川島の係員の関与について

Fは、51.6.8検面において、横路に対し、「図面では石播の指示を受けてやる事になっているらしいから、それによってやってくれ。」と言った旨(八丁裏―九丁表)、横路が石川島の担当者から指示を受けて工事をしており、階段基礎をタンクのどの方角に設置するか、あるいは側板から何センチメートル離すか、階段基礎の深さを何を基準にして決めるのかといった点について全て石川島の指示を受けている旨(一〇丁裏―一一丁裏)供述し、横路も、石川島の係員が階段基礎の中心を決め、その際、「側板からどの程度離すかという点についても具体的な数字をあげて指示してくれました。」と供述する(51.6.15検面三丁裏)。しかし、側板からの距離について具体的な数字をあげて指示したとすれば、当然実際の施工に用いられた昇降梯子用基礎施工図(検六二一)にその数字が記入されてよいと思われるのに、右図面には一切そのような記載がないから、Fや横路の各供述は、裏付けを欠くものであって、にわかに信用し難い。また、実際に石川島の係員が東洋工務店の作業員に対して行ったと証拠上認められることは、既に認定したタンクの側板への階段基礎の中心線の罫書き及びEが別所と新井から天端の高さを聞かれて答えたことのみであり、石川島の係員が東洋工務店の作業員に階段基礎の施工を指示したというには、いささか内容が乏しいものといわざるを得ない。

なお、横路は、前記検面(二一丁表、裏)において、石川島の係員から階段基礎のアンカーボルトの箱抜き穴を八つから四つに変更するよう指示されたが、これは浦田が指示を受け、同人から聞いたことであると供述する。しかし、浦田の検面にはこれに対応する供述が全く現れていないのであって、横路の右供述も、にわかに信用し難い。

また、石川島の係員が施工を指示したとすれば、前記のとおり横路に右図面の書込みをする能力がないと認められる以上、石川島の係員が書き込んだことになるはずであるが、横路らの検面には、そのような供述は全く見当たらない。

更に、横路は、前記検面(二丁裏―三丁表)において、階段基礎の位置出しのため新井に連れてきてもらった石川島の係員について、検察官から石川島の工事関係者の写真を示されたうえ、荒田英治に似ている旨供述する。しかし、この点は、荒田の検面によっても何ら裏付けられていないばかりか、前記のとおり、新井に呼ばれて階段基礎の芯出しをした石川島の係員は、中沢及び古川であると認められるから、右供述を信用し得ないことは明らかである。この点は、横路証人も証言する(一九回三六丁表、裏)ように、当時同人が石川島の係員を誰も知らなかったため、苦し紛れに供述したものと考えることができる。

6  Fの関与の程度について

Fは、横路が現場監督としてはいささか頼りないことを懸念してか、検面において、一日一回は現場に通ったうえ(51.6.8検面一六丁表)、横路に対して、自ら掘削の方法を指示し(同一四丁裏―一五丁表)、図面を見て天端の高さの決め方を指示したうえ(同一八丁表―一九丁裏)、埋戻しの際には横路らに対して事細かに埋戻しの方法を指示した(同二二丁表―二三丁表)旨供述し、横路も、検面においてこれに沿った供述をする(51.6.14検面九丁裏―一〇丁表、51.6.15検面五丁表、裏、一六丁裏―一七丁表)。

しかし、前記のとおり、当時東洋工務店においては、階段基礎工事のほかにも、三石水島製油所構内での防油堤工事や様々な雑工事、山陽新幹線の笠岡トンネルの掘削工事等を並行して行っていたから、Fは、各現場を巡回して安全管理に気を配ったり、熊谷組との折衝等を行うために、かなり多忙であったものと認められる。しかも、横路証人の証言(二〇回二八丁表―二九丁表)によれば、階段基礎工事の行われた昭和四八年八月ころには、既に三石水島製油所のタンク基礎工事は、概ね終了しており、Fが三石水島製油所に足を運ぶ必要性は減少していたと認められるうえ、前記の工事の中にあって、階段基礎工事は、金額も小さく、工事内容も特に難しいものでなかったから、Fが現場に通って指示を与える必要性は、乏しかったというべきである。また、Fは、51.6.8検面において、「安全面において設計上問題がないかどうか検討するのは当然石川島のやるべきことですし、施工する上において特に注意すべき事があるならば当然その旨東洋工務店に対して指示があるべきです。」(一三丁裏―一四丁表)と、施工上も石川島を信頼してこれに任せていたかのような供述をしているが、これは、右工事の施工に関し事細かに指示を与えたとする前記各供述とは矛盾するというべきである。

確かに、被告人Fも、公判廷(五一回二五丁表―二六丁表)において、たまたま現場近くを通りかかった際、T―二七〇の手掘り作業中にコンクリートブロックが落ちかかっているのを見て危険だと思い、これを取り外すよう指示したことはあるが、これは作業の安全上の配慮から行ったものであると供述する。思うに、万一作業員に事故が発生した場合には、労働災害として使用者のFが労働安全上の監督責任を問われ、東洋工務店が営業停止等の行政処分を受けることもあり得るところであるから、同被告人の右供述にはあながち排斥し難いものがあり、右指示の事実をもって直ちにFが工事の施工を監督したと見ることはできない。

7  階段基礎工事の発注者について

Fは、51.6.8検面(一〇丁裏―一一丁裏)において、階段基礎工事を石川島から請け負ったと考える証拠をあげて説明している。すなわち、第一に、横路が石川島の担当者の指示を受けて工事をしていること、第二に、細戸から東洋工務店でやったらどうかと言われたこと、第三に、工事代金が東洋工務店から石川島あてに請求され、石川島から東洋工務店の口座に振り込まれていることの三点である。このうち、第一点は、既に見たとおり、階段基礎の中心を出したことと天端の高さを教えたに尽きており、決して指示として充分とはいえない。第二点は、それに基づいて細戸からEを紹介され、Eとの間で契約についての交渉をするに至って初めてその準備行為として意味を持つものであって、それのみでは何ら契約締結を裏付ける事実とはいえない。また、第三点も、既に見たとおり、本件においては理由となり得るものではない。こうして見ると、Fのあげる三つの根拠は、いずれも充分な理由ではない。

横路は、Fから階段基礎工事を東洋工務店で行うことになったことを告げられた時の状況について、51.6.14検面(五丁表、裏)において、「私は社長の話し方からしてこの仕事は東洋工務店が石川島から直接請け負った仕事だと思っていました。社長は熊谷組の方ではやれないと言っていると言われたので、私はおそらく熊谷組と石川島との間では工事費の折り合いが出来ず、結局東洋工務店が石川島から直接その仕事を請け負ったのだろうと思ったのです。」と供述する。しかし、横路は、右検面において工事の現場監督とされている者であるから、そのような責任ある立場にあったとすれば、右のような推測を交えた曖昧な認識しか持っていなかったとは、到底考え難いところである。

また、植田は、51.6.9検面(一八丁裏―二〇丁表)において、当時階段基礎工事をどこの会社から受注したと考えていたのかとの検察官の問に対して、「この工事を最初に受けたのはF社長なので誰が発注者であったのか正確な事は社長に聞いてもらいたいと思いますが、私としては当時はいつもの様に熊谷組の発注によるものではないかと思いました。と言うのは、それまでの雑工事というのはほとんど全部千代田から熊谷に発注されたものを更に東洋工務店が熊谷組から受注するという形になっていたからです。従って当時はむしろ誰が発注者であるか等と改めて考えた事などありませんでした。しかし、現在改めて考えてみますとこの工事は石川島から直接東洋工務店が受注した工事だと考えるべきではないかと思っています。」と供述する。右検面において、検察官は、当時の認識を問うているのであるから、植田の答は、熊谷組から受注したと考えていたという部分に尽きており、同人が当時発注者が誰かを考えたことがなかったのは、当然熊谷組であると思っていたからにほかならない。その植田が、現在では石川島から受注したと考えるべきだと思うと供述しているのは、検察官に請求書等を示されて理詰めで追及されたためであることが窺える(同人は、公判廷においても同趣旨の証言をしているが(一六回三一丁裏―三二丁表)、これも、右請求書の存在を根拠とするものであって、検面供述に引きずられたものと見ることができる。)。右検面供述が曖昧であって信用性に乏しいことは明らかである。

8  小括

以上を要するに、東洋工務店関係者の検面供述は、特に階段基礎工事を石川島から請け負ったとする部分において、総じて信用性が乏しいものということができる。その理由としては、後に見るように、Fをはじめとする東洋工務店関係者が、熊谷組を庇い自社で責任を被るべく、虚偽の供述をし、それが熊谷組関係者の供述と概ね符合していたため、検察官がこれを信用したのではないかと推測することができる。

六熊谷組関係者の証言の検討

1  熊谷組関係者の証言の概要

細戸、別所及び新井の各証人の証言の要旨は、「別所が石川島のEから階段基礎の見積りを依頼され、細戸と別所が一〇五万円の見積りを算出し、細戸がEの所へ行ったが、石川島の予算が九〇万円で、金額の折合いが付かなかったので断った。細戸は、その代わりに東洋工務店を紹介することとし、その旨Eに伝えるとともに、Fに架電し、同社で引き受けてはどうかと話をした。細戸は、工事を断ったことを別所と新井に伝えたが、その後、熊谷組は、一切階段基礎工事に関与しておらず、右両名が、その現場監督を行ったことはない。ただ、新井が、横路に頼まれて、石川島の現場詰所に階段基礎の位置出しをしてもらうために石川島の係員を呼びに行ったり、天端の高さを聞きに行ったことはある。これは、新井が高校を出たばかりの新人であったため、横路から個人的に頼まれたのを断り切れなかったためである。」という内容である。

以下、右熊谷組関係者の証言を項目ごとに検討する。

2  階段基礎の見積額について

細戸証人は、階段基礎工事の見積りの金額について、一〇五万円の見積金額がふっかけたものではなく、一杯一杯の単価をかけて金額を出したものであり、仕様とか見積りの条件や内容によっては、プラスアルファすることを予定した金額であり(一二回一三丁表、裏)、プラスアルファの要素としては、例えば、支払条件が一五〇日の手形で支払う場合の金利分とか(一三回四八丁裏)、突貫工事費用や現場によその業者が多数入っているときにその間を縫ってやるための費用の増加分がある(同一〇九丁表、裏)旨証言する。しかし、見積書に基づいて交渉した結果、その金額が値切られることはあっても、それが増額されることは通常あり得ず、当初の見積額で一杯一杯の単価を掛けて算出するということも一般的には考え難いことである。また、金額が一〇五万円程度の工事代金を石川島ほどの大企業が一五〇日ものサイトの手形で決裁するとは考え難く(現に、前記のとおり、東洋工務店への工事代金は現金で支払われている。)、突貫工事についても、細戸証人は、階段基礎は一〇日もあればできる旨証言しており(同一一一丁表)、その工期が数日短縮されても、さほど費用が増加するとは考えられない。更に、T―二七〇ないし二七三のタンクエリア内には、熊谷組とその下請業者以外は出入りしていなかったから、細戸は、他の業者の間を縫って工事を行う状況になかったことを知っていたものと推認される。このように、先の細戸証言は、不自然であって、到底信用することができない。

また、右見積書の記載を見ても、熊谷組と東洋工務店との間で一〇五万円と九〇万円という見積額の開きが生じたのは、熊谷組が工具機械損料として八万七、〇〇〇円、諸経費として九万一、〇〇〇円を見込んでいるのに対し、東洋工務店が諸経費として八万円を見込んだのみで、工具機械損料を見込まず、五万円の値引きをしたためであると認められる。細戸証人は、「東洋工務店なら九〇万円で出来るとしても、熊谷組では会社組織として経費が掛かるので、九〇万円では出来ない。」と証言するが(同六三丁表、裏)、一〇〇万円程度の工事において一五万円もの差が生ずるのは、会社の規模による経費の差だけでは説明し難いというべきである。

なお、細戸証人は、右見積りが仮見積り的なものであって正式な見積りではない旨証言するが(一二回一二丁表)、右見積書の標題は「見積書」となっていて、「仮見積書」とはなっていないから、右証言は、客観的証拠によって裏付けられていない。

3  Eとの金額の折衝について

次に、細戸証人は、見積書をEの所に届けた時の状況について、「私が一〇五万円位になると見積額を提示したところ、Eは、机の中から書類のようなものを出して、一基当たり二二万なにがしと言ったが、私は、一〇五万円の見積りを少しでも金が切れるようだったら断らないといけないという腹づもりだったので、Eに『九〇万円じゃ、うちはとてもできません。』と言って断った。もし、Eの方から『九〇万円でやってくれ。どうすれば出来るんだ。』などという話があれば、私の方も、細かい条件を出す用意はあったが、Eの方は、何の反応もなかった。」と証言する(一二回一九丁裏―二四丁表)。しかるに、同証人は、「この時まで三石水島製油所では、熊谷組は、石川島から全然下請をしたことがなかった。石川島から少しでも仕事を貰いたいという気持ちはあった。」と証言する(同二五丁表、裏)ところ、仕事が欲しければ、見積金額が合わないときには、むしろ下請人となる者の方から条件面で歩み寄るのが通常であって、元請人となる者が譲歩すべきであるというのは、正に主客転倒の議論というほかない。また、同証人は、Eには一〇五万円の見積額の根拠を説明していない旨証言するが(一三回一〇五丁裏)、仕事を得たいのであれば、見積額の根拠を説明して交渉を行うのが当然であって、この点においても不自然さを免れない。ところで、同証人は、「仮にEが一〇〇万円でいいと言えば、工事を受注するつもりだった。」(同一一三丁裏)と前後矛盾した証言をするところ、一般に、九〇万円と一〇五万円の金額の差は、歩み寄りの不可能な額ではなく、また、見積書の記載を見る限り、熊谷組にとって一〇五万円の金額を下回ることも、決して無理ではないと考えられるから、「一〇五万円の見積りを少しでも金が切れるようだったら断らないといけないという腹づもりだった」という同証人の先の証言は、不自然であって信用し難いというべきである。

結局、九〇万円と一〇五万円の金額の差でいとも簡単に話が決裂したという細戸証人の証言は、不自然な供述であり、これを更に弁解しようとして、一〇五万円の見積りが一杯一杯だったという不自然な証言をするに至ったのではないかと思われる。

4  東洋工務店を石川島に紹介したことについて

細戸証人は、東洋工務店を石川島に紹介したことについて、Eの所に見積りを持って行って熊谷組として断った際、東洋工務店に話をしてみる旨Eに言い、Fに架電して植田に図面と見積書を渡したものの、それ以上に仲介の労をとったことはなく、FにもEにも連絡をとっておらず、双方に対して確認をとっていない旨証言する(一三回六六丁表、裏、七〇丁表―七一丁表)。しかし、石川島と東洋工務店との間には従前からの取引関係がないのであるから、熊谷組の責任者として東洋工務店のFを紹介する程度のことはしてしかるべきであり、右の証言内容は、不自然である。

また、同証人は、植田に図面と見積書を渡した時の状況について、同人に対し、一〇五万円の見積りを石川島が九〇万円というので、熊谷組は断ったが、東洋工務店で話を進めてみてくれと言った旨証言するが(同七三丁裏)、右証言は、植田の証言はもとより検面によっても裏付けられていない。

5  東洋工務店が施工していたことの認識について

細戸証人は、現場で東洋工務店が型枠を入れたりして作業をしているのを見て、初めて東洋工務店が階段基礎工事を請け負ったことを知った旨証言する(一二回三三丁表、一三回七一丁裏―七二丁表)。しかし、前記のとおり、東洋工務店と熊谷組とは毎日三時会を開いて作業の打合せをしており、これには細戸も原則として毎回出席していたと認められるから、仮に東洋工務店が石川島から階段基礎工事を請け負ったとすれば、三時会の席上もっと早い時期にこのことが話題にのぼったものと推認することができる。この点について、同証人は、「それは出たかも知れないと思う。」と曖昧な証言もしている(同一八二丁裏)のであって、現場で東洋工務店が作業をしているのを見て初めて右工事を請け負ったことを知った旨の証言は、信用し難い。

また、細戸証人の証言(一三回一八四丁表―一八五丁表)によれば、細戸は、東洋工務店の三石作業所における作業日報を日常的に見ていたと認められるが、前記のとおり、これには東洋工務店の作業員が階段基礎工事に従事した旨の記載があるから、同人は、右日報から当然右事実を知り得たはずである。この点についても、同証人は、「東洋工務店が階段基礎工事をやり始めた時期と終わった時期は、充分は判っていなかった。」と曖昧な証言をしている(同一八六丁裏)のであって、現場で東洋工務店が作業をしているのを見て初めて右工事を請け負ったことを知った旨の証言は、この点からも信用し難い。

別所証人は、階段基礎工事の施工当時、T―二七〇ないし二七三が基礎地盤の圧密沈下中であったため、タンクの周辺で沈下測定の作業に従事していたことは認めながら、「沈下測量の方に頭が行っていて、梯子基礎工事をどういう場所で見たとか、何回見たとか言われてもはっきりしない。」(一四回一一一丁表)とか、「水盛り方式で測量している時に、梯子基礎の工事箇所にぶつかったかはっきり覚えていない。」(一五回二六丁表)と曖昧な証言をし、新井証人も、「東洋工務店の関係者がタンクエリア内でどんな作業をしていたか目に入った。」(一六回五三丁表、裏)、「階段基礎工事の施工状況を毎日のように現場で見ていた。」(一五回九七丁表、裏)と証言する一方、「東洋工務店の者が階段基礎でどんな作業に従事していたか記憶にない。」(同九八丁表)と曖昧な証言をする。これらの曖昧な証言が信用し得ないことは、その内容自体から明らかであろう。

6  新井の階段基礎工事への関与について

新井が階段基礎の位置や天端の高さを聞きに石川島の現場詰所に行ったことは、細戸証人も認めており(一三回一九〇丁表)、関係証拠上も間違いないと認められるところである。しかるに、当の新井証人は、「その点は記憶がない。東洋工務店の横路あたりから、当時一年生でもあったし、使い走り程度で私個人が頼まれたことがあるかも知れない。横路からどういう際に頼まれたか、覚えていない。」(一五回一〇四丁表、裏)、「使い走りとしてどこに相談に行ったのか覚えていない。何を頼まれたのか覚えていない。」(一六回一四丁表)などと曖昧かつ矛盾した証言を繰り返し、また、新井の直属の上司として行動を共にしていたはずの別所証人は、「新井が使い走りをしたということは聞いたことがない。」(一四回八九丁裏)と証言するが、これらの者が石川島の係員に呼ばれてEから階段基礎の見積りを頼まれた時の状況について詳細な証言をしていることと対比すると、右各証言は、明らかに不自然であり、いずれも到底信用することができない。

ところで、細戸証人は、石川島に階段基礎工事を断った直後、部下の別所や新井に対して、それが熊谷組の仕事でないと明言した旨(一二回三三丁裏―三四丁表、一三回一七七丁裏―一七八丁表)証言し、別所及び新井証人もこれに沿った証言をする。そうだとすると、新井が階段基礎工事に関与することは、常識的には考えられないことである。検察官は、新井が入社後二年目の者であったから、細戸証人(一三回八二丁表)や新井証人(一五回一〇四丁表)が証言するように、横路から頼まれて個人的に使い走りをしたとしても、人間の行動として不自然でないと主張する。しかし、新井証人の証言(同二丁表、裏、二九丁表、裏)によれば、新井は、現場監督としての見習い期間中であり、同人が下請業者に対してとっていた行動は、同人の単独の意思によるものではなく、全て上司である別所の指示によるものと認められるから、このような者が、さほど深い付合いをしていたとも思えない横路から個人的に頼まれ、上司の教えに反して下請業者の使い走りをするということは、いかにも常識に反するというべきである。しかも、新井が石川島の詰所に聞きに行ったのが、階段基礎の芯出しや天端の高さの決定という工事の施工上重要な事項であることに照らすと、細戸や新井の前記証言の不自然さは否定し難く、検察官の右主張は、採用し得ない。

7  東洋工務店の施工能力について

別所証人は、東洋工務店の施工能力について、「東洋工務店の職員が誰の指示命令もなく、単独でこの仕事をやれたか何とも言えない。」(一五回一一丁裏―一二丁表)と曖昧な証言をするが、同人は、タンク基礎工事の現場監督として、東洋工務店の作業員を常時指導監督していた者であるから、その施工能力を熟知していたはずであって、右証言は、到底信用することができない。

8  小括

熊谷組関係者の証言で信用性に疑問があるのは、以上にとどまらない。例えば、新井証人は、階段基礎工事に関して東洋工務店の作業員を指揮監督したことを一応否定したものの、弁護人から「断言できますか。」と問われるや、「断言はできませんけれど、ないと思います。」と答え、の直後再び「断言できます。」と答え(一五回一〇一丁裏)、また、昇降梯子用基礎施工図(検六二一)に自ら書込みをしたことも、一応否認するものの、弁護人から「断言できますか。」と問われるや、「断言はできませんが。」と答えている(一六回七五丁裏)。これらの証言に信用性のないことは、明らかであろう。

このように、熊谷組関係者の証言は、階段基礎工事への熊谷組の関与の有無に関して、逃避的態度が歴然としているうえ、既に認定した熊谷組と東洋工務店との関係に関する事実や客観的証拠とも矛盾するものであって、到底信用することができない。

七東洋工務店関係者の公判供述について

1  東洋工務店関係者の公判供述の信用性

被告人Fをはじめとする東洋工務店関係者の当公判廷における供述は、全体として、既に認定した東洋工務店と熊谷組との下請関係にもよく符合し、また、いずれも内容が具体的かつ自然であり、特に、熊谷組の現場監督の指示を受けながら階段基礎の施工を行ったとする浦田証人や小倉杢治証人の各証言は、臨場感にあふれるものであって、極めて信用性が高いというべきである。

そして、東洋工務店関係者の検面において既に見たような虚偽の内容の供述が録取された事情は、これらの者の公判供述のとおりであると認められ(前記二2参照)、被告人Fが、熊谷組からの圧力に抵抗して真実を供述すると専属的元請業者である同社から仕事を停止され、たちまち会社の倒産につながると判断したと供述するのは、既に認定した東洋工務店と熊谷組との下請関係やいわゆるオイルショックによる当時の木土業界の不景気不況に照らして、誠によく理解し得るところである。

更に、本件階段基礎の施工においては、前記のとおり、四基とも箱抜き穴が八個から四個に変更され、T―二七二では捨てコンクリートが二重に敷かれるなど設計図に基づかない施工が行われているが、このうち、箱抜き穴の変更の点は、横路の51.6.15検面に現われているものの、その余の点は、東洋工務店関係者の検面にも全く現れていない。したがって、箱抜き穴の変更以外の点については、捜査段階において検察官に知られておらず、当裁判所の行った鑑定の結果明らかになったものと認められる。被告人Fの公判供述(五二回一一三丁表―一一五丁表、五三回九〇丁表―八一丁表等)及び横路証人の証言(一九回二七丁裏―三四丁裏)等によれば、右の設計図と異なる施工は、いずれも別所や新井らの指示によるものであり、Fが、本件事故後横路から別所や新井の指示に基づいて階段基礎の捨てコンクリートを二重にしたことを聞き及び、この事実を東京地方裁判所で証人尋問が行われた際に石川島関係の弁護人である田淵弁護士に雑談の中で告げ、その後に当裁判所の鑑定の際に行われたT―二七二の階段基礎の掘出し作業によって右事実が確認されたことが認められる。右供述は、東洋工務店関係者による一種の秘密の暴露というべきものであって、その信用性が高いことは、多言を要しないところである。

2  東洋工務店関係者の公判供述に関する検察官の主張について

検察官は、論告において、様々な点をあげて、東洋工務店関係者の公判供述ないし証言の信用性を争うので、その主なものについて検討する。

(一) 検察官は、Fと細戸ら熊谷組関係者の捜査段階での事前の接触の時期や回数に関する被告人Fの公判供述が変遷しているから、信用することができない旨主張する。

しかし、被告人Fの公判供述(五〇回七三丁裏―八〇丁裏、五二回二四丁裏―三一丁表、五三回二〇丁表―二六丁表等)を総合すれば、同被告人は、本件事故の直後から約一か月半もの間、年末年始の間を除いて連日のように、熊谷組の要請により熊谷組三石作業所に足を運び、水島製油所構内の重油の処理対策や作業員の配置等について細戸らと打合せを行っていたところ、熊谷組も東洋工務店も破断事故を起こしたT―二七〇の工事に深く関与しており、未曾有のコンビナート災害である本件について刑事責任の追及が必至と予想されたことから、事故の二、三日後には、将来の捜査に備えての打合せも行うようになり、このような打合せは、熊谷組三石作業所での作業等の打合せの折りに細戸との間で頻繁に行われたばかりでなく、熊谷組岡山出張所長の中山や倉敷営業所長の永瀬らとも随時行われたことが認められる。確かに、同被告人の供述には若干の変遷ないし混乱が見られないではないが、これは、質問の仕方が抽象的であったことなどによるものと考えられ、到底同被告人の公判供述全体の信用性を左右するものではない。したがって、検察官の右主張は、理由がないというべきである。

(二) 検察官は、東洋工務店関係者の検面供述と細戸ら熊谷組関係者の証言が顕著に符合しているところ、被告人Fは、熊谷組から具体的供述内容の指示がなかったと供述するのであって、そうでなければ、熊谷組から圧力を受け、東洋工務店関係者の想像力を結集したとしても、熊谷組関係者と同一の架空の筋書を創作することはできないから、熊谷組から架空の筋書を押し付けられたとの被告人Fの公判供述は信用することができない旨主張する。

確かに、被告人Fの公判供述(五〇回七三丁裏―八二丁裏、五三回一三丁表、裏、三〇丁表―三一丁裏、五四回一二丁裏―一四丁裏)及び植田の証言(一七回八〇丁表、裏)によれば、細戸ら熊谷組関係者がFらに対し、警察や検察庁での取調べにおいて、これこれの供述をせよといった内容の詳細にわたる指示をしたことはなかったものの、事故発生後間もない時期から、細戸が、注文書の存在を盾にとって、熊谷組は階段基礎工事に無関係であり、東洋工務店が石川島から直接請け負ったではないかと執拗に言い張ったうえ、東洋工務店関係者の警察や検察庁での取調べが始まると、その供述内容をFから聞き出していたことが認められるのであって、これらの事実は、熊谷組から東洋工務店に対する架空の筋書の押し付けとして充分なものというべきであり、細戸は、それ以上の詳細な内容は東洋工務店の方で考えればよいとして、Fらを突き放す態度に出たものと見ることができる。このような状況の下で、東洋工務店関係者の検面供述と熊谷組関係者の証言が基本的に符合するのは、むしろ当然であり、何ら怪しむに足りることではない。したがって、検察官の右主張は、前提を欠くものであって、理由がない。

(三) 検察官は、捜査段階で東洋工務店関係者が熊谷組を庇って虚偽の供述をしたのであれば、まず考えるべきことは熊谷組関係者の名前を出さないことであるはずなのに、横路が検面において新井の名前を出しているのは不合理である旨供述する。

確かに、横路は、前記のとおり、検面において、階段基礎工事の施工に関して新井の援助を仰いだ旨供述するところ、このことは、熊谷組を庇うという目的からすれば不徹底であるといえなくもない。しかし、この点は、横路証人が証言する(一九回四二丁表―四三丁表)ように、同人が石川島の工事関係者の名前を知らなかったため、検察官に追及されて、いわば苦し紛れに新井の名を出さざるを得なかったものと見ることができるから、右のゆえに横路の検面供述の信用性が高いと認めることはできない。検察官は、右の部分について、新井の行為を横路の行為とすり替えることも可能であった旨供述するが、横路とすれば、新井の行為を自己が行ったと供述すれば、たちまち石川島の誰と接触したのかと取調官に追及され、石川島関係者の名前を知らない同人が答に窮することが必至であったから(前記四5参照)、むしろ実際に工事に関与している新井の名前を出した方が取調官の追及をかわすことができると考えたとしても、供述心理として不思議ではない。したがって、検察官の右主張も、結局、理由がないというべきである。

(四) 検察官は、被告人Fの公判供述について、①同被告人が、第一回公判における冒頭手続で捜査段階における供述を維持する趣旨の意見陳述を行い、東洋工務店関係証人の尋問が全て終了した後、裁判官の勧告を受けてようやく陳述を変更したが、どの時点で捜査段階における供述を翻す気になったのか明らかでなく、供述変更に至る経緯も不可解である、②同被告人の公判供述には、請求書提出の経緯や階段基礎工事への自らの関与の有無等に関して、説明不能の変遷があるなどと主張する。

①について、被告人Fの第一回公判における被告事件に対する意見陳述やその後陳述を変更した際の経緯は、検察官の指摘するとおりである。しかし、同被告人が捜査段階での供述を翻すことを決意した時期が、起訴の一ないし数か月後で、第一回公判の前であることは、同被告人の公判供述(五〇回一三二丁裏―一三三丁表、五三回一六〇丁裏)から明らかである。それにもかかわらず同被告人が第一回公判において右のような意見陳述をした理由について、同被告人は、公判廷(五三回三二丁裏―三四丁裏、一六〇丁裏)において、捜査段階から細戸や熊谷組岡山出張所長の中山らの圧力を受けていたが、起訴の数日後にも中山から「仕事は従来どおりさせてやるから心配するな。」と言われて圧力をかけられ、捜査段階の供述を翻すと熊谷組からの仕事に支障を来すのではないかと思い悩み、弁護人に対しても詳細に事情を打ち明けないまま第一回公判に臨み、意見陳述に及んだ旨供述するところ、同被告人の供述心理として、いったん熊谷組の圧力を受けて捜査段階で認めた事実を公判になって覆すことにためらいを感じ、当時東洋工務店が依然として熊谷組の専属的下請業者の立場にあったことから、第一回公判において心ならずも右のような意見陳述をしたのは、まことに無理からぬものがあるというべきであり、右供述は信用性が高いものと認められる。また、同被告人の公判供述(五二回六二丁表)によれば、東洋工務店は、第一回公判後も熊谷組から仕事を請け負っていたが、昭和五六年ころから同社の仕事が全くなくなったことが認められるところ、その時期は、東洋工務店関係者が証人尋問において捜査段階での供述を翻し、被告人Fが陳述を変更した時期と概ね一致するところ、このことは、単なる偶然とは考えられないのである。したがって、同被告人が実際に陳述を変更するについて躊躇があったことも、想像するに難くないところであり、同被告人が裁判所の勧告を受けるまで陳述を変更しなかったことにも、無理からぬものがあるというべきである。

次に、②について、被告人Fの公判供述に一見したところ矛盾ないし相反する部分が存するのは、検察官の指摘するとおりである。しかし、これについても、同被告人が後に供述する(五一回八丁裏―九丁表)ように、同被告人が被告人質問の当初上がった状態となり、事件当時の認識とその後捜査官に対して供述した内容とを混同したものと認められるから、供述の信用性を左右するものではない。検察官は、その他にも様々な点をあげて同被告人の公判供述が信用し難い旨主張するが、これらは、いずれも枝葉末節にわたるものであって、全体としての同被告人の供述の信用性を何ら損うものではない。

(五) 検察官は、植田証人の証言(一六回一一丁表―一三丁裏、一七回一二〇丁裏―一二二表等)が、階段基礎工事代金を石川島に直接請求すればどうして東洋工務店の足しになるのか、意味不明の証言に終始しているから、信用することができないと主張する。

そこで検討するに、東洋工務店が階段基礎工事に要した費用のうち、労務賃は、前記のとおり、作業日報(検六一九)の記載から拾い出すものであるところ、右記載は、その日の作業の全てを記載したものでないことから、階段基礎工事に要した作業も網羅されておらず、その労務賃を右記載から抽出することは事実上不可能で、他の雑工事分のそれと渾然一体となった状態にあり、結局、右労務賃は、被告人Fが公判廷で供述する(五二回一二八丁裏)ように、出来高精算の当初の請求額に入っていたものと認められる。これに対し、生コンクリートや鉄筋といった資材は、横路の証言(一八回七三丁表、裏、一九回一二丁表、裏)及び被告人Fの公判供述(五三回一〇五丁裏―一〇六丁裏)によれば、熊谷組から支給されたものと認められるから、その費用は、もともと熊谷組に請求する必要がないものである。したがって、東洋工務店において特に階段基礎工事の費用を除外して熊谷組に請求した形跡がない以上、右費用を石川島に直接請求すれば、言わば二重取りをしたことになり、その分だけ赤字が補填される結果となることは明らかである。確かに、植田証人の証言中には、東洋工務店の熊谷組に対する請求の中に階段基礎工事の費用が入っていないと証言した部分(一七回三六丁裏、一三六丁表、裏等)があり、この点に関する限り、同証人の証言は誤りであるが、同証人は、谷野とともに熊谷組との出来高精算の交渉に加わったとはいえ、請求額の算出は経理担当の谷野が行い、自分はこれに関与していないとも証言する(一六回一二丁裏―一三丁表)のであるから、先の証言は、同人の推測を述べたものに過ぎず、これが誤りであるからといって、同証人の証言全体の信用性が損なわれるものではない。したがって、検察官の右主張も、結局、理由がないというべきである。

(六) 検察官は、この他にも横路や植田ら東洋工務店従業員の証言が信用できない旨種々主張するが、これらの主張も、枝葉末節にわたるものであって、何ら右各証言の信用性に影響を及ぼすものではなく、採用し得るものではない。

八総括

以上のとおり、検察官の援用する東洋工務店関係者の各検面及び熊谷組関係者の各証言等は、いずれも信用性に乏しく、これら証拠によって東洋工務店が熊谷組から直接階段基礎工事を請け負ったとの事実は、到底認められない。これに対し、東洋工務店関係者の公判供述等の証拠によれば、本件階段基礎工事は、その発注者が検察官の主張するように石川島であったかどうかはともかく、少なくとも熊谷組が請け負って東洋工務店に下請に出したものであって、その施工主体は熊谷組であり、東洋工務店の従業員は、熊谷組の現場監督の指揮監督の下に専ら労務を提供したに過ぎないものと認められる。したがって、右工事の施工に関して東洋工務店の従業員を指揮監督すべき立場にあったのは、熊谷組の現場監督であった別所らであり、Fがそのような立場になかったことは、明らかであるというべきである。

第五破断原因について

一序論

本件の事故原因については、自治省消防庁内に設置され、各専門分野の学者等で構成された国調により、一年間にわたり様々な実験及び調査が行われ、その結果は、最終報告書にまとめられているところ、検察官の破断原因の立証は、概ね最終報告書及び国調委員の証言に依拠するものといってよい。

検察官は、破断の機序について、公訴事実及び釈明においては、①階段基礎の掘削及び埋戻しの不良のため底板下の基礎地盤の支持力(支持反力)が失われ、②このためタンク底板下の隙間が拡大し、③このためタンク隅肉溶接趾端部内側における側板とアニュラプレートとの角度が開き、④水張り水位の上昇や重油の出入れによる繰返し荷重により、右趾端部に発生していた初期亀裂が拡大し、これが破断につながったと主張したが、論告においては、主張を再構成して、それと若干異なる主張をしている。そこで、以下の判示にあたっては、まず、タンクの破断部及び基礎地盤の形状等の客観的事実を認定したうえ、公訴事実に沿って、階段基礎の掘削及び埋戻しによって、①底板下の基礎地盤の支持反力が失われたか、②底板下の隙間が拡大した原因とされる測方流動及び基礎地盤の滑りが生じたか、③隅肉溶接趾端部における側板とアニュラプレートとの角度にいかなる影響を与えたかという点について、順次検討し、論告における主張にも触れる。また、公訴事実においては、階段基礎の掘削及び埋戻しの不良と並ぶ破断原因として、溶接欠陥があげられており、事案解明の必要上できる範囲で、その他の要因についても検討し、最後に、事故原因について総合的に考察することとする。

二客観的事実の検討

国調の最終報告書等の関係各証拠によれば、破断したT―二七〇のタンク本体及び基礎地盤の状況等について、以下の事実が認められる。

1  破壊の態様及び破断部の形状

(一) 破壊の態様

T―二七〇の破断部は、側板とアニュラプレートの内側隅肉溶接継手趾端部(アニュラプレートの上に側板を載せてその内側を溶接した場合に、溶接金属がアニュラプレートに接する先端の部分)付近の円周に沿って長さ約一三メートルにわたる亀裂破断と、タンクの北を〇度として右回りに約一二八度の円周上の点(基準点)からタンクの中心に向かって約三メートルにわたる亀裂破断とから成り、全体としてT字型を呈していた(別紙図8参照)。後者の亀裂破断は、アニュラプレート母材からアニュラプレートと底板との三枚重ね溶接継手を経て、底板相互の二枚重ね隅肉溶接継手に至るものであった。アニュラプレート及び底板は、破断箇所において約2.5メートル垂れ下がっていた。

(二) 破面の色相

円周方向の破断面は、その色相によって青黒色破面、赤褐色破面及び金属光沢破面に分類される(別紙図9参照)。このうち、青黒色破面は、基準点の右方約七〇〇ミリメートルの点(階段基礎の中心とほぼ一致する。)を中心とし、上表面で左右方向に全長約3.7メートルにわたり、板厚方向に進むにつれて左右方向の長さが減少する半楕円状の形状をしていた。この破面の中央部付近では破面相互又はその他のものによる当り面(破面の分離後の移動によって接触した面)が連続しているため、破面の分離以前にこの破面の一部でも下表面に突き抜けていたかどうかは明らかでない。この破面には酸化第二鉄を含む厚さ一〇ないし一〇〇ミクロンの青黒色酸化物の付着が著しかった。青黒色破面の外側には赤褐色破面が、更にその外側には金属光沢破面が存在した。赤褐色破面は、外周線が上表面で全長約八メートルの三日月状の形状を示し、厚さ一〇ミクロン以下の赤褐色酸化物が付着しており、青黒色破面と同様に層状破面の様相を呈していた。金属光沢破面には酸化物の付着が少なく、繊維状かつ層状の様相を示していた。

(三) 断面の形状及び板厚の変化

破面の断面の形状は、基準点付近では板の表面に対してほぼ直角であり、その両側では約四五度の傾斜となっていた。青黒色破面のアニュラプレート側破面の板厚は、12.2ミリメートルでほぼ一定であり、赤褐色破面に移行するあたりから板厚の減少が見られ、破断部終端部までほぼ一定の板厚減少が見られた(別紙図9参照)。

(四) 破面の生成時期等について

以上の事実を総合すれば、概ね以下の事実を推認することができる。

(1) 酸化物の厚さ、破面の色相等から判断して、アニュラプレート溶接継手部における青黒色破面は、赤褐色破面及び金属光沢破面よりも早い時期に生成した。

(2) アニュラプレート側破面での板厚が青黒色破面ではほぼ一定であり、赤褐色破面に移行するあたりから板厚の減少が見られたことから判断して、アニュラプレートの青黒色破面は、拘束の強い状態で分離した。

(3) 初期亀裂の発生に寄与した荷重は、静的荷重又は繰返し数の極めて少ない疲労荷重のいずれかである。

2  破断部の溶接の形状

(一) 溶接欠陥

国調が事故後に行った磁粉探傷検査(鉄などの強磁性体に電磁石を当て蛍光粉末等を吹き付けた場合、割れなどの溶接欠陥があると漏洩磁束に粉末が付着する現象を利用し、粉末の模様によって溶接欠陥の有無を判定する検査方法)によると、T―二七〇の破断部に隣接した側板とアニュラプレート側趾端部にアンダーカット(溶接の入熱が過大であったときに、母材が溶けて趾端部に沿って溝が出来る現象)気味の割れに類似するインジケーション(指示模様)が数箇所発見されたが、これが溶接の際に出来た溶接欠陥であるか、大破断の際に出来た割れであるかは明らかでない。また、破断部付近の側板内側溶接継手のアニュラプレート側趾端部に深さ約一ミリメートル以下のオーバーラップ(溶接金属が盛り上がって母材と溶融していない部分が生じる現象)気味のスラグ(溶接棒の被覆剤の無機質が溶けたもの)の巻込み及びアンダーカット気味の割れ状欠陥が観察された。更に、破断部付近のアニュラプレートと底板との二枚重ね隅肉溶接継手のルート部には、多くのスラグ巻込み等の欠陥が検出された。ちなみに、T―二七一には、T―二七〇の破断部に対応した部分及びその隣接領域に欠陥指示模様はなかった。

(二) 溶接のパス数

T―二七〇の破断部の側板とアニュラプレートの隅肉溶接継手には、約六メートルにわたって六パス溶接(溶接棒で盛った回数が六回である溶接)がされていた。この部分の溶着量は大きく、溶接金属の形状は凸型で、盛上り角度が約七〇度であった。これ以外の部分では、概ね三パス溶接がされていた。なお、T―二七一には、このような六パス溶接はなかった。

3  T―二七〇の基礎地盤の状態について

(一) 基礎地盤の事故後の状況

T―二七〇の直立階段近傍の基礎地盤は、破断時に油が流出したために洗掘され、タンクの北を〇度として右回りに約一〇〇ないし一六三度の範囲で失われている。アニュラプレートのタンク外側への張出し部(幅約四八ミリメートル)においては、約三〇〇度の地点から破断部に向かって傾斜があり、最高点と最低点との差は二六〇ミリメートルで、洗掘された破断部において局部的に垂れ下がっている。底板の高低差は約三〇三ミリメートルで、基礎地盤の高低差は約二六一ミリメートルであった。

(二) 底板下の隙間

底板と基礎地盤は、油を取り出した状態において密着していない所があり、最大約八〇ミリメートルの空隙が測定された。基礎地盤の全般の傾向として、側板の下は局部的に沈下し、側板から一ないし二メートル内側に入った箇所は小高く、三ないし四メートル離れた箇所は低く、これに続いて中央部まで凹凸が見られた。

(三) 基礎地盤の土質

基礎地盤は、事故後のボーリング調査の結果によると、地表面から1.0メートルまでが陸上の埋立土(盛土)、深度1.0メートルから4.7メートルまでがサンドポンプによる埋立土、深度4.7メートルから9.65メートルまでが高梁川の河口で堆積した砂層、深度9.65メートルから18.0メートルまでが軟らかい粘土、その下が堅固な砂礫層である。盛土と砂層の圧密沈下は短期間で終わるが、粘土層の沈下は長期間継続する。

(四) 基礎地盤についての実験結果

(1) 土研式簡易貫入試験

地表面から三メートルまでの深さの地層の性質と均一性を調べるため、土研式簡易貫入試験(ハンマーでコーンを土中に叩き込み、一〇センチメートル貫入させるのに要する打撃回数を調べるもの)を行った結果、貫入抵抗(N値)は、測定位置によりばらつきがあったが、一般に側板の近傍において低く、タンクの内側へ行くほど高くなる傾向にあった。

なお、検察官は、論告において、右試験結果について、流出基礎部分に最も近接する一六五度の地点のN値が概ね最も小さい旨主張するが、右地点は、階段基礎の設置された地点(中心は一二八度)からタンク側板に沿って約16.9メートルも離れており、右の値をもって階段基礎の掘削地点のN値を推定することは、相当でないというべきである。

(2) 載荷試験

コンクリードブロック(三〇センチメートル×二四センチメートルの長方形)を載荷板としてジャッキで載荷する試験を行った結果、側板下の基礎地盤では、地盤係数K値は、第一回が一三ないし二〇kg/cm3、繰返し載荷の第二回以後が三〇ないし三三kg/cm3であり、この場合の残留変形は、第一回が0.5ないし1.0ミリメートル、第二回以後が一回毎に約0.1ミリメートルであった。アニュラプレート下の基礎地盤では、K値は、第一回が5.5kg/cm3、第二回以後が二九kg/cm3で、残留変形は、第一回が3.4ミリメートル、第二回以後が一回毎に0.2ミリメートルであった。

底板直下のオイルサンドを取り除いて真砂土の上で行った載荷試験では、K値は、第一回が8.1kg/cm3、第二回が29.133kg/cm3であった。

三〇〇度の地点の側板下の基礎地盤を砕石リングの上面まで掘削し、新しく砂をバイブロコンパクターで締め固め、砂の一部を掘削してコンクリートブロックを埋め、施工時の状態を再現して載荷試験を行った結果、K値は、第一回が4.9kg/cm3、第二回以後が23.3kg/cm3となった。

階段基礎のため掘削及び埋戻しをした基礎地盤を想定し、一五度の地点の側板下の基礎地盤の位置に階段基礎工事の状況をほぼ再現した緩い砂地盤を造り、載荷試験を行った結果、K値は、第一回が0.2kg/cm3、繰返し載荷の第二回が5.03kg/cm3で、第一回の載荷による沈下は殆ど残留して反発がなかった。

(3) 水張り荷重載荷試験

202.5度付近でタンクの一部を縦横各約一〇メートルの鉄板で囲って水槽を造り、水張り試験を行った結果、底板と基礎地盤との空隙がある部分でも、水深が深くなると接地する面積が増大したが、水深二メートルでも接地しない箇所があった。接地した底板は、その部分の地盤係数に応じて沈下するが、その量はごくわずかであり、地盤係数が全体的に見てほぼ均等であるため、底板は、概ね基礎地盤の形状と同じになった。底板の上面の半径方向の歪は、側板に最も近いアニュラプレートの部分、アニュラプレートと底板との継目部分で大きくなっている。

三検察官の主張の検討

1  底板下の基礎地盤の支持反力低下の有無について

(一) 検察官は、公訴事実等において、埋戻し土を棒で突き固める程度では転圧方法として不充分であり、これが底板下の隙間が拡大する原因となったと主張する。

この点について、国調委員で船舶工学、応用力学の専門家である山本善之委員は、「埋戻しの行われた所は非常に狭い所なので、充分突き固められたかは疑問である。突き固められても、上下方向に突き固められるので、水平方向には必ずしも大きな力が出ないことが、われわれの研究で判っている。」(53.11.1四四丁裏―四五丁表)、「水深一二メートルのときに掘削した直後に埋め戻しても、それがバネ定数として効くかどうかは疑問である。」(六回四七丁表)と証言し、後記のとおり、基礎地盤の滑りが生じたことの根拠として、埋め戻された土の性質及び埋戻しの方法からして充分な支持反力を持ち得ないことをあげる。また、国調委員で溶接工学、材料力学の専門家である小倉信和委員も、「埋戻し土の部分は、どうしても従来からの基礎と同じように丈夫にすることは不可能である。埋戻し土は、水張り試験の直後には軟らかく、下からタンクを支えない状態になっていた。」(53.10.4七三丁裏―七四丁表)と証言し、後記のとおり、山本委員と同様の見解をとっている。

これに対し、国調委員で数少ない土木工学の専門家である福岡正己委員は、「国調で、東洋工務店が砂、砕石、マサ土等の混合物で棒で突いて埋め戻したと聞いたので、図六・三・三―四の実験を行った。これらの埋戻し土も、容易に締め固まる性質をもっていた。図六・三・八―六の(a)、(b)でK値の低い部分も沈下すれば支持力が上がることは、図六・三・八―三から明らかである。」(55.2.6二二丁表―二八丁裏)、「実験結果を尊重すれば、突き棒で突いた程度でも、埋戻しは充分であったと考える。突き棒で突くというのは、こういう穴の中では、機械が入らないので、最もよい方法だと思う。」(同六六丁裏―六九丁表)と証言する。しかも、同委員の証言(同二三丁表―二四丁表)によれば、右の掘削及び埋戻し状況の再現実験を行う際、国調として厳密な審査をしなければならないので、余りよく突き固まっていなかったとの想定に立ち、棒で緩く突き固めたことが認められるのであって、実際より不利な条件であったにもかかわらず、前記の結果を得たものである。したがって、右実験結果(前記二3(四)(2)参照)を見る限り、埋め戻した土も沈下すれば支持力が上がることが認められるから、埋戻し方法が不充分であるとはいえない。

(二) 山本委員は、階段基礎の掘削及び埋戻しにより地盤の支持力が低下し滑りが生じた根拠として、国調の行ったコーン貫入試験をあげる(53.11.1三六丁裏―三九丁表)。

しかし、この点についても、福岡委員は、「コーン貫入試験で用いたコーンペネトロメーターは、人の重みで押し込むものであるから、非常に固い地盤では使えない。コーン貫入試験は、もともと粘土の強度(粘着力)を簡単な方法で求めるために作ったものであるから、砂の場合には、解釈の元を作ってから使わなければならず、その点を注意する必要がある。コーン貫入試験は、この時は予備調査として行ったもので、支持力を判定するには別に載荷試験等を行っているから、学問的にはコーン貫入試験から支持力を判定しなくてもよい。貫入試験は、一般的に充分深く突っ込んでやらないといけない。表面だけつっ突いてやると、非常に小さな値が出る。地表面の値が小さいということから支持力を判定する訳にはいかない。今回のコーン貫入試験の方法では、底板の上から底板をワイヤーソーで切った時に下の砂を傷つけた可能性がないとはいえないし、試験箇所の基準を底板上でとったり、地盤上でとったりした可能性もあり、どちらをとるかによって一〇センチメートル位違いが出る。」(54.11.2四三丁表―五二丁表)と証言する。これによれば、そもそも転圧によって支持力の増加した本件の基礎地盤においてコーン貫入試験を行うのは適当でなく、また、実際に行われた試験方法も正確性を欠く疑いがあるから、その試験結果に重きを置くことはできない。したがって、この結果をもとに基礎地盤の支持反力を判断することは、相当でないというべきである。

(三) 結局、山本委員や小倉委員の前記見解は、根拠に乏しいものであり、階段基礎の掘削及び埋戻しによって底板下の基礎地盤の支持反力が失われたとする検察官の右主張は、そもそも前提において根拠が薄弱であるといわざるを得ない。

2  側方流動について

検察官が公訴事実及び釈明において、側方流動が底板下の隙間が拡大した原因であると主張するのか必ずしも明確でないが、論告においてそれを主張する(もっとも、初期亀裂の発生時期との関係で、それが初期亀裂の発生原因であるのか、これを深化させた要因であるのかは、明らかでない。)ので、これを検討する。

(一) 奥村委員の見解について

最終報告書四四頁には、「実際の基礎の挙動を考えると側板の近くでは盛土の局部的な側方変位が生ずる可能性があり、このため、側板近傍が沈下し易く、底板と側板との間の角度が減少するような変形が生ずる可能性があるといえよう。」との記載がある。

国調委員で溶接構造工学の専門家である奥村敏恵委員は、底板下の隙間が生じた原因として側方流動をあげ、「タンクの側板の下には砕石リングが設けてあるが、これは、上からの荷重により土が側方に流れるのを防ぐ役割を果たしている。階段基礎を設置するに当たり、砕石リングが部分的に取り除かれた。階段基礎のコンクリートも、中心部分においてはこれと同じような働きをしたと考えられるが、側面においては側方流動の防ぎ方が足りず、窪みを作る現象を起こしたと考えられる。砕石リングはリング状に連続して置かれていることが重要であるが、階段基礎では連続でなく切れ目があるので、そこで側方流動を止められず、窪みが大きくなったと推測している。」と証言する(53.9.6四七丁表―四九丁表、六六丁表―六九丁裏)。

この点について、福岡委員は、「われわれが側方流動といっているのは、もっと深い所のことで、地盤の表面に近い所には普通使わない。階段基礎は、コンクリートで圧縮性がないので、側方に埋戻し土がはみ出すのを防ぐ効果(アーチ作用)が起きるため、狭い所に土が入ろうとしても入れず、土が逃げて困るということはない。この効果によって一、二ミリメートル砂が流れることはあるかも知れないが、凹むような大きなものは考えられない。」と証言する(55.3.5二九丁裏―三一丁表〉のであって、これによれば、側方流動によって底板と盛砂基礎との間に隙間が生じるとは考え難いところである。

他方、奥村委員も、側方流動をそのような意味で用いているのではなく、タンクの上からの荷重によって盛砂基礎の土が水平方向に動く成分の意味で用いており(54.2.2七丁表、裏)、タンク底板近くの盛砂基礎における変形のことをいっていることが明らかであるが(同五七丁表)、そうであれば、底板下の約四〇センチメートルより深い部分にある砕石リング(図六・三・一―八参照。設計では、六〇センチメートルより深い部分にある。別紙図2参照。)が削られているか否かは、さして重要性をもつとは考えられない。加えて、同委員も、底板から砕石リングまでの約六〇センチメートルの範囲で側方流動が大きいというデータはない旨証言する(同五七丁表、裏)とともに、「タンクの基礎が締め固まって垂直に切り立っている状態であれば、側方流動はないと類推できる。」と証言し(同六二丁表―六三丁表)、実質的には前の証言を撤回している。

以上のとおり、側方流動によって破断原因を解明することも因難であるというほかない。

(二) 検察官の主張について

検察官は、論告において、側方流動が計算上生じなくても現実には生じるものであると主張し、その根拠として被告人Aの公判供述(八三回二〇丁表)をあげる。しかし、同被告人が側方流動が生じると供述しているのは、その前後の文脈や地盤改良工事検討書(検六〇三中の裏番号一一三〇四以下)等を伴せ考えれば、盛砂基礎よりも下の部分における本来の意味での側方流動のことであり、奥村委員のいう盛砂基礎での側方への変位でないことが明らかであって、右供述は、側方流動の根拠とはなし得ないものである。のみならず、福岡委員の証言(54.2.2八五丁表、裏)及び最終報告書四一頁によれば、千代田のタンク基礎の設計において側方流動が見込まれていることが認められるのであって、検察官の主張は、理由がないといわざるを得ない。

(三) 奥村委員の鞍型変形論について

奥村委員は、側方流動に関連して、タンクの破断原因に関する見解を示しているので、これを見ることとする。

(1) 同委員は、「青黒色破面における拘束の強い引っ張りが破断の出発点になった。拘束の強い条件の発生原因としては、二軸方向の曲げがその部分に働いたというのが、一つの考え方である。二軸方向の曲げとは、底板の円周方向に破壊の起点と思われる所が上に凸形の曲げを受け、半径の内側に向かって沈下する曲げを受けて、鞍のような変形を生じることをいう。図六・三・六―二を見ると、T―二七一の階段基礎の中心に近い所が隙間が小さく、縁に近い方が隙間が大きくなっている。これは、油を取り除いた状態であるので、油を入れると、隙間までは油の力で底板が下がる。階段基礎に沿って真ん中付近が円周方向に上に凸形の変形を生じており、半径方向には上に凸の窪んで行く変形を生じている。」と証言し(53.9.6三八丁裏―四五丁表)、側方流動によって生じた底板下の隙間の存在や基礎地盤の鞍型の変形をタンクの破断に関連づける見解を示している。

(2) そこで、T―二七一の底板下の隙間及び基礎地盤の形状を検討するに、図六・三・六―一において側板付近の底板の高さを見ても、直立階段基礎の真ん中付近が円周方向に上に凸の曲線を描いているとは明確にいい難いうえ、図六・三・六―二において底板と基礎地盤との空隙の大きさを見ても、階段基礎に対応する⑭ないし⑱の各点の測定値を拾っていくと、奥村委員のいうような空隙の大きさの特徴も窺えないことはないが、右の各点と合わせてその各中間点の測定値を拾っていくと、そのような明確な特徴を見出すことはできない。また、右図は、中性子で空隙を測定した結果であるため、もともと側板付近での計測値の信頼度が落ち、側板直下の計測値でないことは、同委員も自認するところである(54.2.2四二丁表―四三丁裏)から、同委員の主張する鞍型論に充分な根拠があるとはいい難い。更に、基礎地盤の鞍型の変形は、同委員の証言によっても、長さ約四メートル、高さ約二センチメートル程度のものであり(同三六丁表、裏)、図六・三・六―三(1)ないし(3)では、縦と横の縮尺が異なるため、上下方向の変形が強調され、そうした特徴があるかのように見えるが、実寸では、図六・三・六―三(4)のように、さほど顕著な特徴があるとはいい難い。同委員も、「アニュラプレートの趾端部の階段基礎の対応部分が鞍状の変形をしていたという報告はない。書き方によっては、二センチメートルというオーダーは、極めて無視できるようなオーダーかも知れない。鞍型があったから決定的に壊れたとはいえない。そういう要素もいくらかあるという程度である。」(同四五丁表―四九丁表)と、自らこれを破断原因とする見方を否定するかのような証言をしている。

T―二七〇の基礎地盤が破断部において洗掘されて失われているため、階段基礎部分における隙間の有無及び基礎地盤の形状等は、他から推測するほかない。この点について、奥村委員は、「鞍型論は、私の個人的見解である。T―二七一のデータをT―二七〇に類推することに問題点があったので、国調では発表しなかった。」(同一四丁表―一七丁裏)、「学問的には、使用条件や建設の条件等が大変似たようなタンクを数例調べて、その中から共通した事実があれば、壊れたタンクにも適用できる論理的背景が出てくるが、一個のタンクの例をそのまま他へ適用するということは、確率論的にいっても大変危険である。われわれがT―二七一を調べたのは、似たようなタンクを調べれば、学問的に今後の問題を追究する資料になると考えたからである。」(54.6.8三四丁表―三六丁裏)、「T―二七〇と二七一で掘削、埋戻しの状況が厳密に同じとはいえないと思う。」(54.9.7六七丁裏―六八丁表)と証言し、T―二七一の階段基礎部分の基礎地盤の形状からT―二七〇のそれを類推することに自ら疑問を表明している。もとより、T―二七〇とT―二七一の施工時期、場所、工法及び使用状況等が類似していることから、T―二七一の状況がT―二七〇のそれを推測するうえで重要な手掛かりとなることは、否定し得べくもないが、T―二七〇の階段基礎近傍の基礎地盤の形状がT―二七一と同様であったというには、同委員の指摘するとおり、議論の飛躍があり、方法論的にも問題点があるというべきである。ちなみに、図六・三・六―六(1)及び(2)、図六・三・六―九(1)及び(2)によれば、T―二七二及び二七三の基礎地盤の形状は、T―二七一のそれと著しく異なっていることが認められるが、T―二七二及び二七三の資料も、T―二七一と使用条件が異なるとはいえ、後記4(四)(4)のとおり、T―二七〇の参考資料となり得るのであって、それによれば、T―二七一の資料のみをもってT―二七〇の基礎地盤の形状を推測することは、妥当でないというべきである。

(3) 以上のとおり、右見解は、それ自体充分な根拠を有するものではなく、それによって破断の機序を説明することはできないというべきである。

(4) なお、山本委員も、「T―二七一の空隙図(図六・三・六―三(1)ないし(3))によれば、一般の所では側板の底部と基礎との間に殆ど隙間がないが、直立階段付近では、かなり大きな隙間が出来ている。直立階段から離れた所では、隙間の形は、側板の近くで上向きに凹の形であるが、階段基礎の近くでは、上向きに凸の形をしている。直立階段付近の基礎は、側板の直下で一般部に比べて下がっている。」と証言し(53.11.1一八丁裏―二〇丁表)、奥村委員に類似した見解を示している。

同委員は、後に見るように、隙間の存在を、砂の中で滑り現象が起こり基礎地盤に不支持部分が存在したことの傍証としている(同二一丁表)が、図六・三・六―三(1)ないし(3)における隙間の形状の特徴やT―二七一の階段基礎部分の隙間の形状からT―二七〇のそれを類推することに問題があることは、奥村委員の場合と同様であり、T―二七一の直立階段付近で大きな隙間ができていることや側板直下の基礎地盤が他より下がっていることが、T―二七〇の破断に有意な関連を有しているといい難いことは、前述のところからも明らかである。

3  基礎地盤の滑りについて

検察官が公訴事実及び釈明において、基礎地盤の滑りが底板と基礎地盤との隙間を拡大させた原因であると主張するのか明らかでないが、論告においてはそれを主張する(もっとも、側方流動と同様、初期亀裂の発生時期との関係で、それが亀裂の発生原因であるのか、亀裂を深化させた要因であるのかは、明らかでない。)ので、以下検討する。

(一) 山本委員の見解

(1) 最終報告書四五頁には、階段基礎付近のタンクと基礎の相互作用についての「一つの考察」として、「直立階段基礎掘削時には、基礎上面はタンク底部から一二メートルの水圧を受けているので、基礎の一部に部分的な変形が生じて、その部分の支持反力が減少したと考えられる。この埋戻しの範囲内において、山砂の層で四五度の面に沿って部分的変形が生じたとすれば、側板下より約一メートルの範囲に基礎と底板との間にすき間が生ずる可能性も考えられる。ここで、上記の仮定に立てばこの部分は、埋戻された後にも埋戻し砂による側圧がほとんど加わらず、したがって以後何等の支持反力も発生しないと考えると、側板下内側の隅肉溶接部の底板の曲げによって耐力をこえる引張り応力が生じ、この部分に塑性変形とともに割れが生ずる可能性も考えられる(図六・四・二―一参照)。」との記載がある。

この仮説の提唱者である山本委員は、隙間のできた原因として、階段基礎工事の際の掘削及び埋戻し不良を指摘するとともに、右工事で掘削されなかった箇所でも砂の中で変形ないし滑りが起こったことをあげ(53.11.1二一丁表)、「直立階段の所が水張り試験の途中で、水位が一二メートルのときに掘削されたため、水の力によって上から押し下げられ、そのため砂が緩むことも容易に考えられる。」(同三九丁裏―四〇丁裏)、「横から押している力がなくなることによって、砂が崩れたというところまで行かなくても、かなり変形を受けた。一二メートルの対応する水圧は決して小さくないので、それがそのまま地盤に加わることにより反力が失われて、砂が滑ったと考えられる。」(同四四丁表―四五丁裏)、「掘削時にも多少崩れているのではないかと思うが、目には見えないかも知れない。それが目に見えたかどうかは、この辺は注意できないところだと思うし、垂直に掘削したものでもないと思うので、分かるはずもないと思う。」(六回四五丁表、裏)と証言する。同委員は、その理論的説明として、図六・四・二―一をあげるが、これによれば、側板から奥行四〇センチメートルの範囲が掘削されて埋戻しが不充分であったため、この部分の山砂の反力が失われて、砕石の上の山砂が四五度の角度で滑り、このため側板から奥行一メートルの範囲に軟弱な地盤(l)が広がり、これによりタンクの底板とアニュラプレートとの接合部における応力(物体が荷重(外力)を受けたときに荷重に応じて物体の内部に生じる抵抗力のことをいう。)が降伏点(物体に加える荷重を増大させた場合に、ある点から物体の変形が急速に増加し、応用の変化を殆ど伴わずに永久歪を生ずるようになるが、その点での応力の値のことをいう。)に達し、約一度の残留角変化が生じるというのである(53.11.1四六丁表―五三丁裏)。

(2) まず、山本委員の見解のうち、掘削時にも崩れが生じていたとの点については、それが目に見えないようなものであれば、そもそも崩れが生じたといえるのか疑問であり、そのような崩れがあったことは、証拠上何ら認められないから、結局、右の点は、根拠に乏しいものというほかない。

(3) 次に、山本委員の滑りに関する前記仮説は、同委員によれば、実際には軟弱な地盤から健常な地盤へと支持反力が漸次変化しているのに、健常な部分は完全な地盤であって支持反力が非常に大きく、七、〇〇〇×六〇kg/mm2のオーダーであるのに対し、軟弱な地盤(l)では反力がゼロであると仮定したものである(53.11.1五七丁表、六回一丁裏―二丁表)が、健常な部分が七、〇〇〇×六〇kg/mm2もの支持反力を有するとの点は、実際の試験結果に基づくものではなく、根拠が不明であるといわざるを得ない。また、軟弱な部分の支持反力をゼロと仮定した点について、福岡委員は、「埋め戻された砂がある以上、側板から半径方向に五〇センチメートルの部分の基礎地盤のK値は、絶対的にはゼロでない。」(55.2.6八四丁表)と証言するのであって、山本委員の右仮定は、非現実的であるとの批判を免れないものである。

同委員も、後にはこの点を認め、「実際に初期亀裂が発生したときのlの部分の支持反力はゼロでない。lの部分に0.1kg/cm3程度のバネの強さがあるとすると、残留角変化が六割程度になり、応力のグラフの勾配も寝てきて、残留角変化のグラフも右に移動する。角変化が小さければ、初期亀裂も起こりにくくなる。」(六回一五丁表―一八丁裏)と後退した証言をするに至っている(なお、右証言中の「lの部分に0.1kg/cm3程度のバネの強さがある」との仮定に根拠があることにつき、後記4(四)(1)参照)。

(4) 山本委員は、前記のとおり、基礎地盤の滑りの根拠として、埋め戻された土の性質及び埋戻しの方法からして充分な支持反力を持ち得ないことをあげるが、これが根拠に乏しいことは、既に見たとおりである。

(5) 以上のとおり、山本委員の前記見解は、そもそも前提に問題があるばかりでなく、これによって初期亀裂発生の機序を説明することは、困難であるといわざるを得ない。

(二) 小倉委員の見解について

(1) 小倉委員も、以下のとおり、基礎地盤の滑りが発生したとの見解をとる。すなわち、「水張り時には、タンクの水の力に加えて、側板と屋根が円周一メートル当たり四トンもの力で側板とアニュラプレートの部分を上から押し、タンクの使用開始後は、熱い重油が入ってくるので、タンクが熱膨張によって外側へずれた。このため、四五度プラスアルファの範囲で崩れが起きた。このとき九〇センチメートルから一メートルを超えて下から支持されなくなるという計算結果もある。」(53.10.4七四丁表―七六丁表)、「滑りが起こると九〇度位になることは、非常に確かである。」(同八三丁裏)、「T―二七二と二七三の現状からすると、水張り試験の終わった段階では、まだ滑りは起きていなかった。使用開始後、八〇度を超える重油が入れられて、これが二〇メートルを超える高さまで上下したので、その繰返し荷重の上からの作用とタンクの熱膨張によって、使用開始後のごく早期に滑りが起き、支持力を失った範囲が拡大した。」(53.11.1九丁裏―一〇丁表)と証言する。

(2) 小倉委員の右見解は、基礎地盤の滑りの発生時期がタンクの使用開始後二、三回油が上下したときか、水張り試験中水位が二四メートルに達したときかという違いはあるものの、山本委員の前記見解と本質的に異なるものではなく、右見解について述べたところが、基本的に妥当するといってよい。

(3) 小倉委員は、四五度プラスアルファの範囲で基礎地盤の滑りが起きたとする根拠として、石川島が国調に提出した資料をあげるに止まり、何ら理論的説明を行っていないが、53.11.1調書末尾添付の右資料を見ると、「T―二七〇において土が階段基礎の掘削によりひずんだと思われる範囲を推定する。」との記載が抹消されており、これをもって直ちに滑りが生じたことの根拠とすることができないことは明らかである。

(4) 小倉委員は、側板とアニュラプレートとの角度が九〇度位のときに基礎地盤の滑りが生じたとするが、53.10.4調書末尾添付の資料一四の一によれば、階段基礎やTAL箱のない場所においても、例えば、T―二七〇の四五度付近やT―二七二の二〇〇度付近では右角度が約九〇度に達し、T―二七三の一五〇度付近、一九〇度付近及二四〇度付近では九〇度を超えていることが読み取れる。同委員は、これらの箇所において角度が開いている原因が不明である旨証言する(54.9.7一二丁表)が、そうであれば、T―二七一の階段基礎付近の角度が九〇度位に開いていることが基礎地盤の滑りによるものであると断定することも、同様に困難であるというべきである。しかも、本件タンクにおいては、前記のとおり、水張りや油の出入れによってタンク中央部が周辺部に比べて沈下の程度が大きいことを予想し、それゆえ、側板とアニュラプレートとの角度が九〇度位に開くように、予め盛砂基礎の中心付近をわずかに高く設計しているのであって、当初の設計どおり側板とアニュラプレートとの角度が九〇度に開くと基礎地盤の滑りが発生するというのは、いかにも常識に反するように思われる。

(5) 小倉委員の見解のうち、使用開始後の繰返し荷重とタンクの熱膨張のよって基礎地盤の滑りが起きたとする点については、T―二七〇の使用開始後の最高液位は前記のとおり約二二メートルであり、本件流出重油の比重が0.9204であることからすれば、使用開始後の荷重は最大20.25t/m2であって、水位二四メートルの水張り時の荷重を下回っており、何故水張り時でなく使用開始後に滑りが起きたのか、疑問の残るところである。また、熱膨張に関して、この種の鋼材の膨張率が約11×10−6であることから、半径26.151メートルのT―二七〇では、タンクの外周部において、常温の一五度から八〇度に加熱されることにより、約1.87センチメートルの膨張があるものと認められる。この点に関し、最終報告書四四頁には、「T―二七〇及び二七一タンクにおいては、加熱重油がタンクに注入されると、タンク底部が伸びてタンクの直径も大きくなるが、その際、タンク底部と基礎との間の摩擦が生ずると考えられる。」との記載があるところ、福岡委員は、「タンクに水や油を張った場合、水圧で側板が外側に膨らむので、側板が外側に動いて、その下の土が引っ張られて移動し、これが滑りを助長しないか検討したところ、土は数センチメートルのオーダーで動くが、そのせん断応力は、一メートル八〇センチメートルという深さでなく、もっと深い所まで伝わるので、簡易にせん断面が出来るというパターンにはならない。また、その量を計量しても、センチメートルのオーダーで、非常に小さいので、ここに起こる摩擦力は、余り大きくない。しかも、ここにはオイルサンドを敷いてあって、摩擦力を減殺する措置が講じてある。」と証言する(55.3.5九丁裏―一一丁表)。これらによれば、タンクの熱膨張があるとしても、その影響は、水圧による側板の膨張よりも更に小さく、そのせん断応力(せん断(ずれ)とは、固体の内部で面の上下層が逆の方向の力を受けて、上下層間に滑りを生じるような変形のことをいい、せん断応力とは、せん断に伴い、材料の横断面に、互いに平行で向きが逆に生じる応力のことをいう。)によってせん断面を生ずるような摩擦力が発生するとは到底認め難いというべきである。

(6) なお、小倉委員も、前記のとおり、基礎地盤の滑りが生じたことの根拠として、階段基礎の掘削及び埋戻しによって底板下の基礎地盤の支持反力が低下したことをあげるが、これが根拠に乏しいことは、既に見たとおりである。

(7) 結局、小倉委員の見解によって基礎地盤の滑りが起きたと見ることも困難である。

(三) 福岡委員の見解について

(1) 福岡委員は、基礎地盤の滑りの可能性について、国調が現地で行った掘削試験、支持力試験及び土研式貫入試験等の結果から、滑り面は起こり得ないと考えた旨供述する(55.3.5二丁表―三丁裏、63.3.1検面二八裏―三一丁表)。同委員は、掘削試験について、前記検面において、「掘削は、T―二七〇の二二〇度辺りの側板下で行った。掘削の大きさは、実際の大きさに合わせて行った。サウンディングロッドを差し込んだり、ハンマーで叩いたりして調べたところ、地盤は非常に固くて、崩れなかった。そのときのタンクは空だったが、タンク自体の重さがあるから、それに耐えるということは、かなり固いことの証明となる。この土の強度は、粘着力が五t/m2あることから計算すると、三六t/m2の重みまで持ちこたえられる強度を持っているから、崩れるとは考えられない。掘削試験の結果からも、容易に滑るとは考えられない。」と供述し、また、盛砂基礎の性質について、「T―二七〇のマウンドの最上部のオイルサンドは、粘りを持っていた。その下の真砂土も、締め固まるとかちかちになる性質があり、容易に崩れなかった。」と証言する(55.2.6二〇丁裏―二一丁裏)。福岡委員の右供述等は、山本委員の見解等とは異なり、種々の実験結果に基づくものであり、土木工学の専門家の見解として尊重すべきものである。

また、奥村委員は、「事故後現地を見て、油の流出したあとが垂直に立っていたので、盛砂基礎が大変締まった地盤であると感心した。」と証言し(54.2.2六一丁表―六二丁表)、盛砂基礎が容易に崩れない性質を有していたとする福岡委員の右見解を裏付けている。更に、検察事務官作成の捜査報告書(検三五七)添付のネガ番号一七の写真及び被告人Fの公判供述(五三回四六丁表―四七丁表)によれば、T―二七一の階段基礎の掘削面は、ほぼ垂直に切り立っていることが認められ、他のタンクのそれもほぼ同様の状態であったものと推認できから、基礎地盤の滑りが発生したとは到底考えられない。したがって、この事実も、福岡委員の右見解を裏付けているというべきである。

したがって、以上によれば、基礎地盤の滑りが実際の現象として起ったとは認め難い。

(2) 更に、福岡委員は、基礎地盤の滑りが起こり得ないことの理論的説明として、「横軸に垂直応力をとり、縦軸にせん断応力をとり、土質試験の結果をもとに、土の粘着力を五t/m2、内部摩擦角を三五度として直線を引くと、これが破壊線となり、タンクに水や油がいっぱいに入ったときには約二〇トンになるので、縦方向の荷重を二〇t/m2とし、埋め戻した土が横方向にも縦方向の半分位の力を引き出すが、少し割り引いて横方向の荷重を六t/m2とし、モール円(応力と土の強さを表す方式)を書いてみると(別紙図10参照)、破壊線とモール円が接触しないので、地山の破壊は起こらなかったと考える。また、コンクリートの擁壁に土を裏込して段々高く盛ると、擁壁が前方に移動するという現象が見られるが、これをもとに本件を解釈すると、原地盤が裏込土に、埋立土が擁壁に相当するから、原地盤と埋立土の間にある壁は水平方向に動くと考えられる。その結果、埋立土の単位体積重量が増加し、支持力が増加する。これは、モール円の直径が小さくなって、破壊線からますます離れることを意味する。」と証言し(55.3.5四丁表―九丁裏)、「タンク底板と基礎地盤との間に働く摩擦力によって土が引っ張られ、滑り面が発生するかどうか検討したが、底板及びアニュラプレート上には特異点がなく、全体に荷重が載っているので滑り面は生じにくい。」とも証言する(同一一丁裏―一四丁裏)。

もとより、福岡委員の見解も、仮定に基づく理論ではあるが、同委員の専門家としての学識に加え、モール円が土木工学の理論として確立したものと認められ、計算に用いられた数値も実際の試験結果に基づくものであるから、右見解は、極めて妥当性の高いものというべきである。

(3) 結局、福岡委員の見解によれば、階段基礎付近の土中における滑りは、起こらなかったものと認めるのが相当である。

(四) 福岡委員の見解に対する検察官の反論について

検察官は、論告において、様々な点をあげて福岡委員の右見解を論難するので、以下、これを検討する。

(1) 検察官は、福岡委員の行った掘削試験の部位が当初からの健常地盤であるうえ、掘削までに水張りと重油の出入れによる圧密を受けているから、階段基礎工事の場合とは同視し得ないと主張する。

しかし、図四・一・二―一(別紙図2)等によれば、T―二七〇の盛砂基礎の締固め作業は、一様に行われたことが認められるから、階段基礎対応部であれ、二二〇度の箇所であれ、掘削の部位によって有意な差異が生じるとは考えられない。また、水張りと重油の出入れによる圧密については、被告人Bの公判供述(七三回三七丁裏―三八丁裏)によれば、盛砂基礎の締固めは水張り開始時までに終わっており、水張りによる圧密の対象となるのは深部の粘土層であることが認められ、重油の出入れによる圧密も、これと同様に考えることができるから、盛砂基礎がこれらの荷重を受けることによって一層締め固まることは、絶無でないとしても、無視し得るものということができる。したがって、検察官の前記主張は、理由がないというべきである。

(2) 検察官は、T―二七〇の基礎地盤の粘着力は2.49t/m2と4.41t/m2の中間であるのに、福岡委員が土の粘着力を五t/m2としたのは、前提を欠いた立論であると主張する。

しかし、資料四・一・二―一によれば、4.41t/m2というのは、圧密の対象となる深部の粘性土に水張りによって荷重を載荷するのに必要な粘着力を安全率を見込んで算出したものであり、2.49t/m2というのは、右粘性土に水張りによって17.1t/m2の荷重を載荷するのに必要な粘着力を安全率を見込んで算出したものであることが認められるから、いずれも盛砂基礎の土の粘着力とは無関係である。よって、検察官の右主張も、理由がないといわざるを得ない。

(3) 検察官は、階段基礎の掘削時には側圧が〇であるから、モール円のX軸上の切片は〇と一二となり、破壊線と極めて交差し易いと主張する。

この点について、福岡委員は、証言の際には、掘削埋戻し後の基礎地盤の状況を想定して六と二〇t/m2の二点を直径とするモール円を導いていることが明らかであり、63.3.12検面(三〇丁裏―三一丁表)においては、掘削後埋戻し前においても、上からの圧力の半分位の六t/m2の側圧があると供述している。福岡委員の前記証言によれば、土には垂直方向に圧力が加わると、それが水平方向にも一定の圧力となって現れる性質があることが認められるから、たとえ掘削時であっても、側圧が〇になるとは考え難い。よって、検察官の右主張も、理由がないというべきである。

(4) 検察官は、浦田武男の検面を根拠として、実際に基礎地盤の滑りが起こったと主張する。

確かに、右検面には、「私が仕事を始めようとした時には捨てコンの上の方までタンク基礎の砂や土が崩れ落ちたようになっていました。タンクの底板の下の土は私一寸さわるとざらざら崩れてくるような状態でした。」(一〇丁裏―一一丁表)という記載がある。しかるに、同人は、公判廷において、「タンクの底板の一番外側は、崩れたように落ちていた。」と証言する(二〇回一七丁表)一方、「自分たちの作業中に底板下の土が更に落ちることはなかった。」(同一八丁表)、「私は、作業中にタンク下の基礎がざらざら崩れ落ちるのを見ていない。」(同五六丁裏―五七丁表)、「捨てコンの上に土砂が落ちていたのをじょれんで取ったのは、どのタンクでもあることである。」「同六三丁裏」と証言する。そして、右証言をその作業時の状況と併せ考えれば、要するに、同人が階段基礎の掘削作業において機械掘りの行われた後に手掘りで穴を掘ったため、掘削部の土砂の表面が剥離し易い状態になっており、若干の土砂が捨てコンクリートの上に落ちていたということに尽き、山本委員や小倉委員のいう基礎地盤の滑りとは全く異質なものと見るのが相当である。仮に、階段基礎の掘削中に滑りが生じたとすれば、施工上到底これを放置することはできないはずであるから、他の者の供述にも現れて然るべきであるのに、これが全く現れていないのは、いかにも不自然である。結局、浦田の検面をもって基礎地盤の滑りが起こったとは認め難く、検察官の右主張も、理由がないというべきである。

(5) 結局、基礎地盤の滑りの発生の有無に関する福岡委員の見解を論難する検察官の主張は、全て採用の限りでない。

4  側板とアニュラプレートとの角度の変化について

(一) 序論

国調専門委員で破面解析及び疲労設計等の専門家である飯田國廣委員は、隅肉溶接部内側における側板とアニュラプレートとの角度の変化が初期亀裂発生の必要条件である旨証言する(54.3.2七〇丁裏)ところ、国調で側板とアニュラプレートとの隅肉溶接継手の曲げ試験等の調査が行われたのも、こうした見地に立つものと思われる。

T―二七〇の盛砂基礎が周辺部から中央部に向かって0.66度の傾斜を設けて整形されていたことは、既に認定したとおりである(第三の二3参照)が、その後に右角度がいかなる変化を遂げたかが問題となる。

(二) 小倉委員の見解について

(1) 小倉委員は、側板とアニュラプレートとの隅肉溶接部の角度の変化について、①「事故後、三石、石川島及び千代田の三社が合同でT―二七〇ないし二七三の四基のタンクを空にして角度を計ったデータから判断して、水張り前の角度は八七、八度であったと考えた。」(53.10.4五九丁表―六〇丁表)、「六パス溶接の部分では、アニュラプレートと側板の角度は、他の部分より小さくなっていて、八六、七度になっていたと推測される。」(53.11.1一丁裏―二丁表)、②「水張りによって側板が沈下し、基礎にめり込んでいくので、T―二七〇ないし二七二の三基では、角度は更に小さくなった。その角度変化により、八四、五度になっていた。」(53.10.4六三丁表、裏、七七丁表―七九丁表)、「側板の所には屋根と側板の重さが一メートル当たり四トン位かかっているが、階段基礎工事で穴を掘った部分は、支持力を失って下に下がった。それと水の荷重がかかるので、下へ押し下げられて閉じる方向の変形を受けたと考える。」(53.11.1五丁裏―六丁裏)、「T―二七二と二七三は、水張りの後ずっと軽油が入れられており、一五、六メートルの高さで、殆ど動きがなかったので、このタンクの状態は、ほぼ水張り終了時の状況をそのまま保っていると考えられる。事故後の測定結果によると、T―二七二と二七三では階段基礎のある位置で角度が八六、七度と最も小さいので、T―二七〇も水張り終了時にはT―二七二や二七三のような小さい角度であった。」(53.10.4六九丁表―七二丁裏)、③「油の出入れを始めて一ないし三回目ころに地盤の滑りが起きて、T―二七一のように九〇度位に角度が広がった。」(同七六丁裏―七七丁表、53.11.1七丁表―八丁表)、「T―二七一ではまだ亀裂は出ていないが、亀裂の発生する直前に九〇度位になった。」(53.10.4七九丁裏―八〇丁表)、④「青黒色破面がだんだん広がって行く過程で亀裂が進み、九〇度の角度が更に開いて、事故直前には九五度になった。」(同八〇丁表)と証言する。

ところで、事故前の角度の変化に関しては、これを実測したデータがなく、小倉委員の右証言も、推測に基づくものであることに注意を要する。

(2) そこで、同委員の見解を検討するに、①の部分については、事故後のタンクの測定結果が何故事故前の角度を示しているといえるのか、何ら根拠は示されていないし、その測定結果(53.10.4調書末尾添付資料一四―一)を見ても、約八三度から九〇度まで大きなばらつきがあるところ、同委員にもその原因が明らかでない(54.9.7八丁表、裏)のであるから、平均値を用いることも、方法論として問題があるというべきである。

(3) 次に、②の部分のうち、水張りによって側板が下がるかどうかについては、水張り前の段階でも、側板と屋根の重量による荷重と基礎地盤の支持反力が均衡を保っていると考えられるから、水張りの時点で急にこれらの荷重が作用するとは考えられない。

また、小倉委員は、水張りによる角度変化について、「T―二七〇ないし二七二では角度が閉じるが、バイブロコンポーザー工法の採用されたT―二七三や喜入のタンクでは角度が開いている。なぜサンドドレン工法では角度が閉じ、バイブロコンポーザー工法では角度が開くのかといわれても、その理由は説明しにくいので、この点については自信がない。」とも証言する。(53.10.4六三丁裏―六四丁裏)。これについて、福岡委員は、「水張りによって側板とアニュラプレートの角度は、基礎の工法がバイブロコンポーザー工法の時には開くがサンドドレン工法の時は閉じるといったことはない。工法自体よりも、設計や土によって効果が全然違う。」と証言する(55.3.5二四丁表、裏)うえ、前記の測定結果を見ても明らかなように、水張りによって側板とアニュラプレートの角度が開くか閉じるかは、同じタンクにおいてもまちまちであり、T―二七〇ないし二七二において一律に閉じるとは到底いえない。結局、小倉委員自身、「水張りの間にアニュラプレートにどのような荷重が作用するかは、はっきり判っていない点が多い。」と証言する(53.11.1二丁表、裏)ように、同委員の前記見解は、根拠に乏しいものといわざるを得ない。

加えて、T―二七二と二七三に水張りの後ずっと軽油が入れられて、一五、六メートルの高さで一定だったとしても、その荷重は無視し得ないから、右両タンクの事故後の測定結果が水張り終了時の角度を保っていたかどうかは疑問の残るところである。この点を措くとしても、右両タンクの階段基礎部分における基礎地盤の状態がT―二七〇のそれと同一であったかが不明である以上、右両タンクの階段基礎部の角度をもってT―二七〇の水張り終了時の角度を推定するのは、根拠に乏しいというべきである。

また、同委員の見解によれば、T―二七二と二七三の階段基礎の位置の側板とアニュラプレートとの角度の事故後の測定値から、T―二七〇の水張り後の角度を八六、七度と推測すべきことになるところ、同委員がこれを八四、五度としているのは、理解に苦しむところである。

(4) 更に、③の部分については、既に見たとおり、T―二七一の状態から直ちにT―二七〇の状態を推定することに論理の飛躍があり、そもそも基礎地盤の滑りが起こったと考え難い(前記3参照)から、T―二七〇の階段基礎の部分の角度が九〇度位であったとするのは、前提を欠く議論というほかない。加えて、同委員は、前記のとおり、亀裂発生の直前の角度が九〇度であると証言する一方、「九〇度位で亀裂が入ったと考えても、曲げ試験の結果からおかしくない。」(53.10.4八三丁裏―八四丁表)とも証言するのであって、亀裂が発生するのかしないのか曖昧である。

同委員は、九〇度で亀裂が発生したとする根拠について、「当時は、八七、八度で出来たものが、水張り時に二、三度閉じ、それから九〇度まで開くという過程で、角度変化を全部加算すると、六、七度の角度変化で亀裂が発生した疑いがあると考えた。その後、千代田の行った実験結果により、算術加算したのは間違いであると判った。」(同八〇丁裏―八二丁表)、「私の行ったL型の曲げ試験では、五〇ミリメートルの試験片で一二度位で最も早く亀裂が発生したが、実際のタンクでは、五ないし七度で亀裂が発生したと考えられる。この根拠としては、L形の曲げ試験の結果に高温下の低歪速度効果が加わるうえ、試験片を五〇ミリメートルから幅の広いものにすることにより、亀裂発生までの角度が低下する効果があるので、これらを掛け合わせることによって、現実の亀裂発生を説明し得ると考える。」と証言する。(54.3.2九丁表―一〇丁裏、四〇丁表―四一丁裏)。

右証言において、L型の曲げ試験の結果に高温下の低歪速度効果(後記四参照)と板幅の影響を掛け合わせてよいものかどうかは、両者を組み合わせた実験をしてみなければ判らないものであるが、右証言がそうした実験に基づくものではなく、推測に止まるものであることは、同委員も認めるところである(54.7.6六二丁表、裏)。

更に、同委員は、一二度という最も早く亀裂が発生した試験片(S―四―二八―c)のデータを根拠としてあげるところ、他の試験片では全て二〇度以上の角度で亀裂が発生しているのに、右試験片では一二度という他から飛び抜けて低い値で亀裂が発生し、かつ、荷重と曲げ角度に関するグラフ等(53.10.4調書末尾添付資料一二、一三―一及び二)を見ても、その形状及び亀裂の発生点が異常であり、右試験片には何らかの異常が疑われるのであって、同委員も、その疑いを否定していない(54.7.6八丁裏―一三丁裏)。したがって、このようなデータのみを用いて亀裂の発生角度を論じるのは、方法論的にも問題があるといわざるを得ない。ちなみに、その他の試験片で最も小さい角度で亀裂が発生したのは二〇度であってこれによれば、九〇度までの角度変化で亀裂が発生したと見ることは困難である。

このほか、右のL型曲げ試験に対しては、他の国調委員も、L型で調べたものが実際のタンクと同じかどうか疑問があるなどと証言する(木原証人53.12.6四丁表、裏、奥村証人54.12.14八二丁表、裏)のであって、国調の内部においても、右試験結果に対してはそれほど高い評価が与えられなかったものと見ることができる。

結局、小倉委員の見解のうち③部分も、根拠の乏しいものといわざるを得ない。

(5) 最後に、④部分については、同委員も、「油が入って隅肉溶接部の角度が九〇度位になり、油が出て角度がそれ以下になるような変化を繰り返した場合に、亀裂が拡大するかという点は、まだ研究されていない。われわれは、本件タンクで一八回の荷重の繰返しがあった状態で破面が出来たという事実から、亀裂が拡大しただろうと考えた。」と証言する(54.3.2二五丁裏―二六丁表)ように、荷重の繰返しによって亀裂が拡大する機序を何ら理論的に説明し得るものではない。そればかりか、同委員自身、「右のような角度変化を繰り返した場合、一〇年先か一五年先には亀裂が拡がって行くといえるが、今回のような破断は起こらなかったといってよい。」と証言して(七回四丁表、裏)、実質的には前の証言を撤回している。

また、事故直前に角度が九五度になっていたとする部分は、同委員の行った破面の突合せ実験の結果に基づくものであり、(53.10.4七一丁裏)、この実験は、大体板厚の下から三分の一の破面がくっついた角度を測定したものである(同二六丁表)ところ、飯田委員の証言(54.12.14二二丁表―二三丁表)によれば、青黒色破面が進んで底を一ミリメートル程度残したような状態になっても、底抜けになっていなければ、繰返しの曲げ荷重に対して長期間耐えられることがあると認められるから、右のような実験方法によって大破断の直前の状態を測定し得るか疑問である。加えて、右実験については、国調においても、突合せ角度の測定に主観が入るのではないかとの指摘がされたことは、小倉委員も認めるところであり、(53.10.4二五丁裏)、木原委員長も、「小倉委員の行った破面の突合せ実験は、それほど重要と思わなかったので、最終報告書に採用しなかった。」と証言する(53.12.6一丁裏―二丁表)のである。したがって、小倉委員の右証言部分も、充分な科学的根拠を有するとはいい難い。

(6) 以上のように、側板とアニュラプレートの角度変化に関する小倉委員の前記見解には、実際のデータによって裏付けられたものでないなど様々な難点があるが、奥村委員は、水張りの前後の測定資料がなく、最初の状態が判らないのに、事故後の測定によって途中の状態を推測するのはそもそも困難である旨証言する(54.6.8八丁表―九百丁裏)のであって、小倉委員の見解には、根本的な疑問があるといわざるをえない。

結局、右見解によって破断の機序を説明するのは、到底困難であるというほかない。

(三) 山本委員の見解について

(1) 山本委員は、側板とアニュラプレートの角度の経時的変化について明確な形で論じてはいないが、初期亀裂の発生した角度の変化について、「私自身、五度から一〇度位のところがかなり危険性が高いのではないかと考えている。これに対応する不支持幅は、大雑把に言って一メートル二〇ないし三〇センチメートルか、それより少ないかも知れない。図六・三・六―三で、C点付近は上向きに完全に凸になっているが、それがあるあたりからD点に近づいてくると変曲点をもつ或いは上向きに凹になる傾向をもっている。こういう所が、かなり怪しいと見当を付けられるのではないかと思う。」と証言する。(53.11.1五九丁表―六〇丁裏)。

しかし、同委員の提唱した図六・四・二―一によれば、仮に基礎地盤の滑りが生じたとしても、側板から半径方向に一メートルの不支持幅が生じて一度程度の残留角変化が起きるに過ぎず(前記3(一)(1)参照)、この程度の角変化で初期亀裂が発生するとは到底考えられない。したがって、右仮説は、初期亀裂の発生を根拠づけるものではなく、他方、五ないし一〇度で初期亀裂が発生したとの右証言も、同委員の前記理論から導かれるものではない。同委員も、「私は、直接この角度変化と亀裂の発生を結びつけることができなかった。」と証言する(同五五丁表)ところである。

また、図六・三・六―三によれば、同委員が右図において不支持幅として怪しいとするC点を過ぎD点に近づいた筒所は、側板から二メートルと三メートルの間であることが読み取れるが、これは、不支持幅が一メートル二〇ないし三〇センチメートルかそれ以下であるとした証言と矛盾するというべきである。更に、前記のとおり、T―二七一には欠陥指示模様が認められなかったから、隙間の形状の特徴は、亀裂の発生につながるものではないし、同図(2)によれば、側板とアニュラプレートとの角度は九〇度未満となっていることが認められるから、残留角変化が起こったことすら疑わしいのであって、結局、右図を不支持幅の根拠と見ることはできない。

ところで、初期亀裂の発生する角度を五ないし一〇度と推定したことの根拠は、同委員の証言によれば、実験結果と弾性計算による経験的な判断であるが、後者は経験だけのもので、非常に大雑把であって非科学的であり(同五八丁表、裏)、前者の実験とは三石が三菱重工に依頼して行った曲げ試験のことであるが(六回二八丁裏―二九丁表)、右試験には、アンダーカットのある場合を想定して、切欠けを入れた試験片による実験も含まれている(七回五三丁表)ことが認められる。右試験の詳細は、証拠上不明であるが、表六・二・五―一及び図六・二・五―三によれば、同委員が初期亀裂発生の角度を五ないし一〇度と推定する根拠となった試験片は、切欠けのあるものであったと推認することができる。しかるに、後記四2のとおり、破断部にアンダーカット等の溶接欠陥があったかどうかは不明であり、破断部付近にあったとされるアンダーカットも軽微なものであったのであるから、右の実験結果から直ちに亀裂の発生角度を推測するのが果たして妥当なものか、疑問なしとしない。

(2) 山本委員は、初期亀裂の発生時期について、「水張り水位二四メートルの時が最も荷重が厳しいので、断言はできないが、この時が最も可能性が高い。」(53.11.1六〇丁裏―六一丁表)と証言し、「荷重をかけると時間がたつに従って変形が進んでいく現象をクリープというが、タンク基礎の法面が張り出すのも一種のクリープと考えてよい。」(同六二丁裏―六三丁表)、「水張りの後、油は二二メートルしか入れられていないので、時間的に弱くなるとか大きな力が発生することを考えると、時間的に変形が進むメカニズムを考えなければならない。そのメカニズムの一つがクリープである。」(同七八丁表)と証言し、基礎地盤のクリープが亀裂の拡大原因の一つであるとの見解を示している。

しかし、クリープは、金属等の材料において特に高温で生じる現象であり、同委員も、土木関係でどのように用いられているのか分からない旨証言する(同六三丁裏)ところ、福岡委員は、「砂のクリープの量は非常に少ない。クリープがあると、壊れにくくなる。」と証言する(55.3.5二七丁表、裏)のであって、山本委員の右見解も、にわかに採用することができない。

(3) 山本委員は、亀裂拡大のもう一つの原因として繰返し荷重をあげる(53.11.1六五丁表、六回三三丁表)。しかし、この点は、小倉委員の見解について述べたところと同様(前記(二)(5)参照)、理由がないというべきである。

結局、山本委員の見解によっても、亀裂の発生及び拡大に至る角度の変化は、明らかにされなかったものである。

(四) 福岡委員の見解について

(1) 福岡委員は、「T―二七〇の階段基礎の掘削埋戻しによってアニュラプレート下の基礎地盤が局部沈下した状況を、実測したデータ等の資料をもとに解析し推定したところ、図六・三・八―五のようになり、右沈下の途中の過程を同様の方法によって推定したところ、図六・三・八―六のようになったが、これを見ると、階段基礎の掘削による沈下がいかに少ないかが判る。」と証言する(54.7.6二四丁表―三一丁裏)。そして、同委員の証言によれば、この解析においては、事故発生当時においても、階段基礎の掘削の影響により、側板から一メートルの範囲での基礎地盤のバネ定数(K値)が0.1ないし三〇kg/cm3と、充分大きくなっていないという不利な仮定に立ち、かつ側板の沈下状況を考慮に入れていないことが認められるが、これらの図面からは、水張り水位二四メートルの水張り試験の終了時には、側板から約二〇センチメートルの地点でわずか二、三ミリメートルの沈下があるに過ぎず、油の出入れが一八回行われた事故発生当時には、側板から約五〇センチメートルの地点で約四〇ミリメートルの沈下があるに過ぎないことが読み取れる。

ところで、破断部の青黒色破面が生成して初期亀裂が生じたのは、前記のとおり赤褐色破面や金属光沢破面に比べれば早い時期である(二1(4)参照)ものの、その時期は明らかでない。この点について、山本委員は、「水張り水位が二四メートルの時」と証言し(53.11.1六〇丁裏)、小倉委員は、「油が二、三回上下した時」と証言する(53.11.1一四丁表)が、図六・三・八―六によれば、右油の出入れの回数が五回の時点でも、未だ側板から約五〇センチメートルの地点でわずか一〇ミリメートル程度の沈下が認められるに過ぎず、初期亀裂の発生を階段基礎の掘削及び埋戻しと関連づけようとするこれらの証言には、無理があるといわざるを得ない。ちなみに、図六・三・六―四及び七によれば、T―二七二及び二七三のTAL箱付近の底板には、八〇ミリメートルを超える高低差が生じている(この高低差がほぼ基礎の形状と対応するものであることは、既に見たとおりである。)のであって、これと比べると、階段基礎付近の基礎地盤の局部沈下の影響がいかに小さいかを理解することができる。

(2) 次に、福岡委員は、側板とアニュラプレートとの角度の変化について、「水張り試験によって水深が四メートル位に達すると、この角度が九〇度位に開いて、開き角度が二度位になる。私自身が大学で行った金属の曲げ試験結果によっても、二度開くと金属の弾性限界を超える。階段基礎の掘削による角度の開きは、せいぜい0.4までの範囲である。この0.4度という角度は、絶対の圧密沈下によって起きる角度の開きの平均値である。二度という角度変化も、控え目に見積もった値であって、実際には五度位変化した所もある。そうすると、梯子の影響は、ますます小さくなる。弾性限界を超えた中では、階段基礎の掘削による角度の開きが0.何度であるかは、技葉末節の議論である。」(55.2.6五二丁表―六三丁裏)、「階段基礎の掘削埋戻しによってアニュラプレート下の基礎地盤は窪むが北から支持する力が強くなるということが、掘削埋戻しによる側板とアニュラプレートの角度が開くのが0.数度に過ぎないということの根拠である。その根拠としては、図六・三・八―二及び三の実験結果のほか支持力試験の結果もある。」(55.3.5六六丁裏―六七丁表)と証言し、「図六・三・八―五で最大四〇ミリメートルの窪みが生じているのは、階段基礎の掘削埋戻しの影響と考えてよい。この図において、側板基礎のアニュラプレート下端の接線の角度は、二、三度になるが、これは、階段基礎の掘削埋戻しが趾端部の拡大に及ぼす影響が0.3度か0.4度ということと矛盾しない。即ち、この図は、側板下端が固定しているものとして計算しているが、実際には、側板下端も徐々に下がっているので、この図で角度を測っても意味がないことが判った。この0.3度か0.4度という角度は、土質等の色々な資料に基づいて計算したものである。」(63.3.1検面一六丁表―二一丁裏)と供述する。結局、同委員の見解によれば、階段基礎の掘削及び埋戻しが側板とアニュラプレートとの角度の開きに及ぼした影響は、せいぜい0.4度に過ぎないというのである。

(3) ところで、福岡委員の右見解は、側板が局部沈下することを前提としているが、この点について、同委員は、「側板が鉛直に下がるということはあり得ないが、側板は薄いものであるから、外側に倒れたり内側に倒れたりすることによって、紙のようにたわみ、側板の下端が垂れ下がることはある。」と証言し(55.2.6三六丁表―四一丁裏)、T―二七一を使った水張り実験の際にも側板が内側に倒れたりしたことを現認した旨証言する(55.3.5二五丁表、裏)。また、奥村委員も、右水張り実験において、タンクの側板が一般の箇所では外側に倒れたが、階段基礎に対応する部分等では内側に倒れ、基礎地盤の変形に沿って側板も局部的に変形して全体としてバランスがとれており、このことは、国調でも充分議論して各委員の納得を得た旨証言し(54.2.2二五丁裏―三一丁表)、右福岡証言を裏付けている。福岡委員が側板が局部沈下し得ることの根拠としてあげる図六・三・一―一及び図六・三・六―一〇、特に後者によれば、T―二七〇では側板が階段基礎付近で四四メートルにわたり約一〇〇ミリメートル沈下し、T―二七一でも側板が階段基礎付近で三〇メートルにわたり約一〇ミリメートル沈下している状況が読み取れるのであって、これに図六・三・一―二及び四等を併せ考慮すれば、側板が局部沈下し得ることが認められる。したがって、この点においても、同委員の見解は、実際のデータによって裏付けられたものということができる。

(4) また、福岡委員は、「側板とアニュラプレートの角度の変化は、基礎にも非常に関係がある。例えば、資料六・三・四―一の図―一のような箇所において、水張り時に側板とアニュラプレートの角度が、いったん八五度位になって、それから九〇度に開くということはない。というのは、この場合は側板と液の重量の合計の圧力が他の所よりも強いから、こういう形になった訳で、他の所では、最初から角度がもう少し開いている所がたくさんある。このような形になったのが、側板から一〇〇センチメートル付近の基礎が盛りがったためか、側板が沈下したためかは判らない。」と証言する(55.3.5二一丁表―二二丁表)。これについては、既に見たとおり、T―二七〇の一部を使った水張り試験の結果によれば、水張りにより接地した後のタンクの底板が基礎とほぼ同じ形になることが認められ、右見解を裏付けている。

タンクの水張り及び油の出入れによる基礎地盤の圧密が深部の粘土層に作用するものであることは、既に認定したとおりであるが、これらの荷重による基礎地盤の沈下量の場所による差が、盛砂基礎上に高低差となって現れ、その形状を形作るものと考えることができる。そして、図六・三・六―三(4)、図六・三・六―六(4)及び図六・三・六―九(4)は、福岡委員が実測したデータ等をもとにT―二七一ないし二七三の階段基礎部付近の基礎地盤と底板の沈下状況を推定した図である(54.2.2九一丁表―九八丁表)ところ、これらの図からも右のことを読み取ることができる。すなわち、これらの図によれば、T―二七一(図六・三・六―三(4))ではアニュラプレートと側板との角度が若干開いているのに対し、T―二七二(図六・三・六―六(4))及び二七三(図六・三・六―九(4))ではそれが逆に閉じていることが認められるが、これは、T―二七一では、掘削埋戻し部より内側の部分の基礎地盤が側板下のコンクリートブロックの下の基礎地盤に比べて相対的に沈下したのに対し、T―二七二及び二七三では、側板下のコンクリートブロックの下の基礎地盤が掘削埋戻し部より内側の部分の基礎地盤に比べて相対的に隆起したことによってもたらされたものと考えることができる(55.3.5二三丁表参照)。

確かに、T―二七〇及び二七一の両タンクとT―二七二及び二七三の両タンクとでは完成後の使用条件が異なっており、この差が基礎地盤の圧密沈下に影響を及ぼし得ることは、否定し難いところである。しかし、関係証拠によれば、これらの四基のタンクの水張り試験においては、ほぼ同一の荷重が基礎地盤に負荷され、使用開始後の油の荷重は、それを下回るものであったことが認められるのであって、このような使用開始後の油の荷重によって生じる基礎地盤の沈下がわずかなものであることは、図六・三・三―三からも窺えるところである。それゆえ、T―二七〇及び二七一の両タンクとT―二七二及び二七三の両タンクとの完成後の使用条件の差が、基礎地盤の圧密沈下に若干の影響を及ぼしたとしても、前記のとおり、側板とアニュラプレートとの角度がいったん閉じてから開くような変化が生ずることはないから、これらのタンクの事故後の状態は、水張り終了後の状態からそれほど大きく隔たっていないと考えるのが相当である。したがって、T―二七二及び二七三の事故後の状況も、T―二七一と同様にT―ニ七〇の水張り終了時及び事故直前の状況を推測する有力な資料となるというべきであり、福岡委員も、「T―二七一、二七二及び二七三の実測値があるのであるから、なるべくこれを尊重して解釈することが心要である。」(55.2.6六四丁裏)、「T―二七一もT―二七〇と大体同じであったのではないか、T―二七二及び二七三もそれと同じとは言えないにしても、似たようなものだろうと思い、それを参考にして調査の結論を出した。」(55.3.5四〇丁裏―四一丁表)と証言するのである。

そして、図六・三・六―三(4)、図六・三・六―六(4)及び図六・三・六―九(4)によれば、階段基礎の掘削及び埋戻しの影響によって、T―二七〇の側板とアニュラプレートとの角度がT―二七一のように若干開いたとは断定できず、基礎地盤の沈下状況いかんによっては、T―二七二及び二七三のように閉じた可能性すらあるというべきである。

(5) 以上によれば、階段基礎の掘削及び埋戻しによってアニュラプレートと側板との角度が開いたとは断定し難く、仮に開いたとしても、その影響はごくわずかなものであったと認めるのが相当である。

(五) 福岡委員の見解に対する検察官の反論について

検察官は、論告において、福岡委員の角度変化に関する右見解について様様に論難するので、次にこれを検討する。

(1) 検察官は、T―二七〇の基礎地盤が流出してしまっているため、階段基礎の掘削埋戻し部の土の密度については推定値とならざるを得ず、相当の誤差も見込まれることから、これを定量的に用いた計算は疑問の余地が大であり、また、埋戻し部の土の密度を角度変化の計算に用いる一方、埋戻し土の締固めの程度が角度変化にそれほど影響を及ぼさないというのは、説明が一貫しない旨主張する。

しかし、推定値を用いて計算を行うことは、科学的に一般に行われていることであり、要は、その推定値がどれだけ実際のデータと符号しているかにかかっているところ、福岡委員の用いた推定値は、前記のとおり、実際の様々な土質試験の結果等に基づいており、その妥当性は高く、その計算を疑問視する必要は、何ら存しない。この点で、同委員の見解は、実験的裏付けに乏しい小倉委員や山本委員の見解とは格段の相違があるというべきである。また、同委員が、埋戻し土の締固めの程度が角度変化にそれほど影響を及ぼさないというのは、現地で行った掘削埋戻し試験(図六・三・三―四)等に基づいており、(63.3.1検面一三丁表―一四丁表)、何ら怪しむに足りるものではない。よって、検察官の右主張は、理由がないというべきである。

(2) 検察官は、福岡委員が階段基礎の掘削の奥行を四〇センチメートルとして実験や計算を行っている点について、右掘削の奥行は約五〇ないし六〇センチメートルであるから、同委員の計算は前提を欠くと主張する。検察官は、その根拠として横路ら東洋工務店作業員の各検面をあげ、これらが現実に掘削を行った者の供述であり、かつ事故後比較的早い記憶の新しい時期のものであるという点で、信用性が高い旨主張する。

しかしながら、右各従業員らの検面供述が録取されたのは、階段基礎工事の三年近く後のことであるから、一般に、実際の作業に当たった者が階段基礎全体の施工上特に重要とも思えないこの種のことがらについて明確な記憶を有するとは、考え難いところである。

そこで、各従業員の供述内容を見るに、横路は、51.6.15検面において、タンクの側板から五〇ないし六〇センチメートル掘り込んだ旨供述し(一二丁表)、T―二七二及び二七三の階段基礎の掘削時には余掘りを五〇センチメートル位と指示したと供述するが(四丁裏)、同調書末尾添付の階段基礎掘削平面図によるとT―二七〇では九〇ないし一〇〇センチメートルの余掘りを行ったこととなっており、右タンクにおいてことさら深く掘削する必要も認められないから、右図面の記載は、不自然というべきである。また、同人は、51.10.27検面(六丁表―九丁裏)において、最初は底板下のコンクリートブロックまで掘削する必要はないと思っていたが、いざ手掘りで栗石を掘り取っていくと、層をなしていた粟石が次々に崩れ落ち、更にその上にある川砂も緩んで次々に崩れ落ち、結局側板から五〇ないし六〇センチメートルの範囲を掘り取ることとなった旨供述する。この供述内容は、51.6.15検面に現れていないものであり、かつ転圧により充分に締め固まっていたと認められる川砂が次々に崩れ落ちたという点には疑問も存し、前記のとおり、同人が世話役として実際の作業に携わる立場になかったことを考慮すると、小倉杢治らからの伝聞によるものではないかと推測されるが、結果的には、後記の小倉証言を裏付けている。

次に浦田武男は、検面において、タンクの底板の下は奥の方に向かって六〇センチメートル位掘ってあった旨供述し(一〇丁表、裏)、公判廷においても、検面とほぼ同様の証言をするが(二〇回一七丁表)、同人は、型枠大工として階段基礎工事においては型枠組みのみを行った者であり、掘削の奥行についてそれほど強い関心を抱いていたとは考えられず、右検面供述自体も極めて簡単なものであるから、これらに重きを置くことは、相当でないというべきである。

これに対し、小倉杢治は、検面において、階段基礎の大きさに対する余掘りの広さは、穴の底で一〇ないし二〇センチメートル位、穴の表面で五〇ないし六〇センチメートル位になり、底板の下は二段のコンクリートブロックを取り外したため奥の方へ六〇ないし七〇センチメートル位掘った旨供述する(一一丁裏)。しかし、右コンクリートブロックは幅二四〇ミリメートル、奥行三〇〇ミリメートルのものであるから、タンクの底板の縁から張出し部を含めて内側に入っている部分は、せいぜい二〇センチメートル(図六・三・一―八及び図六・三・六―三(4)参照)程度であって、これを取り除いても当然に奥へ六〇ないし七〇センチメートルも掘ることにならず、その範囲で掘削したとする右検面末尾添付の断面図は、不正確かつ杜撰なものというほかない。この点について、同人は、公判廷において、「余掘りを約二〇センチメートルしたところ、二段のコンクリートブロックが揺らいできたので、揺らいだコンクリートブロックを幅約二ないし三メートルの範囲にわたって取り外し、栗石を手で掘ったが、栗石はがらがらと崩れ、最も激しい所では底板下を奥行約四〇センチメートルにわたって掘り込んだ。」と証言する(二一回一五丁表―一八丁表)。同人は、実際に掘削作業に従事した者であるから、その供述の信用性は、作業員の中では最も高いというべきであるが、結局、その趣旨は、側板上のコンクリートブロックを取り外した結果、栗石が崩れてきたので、底板下を約四〇センチメートル掘り込む結果となったというものである。

また、Fの51.6.8検面末尾添付の図面によれば、掘削の奥行は側板下のコンクリートブロックから内側に二〇センチメートルであり、底板の縁から約四〇センチメートルであることが読み取れ、被告人Fの公判供述(五〇回四三丁表―四五丁表)によれば、右図面は、同人が本件事故の発生直後ころ横路から実際の施工状況を聴取した内容に基づいて植田に記載させ、三石に提出したものと認められ、かつ、検察官による一連の取調べの行われる一年以上前に作成されたものであるから、伝聞に基づくものとはいえ、横路らの検面と比較しても信用性の高いものというべきである。なお、階段基礎の掘削に携わった者ではないが、坂本スミエは、検面において、階段基礎の穴がタンクの底板の下で三、四〇センチメートルは崩れていたと思う旨供述し(五丁裏)、Fらの供述を裏付けている。

更に、福岡委員の証言(54.2.2六丁表―七丁表)及び横路の51.10.27検面(七丁裏―八丁表)によれば、国調における掘削の範囲の認定は、事故後間もない時期にFから事情聴取した内容をもとに行われ、昭和五〇年一、二月には、横路ら東洋工務店関係者の指示説明に従って実際に現場で掘削試験が行われ、その際には奥行四〇センチメートルの穴が掘られたことが認められる。これらの事実に徴すると、Fの国調での供述は、横路らが掘削試験の際に国調委員に行った指示説明とも符号しており、前記の経過からすれば、信用性が高いものというべきである。したがって、国調における掘削の範囲の認定も、相当の根拠を有するものである。

このように、T―二七〇の底板下の掘削の奥行については、客観的証拠がなく、供述証拠しかなく、右の点を一義的に確定することは困難であるところ、右奥行が、検察官の主張するように五〇ないし六〇センチメートルであると認めることはできず、むしろ、これを約四〇センチメートルとする国調における認定の方が、より実態に近いと認められるのであって、福岡委員の解析の前提が誤りであるとは到底いえない。

よって、検察官の前記主張は、理由がないというほかない。

(3) 検察官は、福岡委員の階段基礎の掘削が側板とアニュラプレートとの角度の開きに与えた影響がせいぜい0.4度に過ぎないとする計算結果が、現実の金属の挙動を考えても支持できないとして、概ね次のとおり主張する。すなわち、①右計算結果は、T―二七〇の側板とアニュラプレートとの角度が平均値で約86.6度であったの対し、階段基礎において九〇度を超えていたとする調査結果と符号しない、②金属は、弾性域ではフックの法則に従って荷重と変形量が比例するが、塑性域に入ると荷重の増加量に対する変形量の増加量の割合が漸増し(論告要旨添付図四、別紙図11の(2))、このことは、側板とこれに極めて近接するアニュラプレートの角度についても妥当する、③側板は、上下方向の荷重に対して剛であり、一部の基礎地盤が欠けても、健常部の基礎地盤で支持されるから、水張り水位の上昇と側板の沈下を比較すると、ほぼ直線的関係(論告要旨添付図五、別紙図11の(3))が認められる、④階段基礎の掘削を行い埋戻しをしないまま水張りを開始進行した場合に、側板とアニュラプレートとの角度が水張り水位に応じてどう変化するかは、右図四及び図五を総合したところとして理解でき、その結果は、右図四(別紙図11の(2))と同様の曲線になる、⑤右図四に論告要旨添付図三(別紙図11の(1)、福岡委員の証言内容を記載したとされる図面)における前提を数値として記入すると、論告要旨添付図六(別紙11の(4))の曲線アとなるが、アニュラプレートを含む底板が接地した後は、側板直下の方が受ける荷重が重いため、アニュラプレートより沈下量が大きく、側板とアニュラプレートとの角度は、閉じる傾向となり(右図六、別紙図11の(4)の曲線イ)、階段基礎の掘削により右角度は四ないし五度以上開く、⑥他方、埋戻土は、圧縮を加えても反発を殆んど生じない程度の支持力の土で、上方に突き上げる力を持たないので、埋戻しは、角度変化に変動を及ぼさず、階段基礎工事の影響は、福岡委員の証言の一〇倍以上にも達する、と主張する。

検察官の右主張の出発点となっているのは、②であるが、検察官の主張する金属の変形に関する性状は、実験室において、かつ、空中において荷重を加えた場合の挙動に関するものであるから、それを側板とアニュラプレートとの角度の変化に当てはめるとすれば、検察官も認めるように、側板の沈下及び基礎地盤の存在を無視することが前提となる。しかるに、実際のタンクの底板等の挙動を考察するうえでこれらの要素を抜きにして考える訳にはいかないことは、前述したところからも明らかである(前記(四)(4)参照)。したがって、検察官の右主張は、そもそも本件タンクの置かれた環境とは全く異なる条件を前提とするものであり、このような前提に立って本件タンクの挙動を論じることには、無理があるといわざるを得ない。

そのほか、既に判示した点に照らしても、例えば、①については、検察官の指摘する調査が事故後の計測値であって、これには前記のとおり相当なばらつきがあるため、その平均値をもって論ずることが科学的であるとはいえない(前記(二)(2)参照)、③については、側板が上下方向に局部沈下し得るものであるし(前記(四)(3)参照)、⑤については、アニュラプレートが接地した後に急に側板下の荷重が階段地盤に作用するものでないから、側板とアニュラプレートとの角度が閉じる性質のものでない(前記(二)(3)参照)など、採用し得ない点が多い。また、④については、階段基礎の掘削を行って埋戻しをしないまま水張りを開始進行したという前提が、そもそも掘削埋戻し中の水位が一二メートルで変化がなかったという実際の工事経過(図四・一・二―三参照)と異なっているうえ、論告要旨添付図四(別紙図11の(2))は右角度変化と荷重との関係を表示したものであり、同図五(別紙図11の(3))は水張り水位と側板の沈下量との関係を表示したものであるから、側板の沈下量と右角度変化の関係が明らかにならない以上、二つの図を総合してみたところで意味がなく、水張り水位の上昇により右角度が右図四のように変化するといえないことは明らかである。

このように、階段基礎工事の影響が福岡委員の証言の一〇倍以上にも達するとの検察官の主張は、結論に到る過程が到底首肯し得るものでなく、独自の見解というほかないものであって、採用の限りでない。

(4) 検察官は、福岡委員が、公判廷においては自己の計算の精度について自信がないと証言しながら、検面においてはこれと異なる供述しており、右の結論は、国調においても容れられなかったものであると主張する。

確かに、同委員は、階段基礎の掘削による角度の開きについて、「あまり自信のある計算はできない。」と証言する。(55.2.6五六丁表)一方、63.3.2検面では、「自分自信としては、計算に自信を持っている。」と供述し(二一丁裏―二二丁表)、同委員の計算結果は、国調の最終報告書に掲載されていない。しかし、右証言は、同委員の科学者としての謙虚さを窺わせるものであっても、その計算の信用性を何ら損なうものではない。また、同委員の計算結果が最終報告書に掲載されていない点については、同委員が「側板の沈下量は、基礎地盤の沈下よりもはるかに予測が難しいので、これがどの程度下がったかを、基礎地盤の専門家である私が、短期間の間に国調の委員に納得されるような計算をして国調に出すことは、無理だと思ったので、しなかった。」と証言する(55.2.6四二丁裏―四三丁表)ような事情によるものと推認できるのであり、このゆえに右計算の信用性が損なわれるものではない。

よって、検察官の右主張も、理由がないといわざるを得ない。

(5) 以上のとおり、福岡委員の角度変化に関する見解が信用できないとする検察官の主張は、いずれも採用することができない。

5  論告における検察官の主張について

(一) 検察官は、論告において、破断の機序について、以下のとおり、主張を再構成して、公訴事実や釈明とは幾分異なった主張をする。すなわち、①側板とアニュラプレートの角度は、隅肉溶接の初期歪により据付け時の約九〇度から最小二度程度減少し、溶着後は約八八度になる、②水張り水位約四メートルの時点でアニュラプレートを含む底板(以下、特に断らない限り「底板」という。)が接地し、この時点で右角度は約九〇ないし九一度に開いて、趾端部が降伏点に達する、③底板が接地した後、アニュラプレート下の基礎地盤にはタンク内の水圧のみが働くのに対し、側板下の基礎地盤には側板及び屋根骨の圧力が加わるので、右角度は、減少し、約八七度になる、④水張り水位一二メートルの時点で階段基礎が掘削されると、側板が鉛直方向の荷重に対して剛であるのに、掘削部上のアニュラプレートは水張り荷重を受けるため、右角度は開き、特に、隅肉溶接趾端部では、一次曲げ応力が一気に降伏点を超え、同部付近のアニュラプレートは塑性変形を受けるので、右角度は九五度以上に開く、⑤掘削部の埋戻しが行われても、埋戻土は転圧不足のため上方へ反発力を持ち得ず、アニュラプレートは水抜き後、上方に反発するため、基礎地盤との間に隙間を生じる、⑥水張り最高水位は二四メートルに達するが、埋戻土には側方流動が生じ、これに隣接する基礎地盤には滑りが生じるため、軟弱な基礎地盤が拡大する、⑦一八回の重油の出入れにより、底板が下方への塑性変形と上方への反発を繰り返すので、前記の隙間が拡大し、基礎地盤上の窪みの最低点も趾端部近傍からタンクの中心付近に移動する、⑧重油の出入れのごく初期の時点までに、円周方向に一ないし数箇所の初期亀裂が生じる、⑨直立階段近傍には六パス溶接がされていてアニュラプレートの曲げに対する変形能が低下していたため、初期亀裂は比較的早期に側方に連結拡大し、延性破壊のメカニズムで青黒色破面が生じる、⑩タンクの使用開始後、温度約八〇度の重油の出入れによる繰返し荷重が加わり、低サイクル疲労により青黒色破面の外側に破面が拡大する、⑪破面が拡大貫通し、漏油による基礎地盤の体積縮小や土石流的流出が生じて、破断に至った、と主張する。

この主張においては、例えば、⑤の点が隙間の形成時期が不明であるとした前記釈明20と、また、⑧の点が初期亀裂の発生点が一箇所であることを示唆した前記釈明22とそれぞれ異なるが、初期亀裂の発生時期が特定されていない点は、公訴事実及び釈明と同様である。

(二) 検察官の右主張を見るに、例えば、③の底板が接地した後に角度が減少するとの点(前記4(二)(3)参照)や、④の前段の側板が局部沈下し得ないとの点(前記4(四)(3)参照)、⑥の側方流動や基礎地盤の滑りが生じるとの点(前記2及び3参照)、⑦の油の出入れによって隙間が拡大するとの点(前記4(二)(5)参照)が採用しえないことは、既に判示したところからも明らかである。

更に、④のうち階段基礎の掘削により側板とアニュラプレートの角度が九五度以上に開くとの点については、事故後のT―二七一ないし二七三の計測値(小倉信和証人53.10.4調書末尾添付資料一四―一)を見ても、階段基礎に対応する部分において九五度はおろか、九〇度を超えた箇所すら認められず、その他の証拠からもT―二七〇においてそのような事実があったとは到底認められない。ちなみに、右角度が九五度に開いたと推測した小倉委員も、タンクの使用開始後、趾端部に亀裂が発生してから破断に至るまでの間に九五度に開いたと証言するのであって、階段基礎の掘削時点でそのような角度に開いたとは証言していない。

また、④においてアニュラプレートが塑性変形していたのであれば、荷重を取り去っても変形が残るはずであって、⑤における水抜きや⑦における重油の出入れによってアニュラプレートが上方に反発するということもあり得ないから、右主張は、矛盾しているといわざるを得ない。更に、⑦の基礎地盤上の窪みの最低点が移動するとの点については、その根拠が示されておらず、最終報告書及び国調委員の証言等の証拠にも全く現れていないものであって、検察官の独自の見解というほかない。

検察官の前記主張のうち、②の趾端部が二ないし三度開くことにより降伏点に達するとの点や、④の階段基礎の掘削により趾端部において一次曲げ応力が一気に降伏点を超え、同部付近のアニュラプレートが塑性変形を受けるとの点(なお、酒井豊作成の「大型タンクの側板―底板接合部の安全性について」と題する書面(検九〇二)一二頁によれば、タンクの隅肉溶接趾端部の曲げ応力は、一次曲げ応力ではなく、二次曲げ応力であることが認められる。)、論告要旨添付図四(別紙図11の(2))のグラフを見ると、検察官は、趾端部が二―三度開くことによりアニュラプレートの全断面が降伏し、塑性変形を生じるとの前提に立っているかのようである。しかし、前記酒井豊作成の書面によれば、鋼材の曲げ応力については、上面が弾性限界(降伏点)を超えても、直ちに全断面が降伏点に達する訳ではなく、歪が拘束されてしまうので、周囲の大部分の断面は弾性限界内に保たれるのであり、応力が大きくなって全断面が隆伏点を超えた時点で初めて塑性変形が生じ、破壊するものであることが認められる。このことは、山本委員の提唱した図六・四二―一のグラフにおいて、弾性変形の範囲を超えても直ちに残留角変化が生じるとされていないことや、福岡委員が、63.2.1検面において、「接地した段階で既に趾端部(上面)は弾性域をかなり超えていると思われる。」(一一丁表、裏)と供述し、「二度板を曲げると、弾性限界を超える。私の行った曲げ試験では、それから更に、一〇度か二〇度曲げたけれども、亀裂は肉眼では確認できなかった。」と証言している(55.2.6五三丁表、裏)ことからも窺うことができる。したがって、検察官の前記主張は、前提において科学的根拠を欠くものといわざるを得ない。

(三) 以上のとおり、検察官の論告において再構成された主張も、その多くは科学的に成り立ち難いものであって、到底採用することができない。

6  総括

以上、検察官の公訴事実及び論告における破断原因に関する主張を検討してきたが、いずれも採用し得るものではなく、階段基礎の掘削及び埋戻しからタンクの破断に至る機序は、何ら明らかにされていないというほかない。したがって、両者の間には、「あれなければ、これなし」という条件関係を科学的に認めることはできないといわざるを得ない。

四その他の要因について

1  六パス溶接及び盛上り角について

T―二七〇の破断部に盛上り角の大きな六パス溶接がなされていたことは、既に認定したとおりである(前記二2(二)参照)。一方、同形のT―二七一には三パス溶接がされていたことから、盛上り角の大きな六パス溶接の影響が問題視されることとなり、検察官も、公訴事実において、それが階段基礎の掘削及び埋戻しの不良と並ぶ破断原因であると主張する。

国調委員でこの点を重視するのは、小倉委員である。すなわち、同委員は、「本件タンクは、普通の予想より低い曲げ角度で壊れた。破口部に形状の悪い六パス溶接がされていたことが、角度が小さいうちに亀裂の発生に寄与した点で、タンクが破壊する一つの重要な因子を作った。」(53.10.4四六丁裏)、「隅肉溶接の盛上り角度が大きいほど、応力集中が高くなって割れ易くなる。」(54.3.2三丁裏)、「六パス溶接部で板厚が殆ど減っていないのは、そこが両側の三パス溶接部よりも簡単に亀裂が生じた証拠だと思う。」(同四六丁裏)と証言する。

しかし、他の国調委員の見解は、概ねこれに否定的であり、例えば、奥村委員は、「溶接の盛上り角が大きいことが拘束力の強い状態を形成する一因となっているとは、ストレートにいえるか難しい。角度が立っていることは、局部的に見ると応力集中を起こしており、そういう所では拘束が強いということはあり得る。しかし、われわれは、板全体のマクロなことを問題とし、そうしたミクロなことは問題にしていない。それは、一つの要因という程度である。」(54.9.7五丁表―六丁裏)、「六パス溶接と三パス溶接に関する国調の実験から、直ちに六パス溶接の方が開く方向の曲げに対して弱くなるとはいえない。というのは、現実には実験のように一〇ないし二五度も曲がることはあり得ないからである。」(同一二丁表―一三丁裏)と証言し、飯田委員は、「低サイクル疲労の強度に関しては、隅肉溶接の盛上り角は大して影響がない。盛上り角が大きいからその点での応力集中が大きいとは一概に言えない。趾端部での応力集中に寄与するのは、盛上り角と趾端部での曲率半径である。後者が応力集中に最も効く因子で、盛上り角は第二次的因子である。盛上り角が大きいから曲率半径が小さいとはいえない。」と証言する(54.12.4三丁裏―五丁表、一一丁裏―一四丁裏)。

このように、趾端部での曲率半径(曲線又は曲面上の点での湾曲の程度を示す値のことをいい、曲率半径が大きいほど湾曲は緩やかになる。)が応力集中に重要な影響を及ぼすことは、小倉委員も認めるところであり(七回二七丁表、裏)、重要な要素というべきであるが、六パス溶接や盛上り角については、その影響が明らかでなく、それが破断の直接の原因となったとする見解には、飛躍が多いといわざるを得ない。なお、同委員は、T―二七〇の三パス溶接の部分においては曲率半径が大きかった旨証言するが(七回二八丁表、裏)、破断部についてこの点に着目した調査が行われていないので、六パス溶接のために曲率半径が小さくなり、これが破断に影響を与えたとは断定し難い。また、同委員の前記見解は、同委員の行ったL型曲げ試験において形の悪い六パス溶接の試験片が他の試験に比べて小さい角度で亀裂が生じたことを根拠の一つとするものであるが、右試験の方法に問題のあることは、既に見たとおりである。

2  溶接欠陥について

T―二七〇の破断部付近にアンダーカット気味の割れに類似するインジケーションやオーバーラップ気味のスラグ巻込み等の溶接欠陥が観察されたことは、既に認定したとおりである(前記二2(一)参照)。

飯田委員は、一般論として、「アンダーカットがない方が、ある場合よりもいいということは言える。アンダーカットがあると、高サイクルの疲労強度が落ち、低サイクルの疲労亀裂の発生寿命も縮まる。アンダーカットがある箇所では、応力が集中し易い。」と証言するが、「アンダーカットが定量的にどの程度疲労強度に効いてくるかという議論になると、アンダーカットの深さとか先端半径、長さを示して聞いてもらわないと、答えにくい。」と証言し、オーバーラップが静的延性、曲げ延性破壊及び曲げの低サイクル疲労に及ぼす影響については、研究されていない旨証言する(54.12.4一六丁裏―一八丁表)。また、小倉委員も、「T―二七〇の青黒色破面にあったアンダーカットは、軽微なもので、検察官が見ても直せと言わない程度のものである。」と証言する(54.9.7五六丁表、裏)のであって、溶接欠陥が破断の原因となったとはいい難い。なお、国調委員で非破壊検査の専門家である石井委員は、T―二七〇と二七一の差を分けたものは溶接欠陥であると証言する(53.12.6五九丁表―六一丁表)ものの、そもそも破断部に溶接欠陥があったか否か、どんな溶接欠陥があったかは不明であるので、粗雑な溶接も事故原因と疑われる一つの因子に過ぎないと証言する(54.10.5二一丁裏―表二三丁裏)。

結局、破断部に何らかの溶接欠陥があり、亀裂発生に何らかの影響を持った可能性は否定できないとしても、それを破断原因と結び付けるのは、困難であるというほかない。

3  青熱脆性又は高温下における低歪速度効果について

青熱脆性とは、鋼材を摂氏二〇〇ないし三〇〇度に加熱して曲げや引っ張りを行うと、変形の量が減って脆くなる現象のことであるが、一〇〇度前後の温度でも鋼材を非常にゆっくりした速度で引っ張った場合に、右と同様の現象が起きるのが、高温下における低歪速度効果である。

奥村委員の証言(53.9.6七八丁裏―八〇丁裏、54.12.14一八丁裏―一九丁表)等によれば、この効果は、国調の開かれた昭和五〇年当時は殆ど知られていなかったもので、国調においても、高村仁一委員から重要な要素ではないかとの指摘があったが、同委員の見解が単結晶の金属に関する実験データに基づくもので、実際のタンクに使用された鋼材に関するものではなかったことなどから、最終報告書をまとめる段階で、木原委員長が、大変難しい問題なので国調で調べる時間も予算もないなどとして、報告書から取り除くことを提案し、高村委員もこれを了承したこと、しかし、国調の活動終了後に軟鋼を用いた実験等によりこの現象が確認され、その後学界で広く受け容れられるようになったことが認められる。そして、木原委員長も、「最終報告書の発表後、温度が一〇〇度以上に達して長い間低歪をかけると脆くなるという現象が重要であることが分かり、本件でもこの現象を伴っているのではないかと思う。」(53.7.5六五丁裏)と証言するに至っている。

既に認定したとおり、T―二七〇は加熱タンクであって、平均で八〇度前後の重油が入れられており、一〇〇度前後に達することもしばしばあったのであるから、高温下における低歪速度効果が右タンクに影響を及ぼしている可能性は否定し難いところである。ただ、右効果がT―二七〇の破断部にどの程度作用したかという定量的な裏付けがなく、右効果が破断部に差別的に作用したとは考えられないから、右効果のみによって破断が生じたとは、考え難いというべきである。

4  基礎地盤の洗掘について

(一) 福岡委員の見解について

T―二七〇において、流出した重油によって階段基礎付近の基礎地盤が洗掘されていることは、既に見たとおりである。

福岡委員は、この点に関して「油が漏って、その結果下のマウンドの砂が洗掘された。洗掘されて支持力のある地盤まで到達するためには、底板が大きく変形しなければならない。そうすると、亀裂のあった部分の口が大きく開いてくる。開いてくると、ますます油が強い勢いで流れ出して、下の砂を洗掘することになる。洗掘すると、ますます穴が大きくなって、どっと油が出てくる。油の高さが二〇メートルあると、毎秒二〇メートルという大きな流速になって、基礎地盤が大きく掘削される。」(55.3.5三四丁表、裏)、「図二・六・一―四によれば、油が流れて大きな穴が開いたために、底板が垂れ下がっていることが判るが、一ミリメートル程度の亀裂が出来たからといっても、油がどっと出てくることはなく、隣のタンクに油を移すなどして油の流出を防止することができる。ところが、基礎の砂が洗掘されるので、大きな事故になる。私は、亀裂の発生よりも基礎の砂の洗掘が事故の真の原因ではないかと思う。洗掘防止に対して充分な設計がされていないことが問題である。水島の事故の場合は、土石流的な洗掘が加わっていると私は見る。」(同四三丁裏―四七丁裏)と証言し、基礎地盤の洗掘が本件事故の最大の原因であるとの見解を示している。

同委員は、洗掘の機序について、「図六・三・七―一(別紙図12)の窪みから考えて、三枚重ねの溶接継手の近くが油漏れの起点ではないかと思う。」(同七三丁表―七五丁裏)と証言し、更に、63.3.12検面(五丁表―一〇丁裏)においては、「初期洗掘(油の漏れる隙間が出来て、そこから油の一部が漏れ、基礎地盤が洗掘される現象をいう。)の影響により、アニュラプレートの下面は、調書末尾添付図一の曲線④に達する。初期洗掘でどこから油が漏れたか特定することはできないが、図六・三・七―一の中心右側の辺りに発生したと思う。最初に油漏れが始まったのは、事故の直前で長くても事故の一、二日前である。洗掘の進行により、アニュラプレートの下面は⑤に移行する。この段階では既に隅肉溶接継手部の破断は始まっていると思われる。④と⑤との差は、約四〇センチメートルである。その根拠は、図六・三・七―一の左上の図を見れば判る。この図は開口部が出来た後の図であるが、アニュラプレートと底板を持ち上げると、底板が深さ約四〇センチメートルのところに来ることがわかる。その後アニュラプレートが破断し、大量の油が破断部から流出して大洗掘が起こった。」と供述し、底板とアニュラプレートとの三枚重ね溶接継手付近から油が漏れて初期洗掘が始まり、洗掘の進行により右箇所の基礎に窪みが生じ、趾端部の破断に至ったとの見解を示している。次いで、同委員は、前記検面(二六丁裏一二七丁裏)において、「図一の⑤の段階で趾端部が円周方向に破断する前に、半径方向に破断した可能性がある。図六・三・七―一を見ると、底板がかなりたわんでいるが、溶接部はそれだけのたわみに耐えられないはずであり、まず半径方向に破断が起きたと思う。」と供述する。更に、同委員は、前記検面(三五丁表―三六丁表)において、「底板下部の土の層構造が、上から川砂、割栗石、真砂土となっており、割栗石の上に砂が直接載っているのが気になる。つまり、川砂が割栗石の隙間に落ち込み、その分だけ局部沈下が起きる可能性がある。図六・三・六―二、図六・三・六―五及び図六・三・六―八を見ると、黒く塗ってある沈下部分があるが、それは、川砂が割栗石に落ち込んで局部沈下が生じた証拠であるといえるかも知れない。そういう局部沈下部分の底板溶接部から油が漏れる可能性もある。」と供述し、川砂が割栗石の隙間に落ち込んで局部沈下が起きた部分から油漏れが発生した可能性を示唆している。

(二) 底板の窪みの推定図について

ところで、福岡委員の証言(54.7.6一丁表―八丁表)によれば、右検面供述において引用されている図六・三・七―一(別紙図12)は、T―二七〇の破断部の計測値をもとに、同委員が油を流出した途中の段階における開口部の状況を推定して描いたものであると認められるところ、この図においては、縮尺が縦横ともミリメートルとされ、階段基礎の中心のやや右側の底板上に最低点があるが、その深さは約八〇ミリメートルに止まり、左上の図において開口部のアニュラプレートと底板を持ち上げても、せいぜい四〇ミリメートルの窪みが読み取れるに過ぎない。そうすると、この図と四〇センチメートルの窪みが出来ていたとする右検面供述が矛盾することは明らかであるところ、同委員は、右証言の際にも縮尺が縦横ともミリメートルであることを前提とする証言をしている。

ところで、右証言のように底板の窪みが四〇ミリメートル程度のものであれば、T―二七二及び二七三の底板の最大八〇ミリメートルを超える高低差(図六・三・六―四及び七参照)やT―二七〇の底板と基礎地盤との間に存した最大八〇ミリメートルの空隙(前記3(二)参照)と比較しても、格別注目すべき値ではないから、図六・三・七―一の左上の図及び「(b)底板の開口部」の図において、わざわざ縦の縮尺を横の縮尺の一〇倍に誇張してまで図示する必要性は、乏しいと考えられるし、縮尺が縦横ともミリメートルであれば、わざわざ図中に「(等高線はmm)」と記載する必要性も、乏しいというべきである。加えて、昇降梯子用基礎図(別紙図3)によれば、右図中に表示されている階段基礎は、コンクリートスラブの部分(七〇〇ミリメートル)の存在を看過したため、実際より短く表示されており、それゆえ、右図において階段基礎の中心も実際より三五〇ミリメートル右側に表示されているという浄書の際のミスが認められるから、右図面の等高線の縮尺についても、浄書の過程で「cm」と書くべきであるところを「mm」と誤って書いた可能性は、否定し得ないところである。そして、同委員の縮尺に関する前記証言も、作図の当時から既に三年以上経過した時点のものであるため、図面の記載にとらわれて勘違いをした可能性も否定できない。以上の諸点に鑑みると、この点に関しては、前記証言よりも前記検面供述を採用するのが相当である。

そして、前記検面供述によれば、側板から約七〇センチメートル内側の箇所に深さ約四〇センチメートルもの巨大な窪みがあることとなり、アニュラプレートは趾端部において約三〇度も開いていたということになるから、右箇所が階段基礎の中心から約六〇センチメートル離れていることと相俟って、到底その掘削の影響によるものと見ることはできないというべきである。

(三) 福岡委員の見解に対する検察官の反論について

検察官は、論告において、福岡委員の右見解に対し様々に論難するので、これを検討する。

(1) 検察官は、福岡委員が洗掘の開始時期を本件事故発生の一、二日前とする点は、青黒色破面が相当早い時期から形成された事実と符合しないと主張する。

この点については、同委員も、前記検面において、「私は金属の専門家ではないので、青黒色破面がどういうものであるかも判らない。」と供述する(三三丁表、裏)ところであり、同委員の見解は、前記認定事実と相容れないといえなくもない。しかし、そもそも青黒色破面の形成時期については、それがいつかを特定することができないものである、(前記三1(四)(1)、三4(四)(1)参照)以上、同委員の見解が誤りであるとは断定できない。ちなみに、国調においては、青黒色破面等の破面の調査、観察は詳細に行われている反面、T―二七〇の側板に付着した有力な物的証拠というべき油痕については、調査、観察が全くといっていいほど行われていない。しかし、破面の形成と油痕の付着状況との間には何らの関係もないとはいい切れず、破面の形成過程を油痕の付着状況ないし油の噴出状況と関連づけて考える立場もあり得るところであり、この点に関する国調の調査は、やや狭い視点にとらわれたものといえなくもない。そして、右のような立場に立てば、青黒色破面がタンクの屋根が陥没して油が大量に吹き出す以前の鉛直方向への噴出(前記第三の三参照)によって形成されたと見ることも可能であり、洗掘の開始時期を本件事故発生の一、二日前とする福岡委員の右見解も、あながち根拠のないものであり、充分成り立ち得るものと見ることができる。

また、青黒色破面の形成がかなり早い時期に生じたという立場に立っても、タンクの使用開始後の比較的早い時期から油漏れが生じ、初期洗掘によって窪みが形成され、隅肉溶接趾端部にも亀裂が発生して、青黒色破面が生成したと見ることは可能であり、このように解しても、同委員の見解のその余の部分と矛盾するものではないと考えられる。

したがって、検察官の右主張は、理由がないではないが、これによって福岡委員の見解の妥当性が損なわれるものではない。

(2) 検察官は、福岡委員が漏油開始地点を三枚重ね溶接継手付近と想定している点は、事故後の磁粉探傷検査によって直立階段近傍に貫通点が発見されなかったことからして、前提を欠く議論であると主張する。

この点については、石井委員の証言(53.12.6四丁表―一〇丁裏)及び付属書表六・二・一―一によれば、事故後の磁粉探傷検査の対象となったのは健全部であることが認められるから、破断部である三枚重ね溶接継手付近については、右検査は行われておらず、右箇所から油漏れがあった可能性は、否定されていないというべきである。

ちなみに、最終報告書二六頁及び図六・二・六―三(1)ないし(3)によれば、T―二七〇のTAL箱上のアニュラプレートとの底板との三枚重ね隅肉溶接金属についての磁粉探傷検査と横断面観察の結果、隅肉溶接継手の上部に貫通亀裂が発見されたことが認められるから、破断部の三枚重ね隅肉溶接継手にも同様の貫通亀裂があったという可能性は、否定できないところである。

(3) 検察官は、福岡委員が直径方向の破断が先に生じたとする点は、中間報告以後国調において明確に否定されているし、直径方向の破断面が金属光沢破面であることやディンプル(外力によって物体が破壊する際に、物体内の介在物等によって生じた空洞の呈する模様のことをいう。)の観察結果とも矛盾すると主張する。

この点について、小倉委員は、「青黒色破面の中心付近から重油の漏洩は始まったと考える。」と証言し(53.11.1一六丁裏―一七丁表)、奥村委員は、「アニュラプレートと側板との隅肉溶接の趾端部付近が破断の始点と思われる。」(53.9.6一七丁表、裏)、「中間報告書では三枚重ねが破壊の起点ではないかという意見もあったが、その後の調査の結果、破面が金属光沢破面であること、破断の方向等からして、この部分が破断の起点となったのではないというのが、委員会の大勢であった。」と証言し(同一〇〇丁表―一〇二丁裏)、飯田委員も、「当初、亀裂の発生点の侯補として三枚重ねという推論もあったが、私の行ったフラクトグラフィ(破断の解析)などにより右推論は否定できると思う。」(54.3.2六五丁表―六六丁表)と証言し、木原委員長は、「中間報告の段階では、三枚重ねの所から漏った油が地盤を脆弱化したのではないかという意見もあったが、最後にはそうではないだろうというように決まった。」と証言し(53.7.5二三丁表)、検察官の右主張を裏付けているかのようである。

しかし、右のうち、小倉委員の証言は、その前後の文脈からして、青黒色破面の中では中心付近から油漏れが始まったという趣旨に解することができるし、奥村委員や飯田委員の右各証言も、隅肉溶接継手部の方が三枚重ね溶接継手部付近よりも先に亀裂が発生したというものであって、右箇所付近からの油漏れの可能性自体を否定するものではない。また、これらの各委員は、半径方向の破断の形成の機序については言及しておらず、飯田委員が、「亀裂は、図六・二・一―二上のA点からC点へ向かっていった。」と証言する(54.3.2六七丁裏―六八丁表)ものの、特に右の点を意識したものとはいい難い。更に、最終報告書においても、半径方向の破断と円周方向の破断の先後については、記載がないことから、この点については、国調において充分な検討が行われたとはいい難いのであって、前者が後者より先に生じたという可能性が国調において否定されたとは断定できない。しかも、隅肉溶接継手部に亀裂が発生し、青黒色破面が生成しても、底抜けの状態になっていない限り、直ちに大破断に至らないものであり、(前記三4(二)(5)参照)、右箇所において青黒色破面や赤褐色破面がアニュラプレートの下面まで突き抜けていたかは不明であることは、既に認定したところである(前記二1(二)参照)。したがって、右箇所に亀裂が発生した後、半径方向の破断と右箇所の円周方向の亀裂の貫通とのいずれが先に生じたかは明らかでなく、前者が先に生じた可能性も否定できないというべきである。加えて、三枚重ね溶接継手部付近が油漏れの開始点であっても、右点ではピンホール程度の穴しか空いておらず、半径方向の破面が大破断時に形成されたとすれば、それが金属光沢破面であることやディンプルの方向の観察結果とも必ずしも矛盾するものではないと考えられる。福岡委員も、前記のとおり、前記検面図一の⑤の段階(約四〇センチメートルの窪みが出来た時点)では既に隅肉溶接継手部の一部に破断が始まっているとも供述しているから、三枚重ね溶接部分からの油漏れ→初期洗掘による窪みの形成→隅肉溶接継手部での亀裂の発生→半径方向の底板の破断→円周方向のアニュラプレートの破断という機序を想定しているものと考えられ、更に、⑤から⑥(大量の油が流出した時点)に移行するまで時間はほんの短い時間であり、何時間もの長い時間ではない旨供述している(前記検面二七丁裏)から、半径方向の底板の破断と円周方向のアニュラプレートの破断とは時間的に極めて接近して起こったと考えているものと見ることができる。したがって、同委員の右見解は、前記の奥村委員らの証言と必ずしも矛盾するものではないというべきである。

(4) 以上のとおりであるから、洗掘の機序に関する福岡委員の見解に対する検察官の反論は、概ね理由がない。

(四) 小括

結局、洗掘の機序については、福岡委員が金属の専門家ではないことや同委員の研究も充分進んでいるとはいえないこと(前記検面八丁表参照)もあって、その見解の全体像が必ずしも明らかでなく、また、国調においてはこの点について殆ど調査、研究が行われなかったため、明確な結論を出すことは困難である。しかし、いずれにせよ、同委員の見解が破面の調査結果と必ずしも矛盾するものでなく、充分成り立ち得る見解というべきである。T―二七〇の基礎地盤が破断部で洗掘されて失われているため、タンクの破断の機序についての同委員の見解が正しいか否かを判定することは、困難というほかないが、右見解が科学的に妥当性の高い説であることは、疑いのないところである。

更に、趾端部に亀裂が発生した機序がどうであれ、本件で基礎地盤が大きく洗掘されたことが大量の重油が流出する原因となったことは、否定し難いところであるから、この意味で、基礎地盤の洗掘防止対策が講じられていなかったことが本件破断事故の最大の原因であるとする同委員の見解には、傾聴すべきものがある。

5  雨水又は地下水の影響について

最終報告書四六頁には、側板近傍での基礎地盤の支持力を減少させるメカニズムとして、雨水及び地下水により生ずる基礎砂の空洞があげられており、山本委員は、「栗石の部分かそれより上に水が入ってくると、上の砂が底に落ち込んで基礎が崩れる可能性がある。この現象は、T―二六〇の一部やT―二七〇の他の部分でも観察されている。埋め戻した山砂が充分締め固まっていないと、雨水によって更に締まる可能性はある。事故が発生する前に大雨が降ったという報告もある。」(53.11.1六六丁表―六七丁表)、「タンクの法肩にはアスファルトモルタルがあるので、そこから雨水が入らないかも知れないが、地下水の水位がかなり高いので、毛細管現象によって上がっていく可能性はある。」(六回六〇丁表、裏)と証言する。同委員の見解は、「大雨の影響は、最初の亀裂の発生ではなく、最後に壊れたことに関係がある。そのとき壊れたことに関連するのも、ほんの一部である。」という証言(七回四六丁表―四七丁表)から窺えるように、雨水及び地下水は、亀裂が発生した後、これが拡大して破断の最後のきっかけを与えた因子ととらえる点に特徴がある。

しかし、階段基礎部に水が入ったために土が収縮するかどうかについては、福岡委員が、土の水による締固め実験を行い、土が浸水した場合の体積収縮率を求めた結果(図六・三・八―七及び八)、タンクの荷重によって締め固められている土は、水によって二パーセント以下の収縮をするに過ぎず、雨水は基礎地盤の支持反力には影響のないことが判った旨証言する(54.7.6三二丁表―三六丁表)のであって、雨水及び地下水の浸透と基礎地盤の支持反力の減少ひいては亀裂の拡大との間に有意な関係は認められないというべきである。ただ、前記のとおり、福岡委員は砂が割栗石の隙間に落ち込んで局部沈下を起こす可能性を認めているところ、その作用を促す要因として、雨水及び地下水の影響も考えられなくはない。しかし、この点についても、T―二七〇の盛砂基礎が洗掘によって破断部で失われているため、断定することは不可能であり、一つの可能性にとどまるというべきである。

6  総括

以上の検討の結果、タンクの破断原因としては、基礎地盤の洗掘が最も有力であり、また、タンクのアニュラプレートの脆弱化を促進し、亀裂の発生を容易ならしめた要因として、高温下における低歪速度効果も無視し得ないというべきである。ただ、これらについても、破断原因と断定し得るだけの根拠はないことに留意すべきである。

四破断原因の総合判定

1 序論

検察官は、最終報告書に原因不明であるような記載があり、国調委員の証言にも同旨の証言があるが、その趣旨は、破断に至る因子が相当数に上り、各因子の寄与度が解明できなかったことなどから、科学的に因子の複合体としての原因の全体像が指摘できなかったというものであって、右をもって階段基礎の掘削及び埋戻し不良が事故原因でないとすることはできないと主張する。そこで、改めて右記載及び証言を総括的に見ることとする。

2 最終報告書の記載について

最終報告書五四頁以下の「7・2事故原因の考察」と題する箇所には、一四項目にわたって特徴ある客観的事実が列挙されたうえ、「これらの調査結果により、注目すべき客観的事実として、側板とアニュラプレートとの隅肉溶接継手部で、その時期は明確に断言できないにしても、タンク破壊時より前の時期において部分的割れが生じたこと、及びその原因の一つとして側板に近い箇所のアニュラプレートと地盤とのすき間(その深さ及び幅が問題となる。)の形成及び側板とアニュラプレートとの隅肉溶接継手の寸法、形状等があげられる。この場合、上記のすき間の形成に寄与したものについては、直立階段の基礎を含めたタンク基礎の特異性があげられる。」との記載がある。これに引き続いて、同報告書には、「しかし、この場合、事故発生に至る経過を正確に論ずるためには、例えば、タンク本体の初期の形状(溶接による変形及び建設又は水張り直後の形状に関する正確な記録)、直立階段の基礎等を含めたタンク基礎の性状、建設中及び使用開始後の経時的変化の正しい記録等その判断に必要な客観的事実に関する正確な情報の存在が前提となる。特に、原因の調査にあたっては、破断箇所の基礎地盤が局部的に欠損していることは、上記の問題点についての正しい判断を与えるための前提条件が不足することとなる。」「タンク破壊に介在する問題は必ずしも単純でなく、多くの因子が互いに悪い方向に組合った形で、この現象の引金になったものと考えられ、上記の諸条件を考慮すると、事故の発生経過を学問的に明らかにすることは難しい。」「しかし、今回の調査を通じて、より安全なタンクを建設するためのよりどころと、それを学問的に追跡する視点が明らかになった。」との記載がある。

確かに、右の冒頭に引用した箇所は、アニュラプレート下の隙間が事故原因と関わっているかのようにも読めなくはないが、それに続く記載を読む限り、国調においては、本件の事故原因を解明することはできなかったものと見るほかない。そして、このことは、国調の木原委員長が「最終報告書を発表するまでに充分な調査を行えなかったので、最終報告書でも、これが原因であるという明確なことは書いていない。」(53.10.4九丁裏―一〇丁表)、「『事故の発生経過を学問的に明らかにすることは難しい。』というのが、委員会の結論である。」と証言し(同一五丁表)、最終報告書の全体の取りまとめを行った奥村委員が「最終報告書の『上記の諸条件を考慮すると、事故の発生経過を学問的に明らかにすることは難しい。』という部分は、私が委員の全員の同意を得て書いたもので、国調の結論と考えてもらっていい。」と証言する(54.6.8四六丁裏)ことからも明らかである。また、他の委員も、「国調の結論は、現在のところ最も疑わしいのはこれこれだが、全体としては原因は解明されておらず、解明には今後更に研究が必要であるということである。学問的には解明されていないという表現が、結論であると理解していい。」(小倉信和証人54.9.7四〇丁表、裏)、「国調の最終報告書では、全員がこれが原因だという合意が出来なかった。」(石井証人54.10.5一九丁裏―二〇丁裏)、「国調は、再びこのような事故を起こさないことを最大の目標にしたので、最終報告書には色々原因と考えられることが書いてある。もし原因がはっきりしておれば、こんな長たらしい文章は書かない。」(福岡証人55.2.6七一丁裏―七二丁表)とそれぞれ証言し、右の木原委員長らの証言を裏付けている。結局、国調においては、事故原因を科学的に解明できなかったというべきである。

このように、国調による調査が事故原因の解明という点で不充分なものに終わったことについて、木原委員長は、本件事故原因の解明が、「世界中の学者が集まって何年かかけて共同研究してようやく判るような難しい問題である」にもかかわらず、国調で一年間で最終報告書をまとめざるを得なかったことから、充分な調査を行い得なかったためであると証言する(53.10.4四丁裏―五丁表、一〇丁表、裏)。また、国調の委員の構成を見ても、溶接工学や金属工学の専門家が多いのに対し、土木工学の専門家が少なく、既に見たように、破面の状態についての調査が詳細に行われているのに対し、基礎地盤の洗掘やタンク側板の油痕については、全くといっていいほど調査が行われていないのである。このようなことも、国調における事故原因の解明が不満足なものに終わった一因をなしえているとも考えられるのである。

そして、奥村委員が「最終報告書の『7・2事故原因の考察』において一四項目をあげたのは、原因が一四もあったということでなく、破壊の原因を考察するための前提条件、準備として並べたものである。」(53.9.6九一丁裏―九二丁表)と証言し、山本委員が「最終報告書の目的は、今後このような事故が起こらないようにするために、可能性を全部列挙することで、可能性さえつぶしておけば、今後こういう事故は起こらないだろうというものである。」(七回三六丁表、裏)と証言するように、国調における調査は、事故原因の解明よりも、むしろこの種の事故の再発防止に重点を置いたものであり、最終報告書において事故原因に関連すると見られる事項を列挙したのも、事故の原因とはいえないにしても事故につながる可能性のあるものさえ列挙しておけば、今後の事故防止に役立つであろうという考慮に出たものと認められる。

以上のとおり、最終報告書の記載をもって事故原因を判断することは困難であるというほかない。

3 国調委員の証言について

国調委員の証言の中には、事故原因の結論部分で、一見したところ、多くの委員が、階段基礎の掘削及び埋戻し不良による地盤の支持力の減少が事故原因であるかのような証言をしているので、以下、各委員ごとにこれを見ることとする。

(一)  木原委員長の証言について

木原委員長は、「事故原因は、①基礎工事の水張りの途中で基礎を掘って階段基礎を埋めたため、地盤の支持力が減ったこと、②不等沈下が大きかったこと、③不等沈下の大きい場所に階段基礎を掘削したこと、④油の温度が一〇〇度位の高さであったため、鋼材が脆くなる現象が生じたこと、⑤破断部に六パス溶接がなされていたことなどがあり、①ないし⑤の原因が重畳したために不幸にも事故がおこった。このうち④と⑤の比重は、比較的小さいと思う。」(53.7.5六九丁表―七六丁表)と証言し、一見したところ階段基礎の掘削及び埋戻しが主要な事故原因であるという見解をとっているかのようである。しかし、同委員長は、「①ないし⑤の原因は、足し算して壊れるのであって、一つ一つの項目を挙げると、全部壊れた理由にならない。」と証言するとともに、「原因に軽重をつけることは主観論になる。」と証言し(53.9.6四六丁裏―四七丁表)、原因間の比重を論じることに批判的であり、「①ないし⑤も、基礎的な資料等が欠けているために、学問的に原因と断定することはできない。」(53.10.4一六丁表)と証言している。また、同委員長は、①についても、それがタンクの破断につながるかどうかについて、何ら定量的根拠や破断の機序についての説明を示しておらず、単に「悪い方向にある。」という程度であり、このために壊れたのではない旨証言している(53.12.6五三丁裏)。こうして見ると、同委員長は、必ずしも階段基礎の掘削及び埋戻しが主要な事故原因であるとの見解をとっているとはいえないうえ、その証言も、破断原因を論ずるうえで重要性をもっているとは認め難い。

(二)  奥村委員の証言について

奥村委員は、「階段基礎は、色々ある原因の一つであるが、非常に大きな要素でないかと解釈した。」(53.9.6七〇丁表―七一丁表)と証言し、階段基礎の掘削及び埋戻しが主要な事故原因であるとの見解をとっているかのようである。しかし、同委員は、右のほかにも、溶接の問題、高温下の低歪速度効果や基礎地盤の傾斜沈下も重要な要素であるとした(同七八丁表―八三丁表)うえ、「いくつかの要素が悪い方向に重なって事故が起きたのであって、どれか一つが欠けていたら起こらなかったかも知れない。階段付近の基礎の形状は、いくらか大きな要素になるが、要素の間で割合の大小といったことは定量的にはとても言えない。」(同八四丁裏―八六丁表)と証言し、各要素の間の比重をつけることには、木原委員長と同様、否定的である。他方、奥村委員は、「原因の一つとして、側板に近い箇所のアニュラプレートと地盤との隙間の形成、その上の特異性が絡んでいるだろうという問題の指摘だけがやっとできた。」(同一〇七丁表、裏)と証言し、右隙間の形状の問題を重視し、基礎地盤の鞍型変形論や側方流動論を展開するのであるが、同委員の鞍型変形論や側方流動論がタンクの破断の機序を説明する理論として充分なものでないことは、既に見たとおりであり、同委員は、破断の機序についてそれ以上の説明は行っていない。結局、同委員自ら「階段基礎の掘削埋戻しが事故の原因であるかどうかについて、厳密な意味での科学的な論証はできなかった。」(54.6.8四七丁裏―四八丁裏)と証言するように、同委員の証言も、階段基礎の掘削及び埋戻しが破断原因であることを根拠づけるものではないというべきである。

(三)  小倉委員の証言について

小倉委員は、「本件事故の主要な原因は、階段基礎が掘られて支持力が失われた範囲が一メートル強となっていたこと、溶接の形状が三層六パスであったこと、高温下における低歪速度効果であると考える。」(53.11.1二四丁表―二五丁表)と証言し、その他にも、いくつかの要因を指摘する。同委員の見解の特徴は、階段基礎の掘削及び埋戻しがタンクの破断に至る機序を説明し、基礎地盤の滑りや側板とアニュラプレートの角度変化に関する見解を根拠としてあげている点にある。しかし、右の見解がいずれも到底支持し得るものでないことは、既に見たとおりであり、同委員も、「私は、事故原因を定量的に明らかにすることは難しいと思う。」(54.10.5一〇丁表)と証言する。結局、同委員の証言によって階段基礎の掘削及び埋戻しが破断原因であると根拠づけることができないのも、明らかというべきである。

(四)  山本委員の証言について

山本委員は、「タンクの破断の原因としては、直立階段基礎の近くに充分な支持反力を与えない所が存したことが、非常に大きな影響を持っている。最初に微細な亀裂が起き、それがいろんなメカニズムで進行して大きくなった。その原因としては、繰返し荷重がかかることや、クリープに相当することもあった。」(53.11.1六四丁表―六五丁表)、「国調では、全般としては、当該箇所を掘り返したことが最も重要な影響をもったと判断した。もちろんそれだけで壊れることはないが、いくつかの間題が起こって、相乗作用で壊れたのだろうという結論になった。」(七回三三丁裏―三四丁表)と証言する。同委員の見解の特徴は、破断の機序について、定量的根拠をもった基礎地盤の滑り論を展開した点にある。しかし、右理論が現実的とはいえず、タンクの破断を根拠づけるものとして充分でないうえ、同委員が亀裂拡大の原因としてあげる繰返し荷重やクリープがいずれも充分な根拠をもったものでないことも、既に見たとおりである。したがって、同委員の証言によっても、階段基礎の掘削及び埋戻しが破断原因であると根拠づけられたと見ることはできない。

(五)  石井委員の証言について

石井委員は、「本件の事故原因については、階段を作ったことによって下の土台が弱くなったことが第一の大きな原因である。」(53.12.6五九丁表)、「溶接が悪くても割れていないタンクはある。溶接だけ悪くて地盤が固かったら、割れなかっただろうと思う。」(54.10.5三〇丁表、裏)と証言する。しかし、同委員は、破断の機序については何ら理論的説明を行っておらず、右見解の根拠として、事故後にT―二七一で行った水張り実験の結果やコーン貫入試験の結果、底板下の空隙測定をあげるにとどまるが、これらを破断原因の根拠とすることに疑問があることは、既に見たところから明らかである。結局、同委員の見解によっても、到底階段基礎の掘削及び埋戻しを破断原因と見ることはできない。

(六)  小括

以上のとおり、階段基礎の掘削及び埋戻しが破断原因であるとする国調委員の証言は、どれ一つとして科学的に充分な根拠をもったものはなく、これらを総合してみたところで、破断原因が立証されたというには程遠いものである。ここで改めて注目する必要があるのは、これらの証言が、いずれも土木工学に関しては専門外の証人によってなされているということである。奥村委員が証言する(53.9.6七三丁表、裏)のように、国調において階段基礎が注目されたのは、その中心付近から亀裂が広がっていることからそれが原因ではないかと注目したという直観的判断に尽きるのではないかとさえ思われる。これに対し、福岡委員は、専門の土木工学の学識や建設省の土木研究所長としての多年の経験に加え、実際の土質調査の結果等の様々な実証的根拠に基づいて、「階段基礎の掘削埋戻しは、事故の原因ではなく、原因に寄与したとしても、問題にならないほど小さなものだと思う。」(検面三六丁表、裏)と供述し、既に見たように、洗掘防止について効果的な対策が立てられていなかったことが最大の原因であると指摘しているのであり、この見解が最も傾聴すべきものであることは、既に見たとおりである。

4 総括

以上の検討を要するに、階段基礎の掘削及び埋戻しから破断に至る機序は何ら解明されていないから、それが破断原因であるというのは、単なる憶測の域を出るものではなく、他に有力な原因が存するとの疑いも強く、到底因果関係の証明があったとはいえない。

本件タンクの破断原因については、様々な因子が考えられるところ、中でも基礎の洗掘や高温下における低歪速度効果の問題が重要な因子と思われるが、前者については、破断の機序の説明として有力ではあるものの、その全体像が必ずしも明らかでなく、かつ、盛砂基礎の流出等のため、初期洗掘の原因となった油漏れについての解明が極めて困難であり、また、後者については、効果が作用している蓋然性は高いものの、その定量的裏付けはできておらず、いずれも科学的に破断原因と断定することは困難である。結局、当裁判所における証拠調べの結果を総合する限り、本件タンクの破断原因は、不明であるというほかない。

なお、検察官は、論告において、土木建築災害や事業災害等の刑事事件における事故原因の意義について、これらの事件においては、被告人の行為と特定の結果の発生との間に多様な因子が作用していることが通常であるから、この種事犯における刑事責任を問うためには、作用した全ての因子についての定性的かつ定量的な科学的解明が要求されるのではなく、科学的に裏付けられた条件関係という程度のもので必要にして充分であると主張する。検察官のいう「科学的に裏付けられた条件関係」がいかなるものを指すのかはあきらかでないが、この種の特殊過失事件においても、事故原因について合理的疑いを容れない程度の証明が必要であり、右証明が科学的経験則に裏付けられていることを要することはいうまでもないところである。しかるに、本件においては、既に認定したとおり、階段基礎の掘削及び埋戻しとタンクの破断との因果関係についても、そもそも科学的に条件関係が認められないのであるから、事故原因の証明についていかなる見解をとるにせよ、合理的疑いを容れない程度の証明があったといえないことは明らかである。

第六結語

一以上の検討から明らかなように、被告人Fについては、そもそも階段基礎工事について公訴事実に記載されたような施工上の監督義務を負う主体であったとは認められないから、破断原因等その余の点に立ち入るまでもなく、過失責任が認められず、その余の被告人については、公訴事実記載の破断原因が認められないから、予見可能性等その余の点について論ずるまでもなく、過失責任が認められない。

二思うに、本件は、長期間にわたって瀬戸内海を汚染し、甚大な被害をもたらした重油流出事故であり、その責任の所在を明らかにすることが社会的にも要請された事案である。しかしながら、その刑事上の過失責任を問うにあたり、検察官がその前提と断じたタンクの破断原因は、右のように我が国の権威を網羅した多数の国調委員が協力して多角的な調査を行っても、容易に解明できなかった問題である。そうであれば、刑事裁判の場においてこれこそタンクの破断原因であると断定するのがおよそ困難であることは、他言を要しないところである。

しかるに、警察官は、タンク破断の原因が不明であるとの国調の最終報告書の趣旨を正解することなく、階段基礎の掘削及び埋戻しの不良が破断原因であり、これを即重油の流出原因であると断定して、本件被告人らを起訴したのである。捜査機関として、国調による破断原因の調査に関心を寄せることは当然としても、その専門家による調査を尊重すべきことは、論をまたないところであって、検察官が独自の見解に基づいて破断原因を特定したのは、疑問の存するところである。それと同時に、本件の刑事責任を論ずるに当たって問われるべきは、重油の流出原因であって、タンクの破断原因それ自体ではないから、国調による調査とは別個に、破断原因が何であれ重油の流出を防止し得なかったのかという観点からの捜査が行われてしかるべきであり、検察官が破断原因にのみ注目したのは、片手落ちとの印象を免れない。換言すれば、検察官は、重油流出事故の防止策について、全体的視野から刑事責任を検討することが望まれたのであり、技術的見地にとらわれて、破断原因に視野を限定すべきではなかったのである。

検察官は、階段基礎の掘削及び埋戻しの不良を破断原因と断定したことにより、右工事の責任主体及び過失の内容を明らかにせざるを得なくなったが、階段基礎工事を含む契約関係をめぐっては、三石、石川島、千代田等の各当事者が自己に好都合な主張を繰り広げたことから、本件は、ますます混迷の度を深めることとなった。特に、階段基礎工事の施工をめぐっては、石川島と千代田との間で工事着工前からこれを互いに相手方の工事範囲であるとして押し付け合うような状態であり、これが捜査、ひいては公判を通じて拡大再生産されたかの感がある。こうした本件の契約関係の解明に捜査機関が費やした労力には莫大なものがあったと推察されるが、検察官の主張、すなわち、石川島が三石の下請として直接タンク建設工事を請け負う一方、千代田もプライム・コントラクターとして三石に対して重畳的に完全なタンクを引き渡す義務を負うという主張は、ほぼ三石の主張に沿ったものであるところ、このような主張が契約の解釈として法律的に妥当であるか、疑問なしとしないところである。

それはともかく、この点の捜査は、徒労に帰したばかりでなく、その過程で新たな過誤を生むこととなった。すなわち、Fの訴追がそれである。Fは、いわば熊谷組の身代わりとして、捜査機関に対し、東洋工務店が階段基礎工事を行ったとの虚偽の供述をしたため、訴追されることとなったのであり、捜査機関の判断を誤らせたその行動自体は、遺憾というほかないが、零細企業の代表者がいわば生殺与奪の権限を握る元請企業から圧力をかけられたため、企業の存立を慮って身代わりとなったことについては、心情的に同情すべきものがあり、元請業者としての立場を利用し東洋工務店に責任を押し付けて訴追を免れた熊谷組の企業エゴと評すべき行動こそ、非難されるべきである。しかし、それ以上に、本件の捜査に当たった検察官が、これら関係者の供述の信用性を充分吟味したのか、客観的証拠の検討を怠らなかったのかということが、改めて問われなければならない。

ところで、本件において看過することができないのは、三石の事故前後の対応に、少なくとも客観的には不手際と評すべき行動があったことである。すなわち、T―二七〇から油の噴出が発見された後、担当の直長は、このタンクからT―二七一への油のレベル移動を指示しているが、その後の重油の噴出状況の変化等に照らすと、この措置がタンク内の過度の負圧状態をもたらし、屋根の陥没とそれに続くタンクの大破断を引き起こした可能性は、否定できないところである(ちなみに、最終報告書においても、この可能性が示唆されている。)。したがって、右のレベル移動がタンクの大破断の原因であったとすれば、タンクから漏れた重油を放置しておいても、防油堤内にたまるだけであって、直立階段が吹き飛ばされ、防油堤の破壊箇所から大量の重油が防油堤外に流出することもなかったものと推認されるのである。加えて、T―二七一とT―二七〇を結ぶサクションラインのバルブが事故後二時間以上も閉鎖されずに放置されたことが、両タンクを結ぶパイプラインによってT―二七一からT―二七〇に重油が逆流する原因となり、その流出量を増加させたことも明らかである。確かに、タンクの大破断の直後に直員が身の危険を感じて避難したことはやむを得ないところであるが、その後の消防車による放水等の作業状況を見ると、大破断の数分後には右バルブの閉鎖も可能であったのではないかと思われる。

更に、重油の防油堤外への流出開始後の三石の行動を見ると、重油の海上への排出経路を直ちに塞ぐ措置を講じていれば、相当量の海上への流出を阻止し得たと思われるのに、そのための迅速かつ的確な措置が講じられたとはいい難いうえ、第二ガードベースンへの冷却排水の放流が翌朝まで停止されなかったことやG号道路上の放水が翌朝まで継続されたことなど、重油の海上流出をむしろ促進することが行われているのである。確かに、可燃性の危険物が到る所に存在する製油所において、火災発生の防止が最優先課題であることは疑いなく、装置を安全に停止するためには、冷却排水を流し続ける必要があったことも、否定し難いところであるが、第二ガードベースンへの冷却排水を第一ガードベースンに誘導して第二ガードベースンへの流入を阻止しておれば、そこからの排水口の封鎖と相まって、相当量の重油の海上への流出を阻止することが可能であったと思われるのに、現実には、冷却排水を第二ガードベースンに導き第一ガードベースンへの流入を阻止するという全く逆の措置がとられているのである。また、G号道路上への放水の継続も、火災発生の危険性がとれだけあったのか、疑問の残るところである。

次に、重油の流出が始まってからの三石による関係機関への通報の状況は、迅速であったとはいい難く、当初、油の流出量も約二〇〇キロリットルと過少に発表されており、また、その性状等に関する正確な通報が行われたかも疑問である。確かに、事故後間もない時点で、油の流出量を正確に探知することは困難であったにせよ、その後の事態の推移を見る限り、油の流出量の通報が過少であったことが、オイルフェンスの展張によって重油の拡散を阻止し得なかった一因となっていると考えられるし、川鉄切込港湾口でのオイルフェンスの展張作業の開始後に海上保安庁の消防艇により、同湾内で錨泊中の船舶が退避を命ぜられたため、既に展張されたオイルフェンスが切断されたという事態も、流出した油の引火点が高いという情報が正確に通報されておれば、起こらなかったとも考えられるのである。

翻って、第二ヤードの直員によるバトロールは、主としてタンクの回転機器等の点検を目的とするものであったが、これが油の漏洩の発見という観点からすればおよそ充分でなかったことは、巡回の警備員が油漏れを発見した直前に担当の直員が当該タンクのパトロールを行っていながらこれを発見し得なかったことに端的に現れている。T―二七〇が大破断を起こす少なくとも数日前には、基礎地盤の洗掘の原因となる少量の油漏れがあったはずであるから、これをパトロールによって発見していれば、他のタンクへの移送等の措置によって、大量の重油流出事故を回避し得たのではないかと考えられるから、油漏れの有無の探知について特段の配慮をしなかった日常のパトロール体制が充分であったとは、到底いい難いところである。

検察官が主張するように、三石の職員に一切過失がなかったかどうかはともかく、以上の事実を見るかぎり、事故前後の三石の職員の行動及び措置には、少なからぬ不手際があったことは否定し難い。確かに、担当の直員らにとって重油の海上流出を阻止するための迅速かつ的確な措置を講ずることは、他方で火災発生防止等の安全上の配慮を疎かにすることができないから、夜間の緊急事態の際に容易でなかったことは否めない。したがって、こうした事態に対処し得るためには、むしろ日頃からタンクからの大量の油漏れを想定し、人員の手配や関係機関への連絡体制の整備等を含めた事前の訓練が行われるべきであったのに、三石がこれを全く行っていなかった点に、根本的問題があるとも考えられる。確かに、当時の法令上、本件のようなタンクからの大量の油漏れは想定されておらず、これを予想することが困難であったという事情は認められるが、タンクの設置者であり、かつ、消防法令上の危険物の管理者である三石が、このような訓練を一切行わないで済むものか、疑問を禁じ得ないところである。

更に、海岸に隣接して製油所を所有しタンクを設置管理する者には、油の海上流出を防止すべき第一の義務があると考えられるのであり、本件のような態様のタンク破断事故を予見することが困難であったにせよ(ちなみに、被告人らにおいて本件事件を予見することが可能であったと証言する国調委員は、皆無であり、本件事故が、直立階段が吹き飛ばされて防油堤を破壊するという特異な経過を経ていることを考え合わせれば、右の点を積極に解するのが至難であることは、いうまでもない。)、タンクの管理者としては、その原因が何であれ、大量の油の流出事故を予見し、その海上流出を防止する義務を軽々に免れるのは相当でなく、事故前の防止措置については、少なくともタンク建設に携わる者より高度の予見義務と結果回避義務が課せられるのは、当然といってよいであろう。検察官は、論告において、被告人らが三石による重油流出防止措置を期待すべきでなかったことをいわんがために、三石において本件事故を予見して結果発生を防止すべき義務がなかったことを強調せざるを得なかったが、タンクの管理者において大量の油の流出事故を予見する必要がないとする一方、タンクの管理者でもない被告人らに本件事故を予見せよと要求する自体、権衡を失する議論といわざるを得ない。本件の捜査に当たった検察官が、この点について充分な検討を行ったか、疑問なしとしないところである。

こうして見ると、三石とその職員を起訴せずに被告人らタンク建設への関与者を起訴した検察官の処分の妥当性が、改めて問われなければならない。この意味において、岡山検察審査会が三石を起訴相当とする議決をしたことは、その法律構成の是非はさておき、当裁判所としても理解し得ないことではない。

思うに、本件においては、何よりも重油の海上への流出を防ぐべき責任を負っていた者が誰か、これを防ぐためにはいかなる方策を講ずべきであったかが、捜査、公判を通じて問われるべきであった。しかるに、本件捜査においては、これらの点の検討が不充分なままに打ち切られ、タンク建設に関与した被告人らが訴追されたために、本件公判においては、これらの点とおよそ程遠いタンクの破断原因をめぐる科学論争や階段基礎工事の契約形態をめぐる被告企業同志の面子をかけた論争が延々と繰り広げられるという、甚だ遺憾な経過をたどらざるを得なかった。また、公益の代表者である検察官が、契約関係及び油の海上流出防止の点について、結果的には重油流出企業である三石の立場を代弁することとなったのも、遺憾なことといわざるを得ない。このように、本件裁判は、事件の真相の究明という点からすれば甚だ不満な結果に終わったが、その原因の大半は、検察官の本件の捜査及び起訴に帰するといっても過言ではない。

三以上のとおり、本件公訴事実については犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条に従い、被告人全員に対していずれも無罪の言渡しをすべきものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤田清臣 裁判官朝山芳史 裁判官小西義博)

略語表

会社名

略語

会社名

千代田

千代田化工建設株式会社

石川島

石川島播磨重工業株式会社

東洋工務店

有限会社東洋工務店

三石

三菱石油株式会社

トーヨーカネテツ

株式会社トーヨーカネテツ

熊谷組

株式会社熊谷組

二個人名〈省略〉

事項名

概ね次の例による。

略語

事項名

国調

三菱石油水島製油所タンク事故原因合同調査委員会

最終報告書

三菱石油水島製油所タンク事故原因合同調査報告書

T-二七〇

二七〇号タンク

MP-V

水島製油所第五次建設計画

TAL

Tank Construction with Airlifting

証拠の特定

概ね次の例による。

略語

証拠の表示

六回一〇丁

第六回公判調書一〇丁

53.7.6一〇丁

昭和五三年七月六日付け証人尋問調書一〇丁

51.6.4検面一〇丁

昭和五一年六月四日付け検察官に対する供述調書一〇丁

図六・三・1-1

三菱石油水島製油所タンク事故原因調査報告書付属書図六・三・一-一

資料四・一・二-1

右報告書付属書資料四・一・二-一

表六二・五-1

右報告書付属書表六・二・五-一

検六二一

検察官請求証拠番号六二一号

弁二一六

弁護人請求証拠番号二一六号

図1

図2

図3

図4

図5

図6

図7

図8

図9

図10

図11

図12

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